2011年4月25日月曜日

未熟な意見について考える重要性(メッセージ16)

未熟と思われる方々の意見について考える事の重要性について、お話しさせていただきたいと思います。

経験の浅さから思慮に欠けた見解を持ちやすいのですが、一度疑問に思われたことに対しては真摯な姿勢で取り組まれる方が多く見受けられます。
極端で荒削りな部分が目立ち、一つの考え方に陥りやすいという危うさも含んではおりますが、その中には真理が含まれている場合があるのです。
熟考していただくことで見えて来るものがございます。
表現の稚拙さや、強引で極端な理論付けが邪魔をして、その核になる部分を覆い隠してしまい、一度触れただけでは判断するのが難しいのですが、そこで『考えるだけ無駄だ』などと安易に切り捨てて仕舞わないでいただきたいのです。
それは、各々が考えて出した結論であり、拙さはあるものの真理の一端を表しているのでございます。

何度でも触れ熟考し、皆様ご自身の経験や知識と照らし合わせて取捨選択をし、背後にある意味を読み解く努力をしてみてください。

(2007年12月14日)





このメッセージは、メッセージ9の内容の追加的な説明になっておりますので、合わせて読まれると理解が深まると思います。
また、読者の理解を深める参考になると考えて個人的な見解を述べ、以下のような回答を得ました。





メッセージ16を受けた意見と回答


[意見]

私自身も含めて、とかく人間は物事を単純に『未熟』『成熟』のような形で捉え、『未熟』を軽視しがちだとの指摘はごもっともだと思います。
今回のメッセージについては、自分なりに言葉を変えてみるとこの様になると考えます。
一般的に『成熟である』人が積んでいない経験を、その人よりも『未熟である』人が経験している時があると言う場合が一つ。
そしてもう一つは、『成熟である』人と、それより『未熟である』人が、一緒に同じ経験を積んだとしても、その経験から得る教訓が人によって異なって来る場合です。
なぜそうなってしまうのかと言うと、たとえ一緒に同じ経験をしても、人によって関心を持つ対象が違うからです。
ですから、幾ら成熟した人であっても、まず未熟な人の声に耳を傾けて、その人が伝えようとしている意図を正確に読み取り、その中に自分にとって参考になるべき要素が含まれているのかどうかを、慎重に確認する必要があると思います。
もっとも、言葉の意味、あるいは知識としては分かっている様でも、実践となると覚束ないのは自分自身でも自覚がありますので、この教訓を肝に銘じて、例えそれがどの様な相手であっても、まず『人の意見に耳を傾け、その奥に隠された意図を考える』習慣を身につける必要があると思います。


[回答]

ご指摘の通りでございます。
同じ世界に在りながら、視点や経験は個々の方々で違うのでございます。

問題意識を持つということは、その事柄の中に何らかの歪みが生じているということなのです。
ある一方の立場の方々が何も感じていなかったとしても、他方の方々が何かを感じ取っているのであれば、そこには何らかの問題が生じているのです。
視点の違いから、お互いの思いや問題意識が理解出来ないのです。
何か重要な事柄に気付き、成長を遂げた場合も同じ事が言えるのです。
視点の違いから気付ける事柄にも違いが生じるのです。

そして何より、未熟な方々に関して申し上げられますのは、問題に対応する際のひたむきさなのです。
これには目を見張るものがございます。
これらの様子を目の当たりに致しますと、私どもも見習わねばと改めて感じるのでございます。

(2007年12月14日)





[回答]について一点だけ付け加えるとすれば、問題に対応する際のひたむきな姿勢は、『未熟であることを自覚していて、なおかつ向上心のある』人(霊)について言えるのでしょうね。
成長するにつれて見落としがちになりますので、この様な姿勢は常に心がける必要があります。
特に、私たち(霊媒と管理人)を含めた、霊的知識をある程度修得されている方々は、このメッセージの重みをよく認識しなくてはなりません。
スピリチュアリズムに関するウェブサイトで、安易に『低級霊』『悪霊』『未熟霊』と切って捨て、高級霊からの通信でなければ価値がない(=高級霊ブランドに対する盲信)といった主旨の意見が見受けられますが、「高級霊が誤りを犯さないとは限らない」、そして「未熟霊が私たちにとって教訓となる知識をもたらさないとは限らない」と、あえて申し上げさせていただきます。
いわゆる『高級霊』といわれる霊でも、かつては未熟だったのです。
同時に現在は『未熟霊』でも、今後様々な経験を通じて学ぶことで、徐々に成熟してゆくのです。
ですから、いわゆる『低級霊』『悪霊』『未熟霊』を簡単に遠ざけてしまうのではなく、ぜひ通信の内容に目を向けた上で、その中に自分自身にとっての教訓となりうる要素があるかどうか、その点を慎重に見極めていただきたいのです。
霊界通信の送り主が誰であっても良いのではないですか?
むしろ、様々な通信の内容を慎重に見極めることによって、私たち自身の洞察力を磨く方が、成長につながる貴重なメッセージに数多く触れられるだけでなく、一見シンプルな内容の通信からより奥深い意味合いを読み取れるようにもなるでしょう。
メッセージ8を受けた質問と回答で、霊界通信における『さにわ』の重要性について言及しておりますが、皆さまが霊界通信に触れる場合、皆様一人一人が『さにわの役割をになっているのだ』との意識を持って、メッセージに接していただきたいと思います。





霊媒Mの通信精度向上に伴って、上記記事の内容を修正し、より詳細な説明を試みました。
【銀の紐を越えてα:周囲の人の話を聞き、よく観察しよう[メッセージ修正版08]】

双方の記事の内容を読み比べて頂くことによって、霊界通信の送り手が同じ情報を送っていても、霊媒の通信精度の違いが、受け取る内容にどの程度の影響を及ぼしているかを感じて頂けることと思います。
現在『銀の紐を越えて』にて掲載中の『霊界からのメッセージ』のうち、「より詳細な説明が必要である」と霊界の住人の皆様が判断したメッセージについては、今後順次『銀の紐を越えてα』に修正版を掲載して参ります。

(2014年9月1日追記)

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