2011年5月19日木曜日

宗教や宗派の違いについて(メッセージ102)

今回は、皆様の世界での宗教や宗派の違いについて、霊界側ではどのように考えられ、管理されているのかをお話させていただきたいと思います。

霊界には、霊的知識を保管している“記憶庫”のような場所があるのですが、地上の皆様に伝えられている霊的な知識は、全てこの“記憶庫”の知識を引用したものになります。
この“記憶庫”の位置づけとしては、霊界を一つの国として例えるならば、国会図書館のようなもので、霊界全体に存在するあらゆる境涯で生活する人々に必要な霊的知識が収められており、それぞれの境涯ごとに必要な知識を分類して管理しているのです。
そして、一つの境涯に必要な知識においても細かく分類され、時代や地域、文化の違いなどで必要となる霊的知識がひと目で分かるようにまとめてあるのです。

霊的知識の供給元が同じ場所であるのならば、宗教や宗派の違いを霊界側ではどのように考え、管理しているのでしょうか?

皆様の世界では、一つの宗教や宗派に属しておられる方は、他の宗教や宗派を受け入れない傾向が強いようです。
ですが、霊界側での考え方としては、皆様の世界での国や地域の違いと同じようなもので、管理し易いように区分けをしてはあるのですが、表面的には違うように見えるだけで、その源は皆同一のものであり、あえて遠ざけるようなものではないのです。
興味があれば積極的に受け入れ、より成熟した状態を目指すのはとても自然な考え方であり、他者から非難されるような性質のものではありません。
ですから、“仏教徒が教会でお祈りしても構わないし、キリスト教徒がモスクでお祈りしたところで一向に構わない”というのが、我々霊界側で管理している者の考え方なのです。
その源は全て同じものであり、最終的に行き着く先も、又、同じ場所なのですから。

では、何故、それぞれの宗教は違う地域でそれぞれ独自の成長を遂げてきたのでしょうか?

霊的知識は、伝えられる時代や地域の人々の意識に伴って、表現を変えたり、強調する箇所を変えたりします。
ですから、伝えられた時代が古ければ古いほど、人間自体も経験が浅く未熟であり、霊的視野が狭い為に、多くの人間が理解し易いように表現は曖昧でどのような解釈でも出来てしまうというような、大まかな表現で霊的知識が伝えられております。
それとは逆に、新しければ新しいほど、より複雑で、詳細な知識が伝えられてくるようになるのです。

ただ、地域や発展している文化などの違いによる皆様の認識の違いというものもございますので、それぞれ違う地域におろされている霊的知識の場合は、新しければ、必ず、より成熟した考えを持った方々を対象に伝えられた知識である、とは言い切れません。
あくまでも、皆様の求めに応じて必要と思われる知識をお伝えしているだけなので、地域が違えば求められる知識が違うのは当然であり、それが必ずしも他の地域の方が以前に求めた知識よりもより深いものであるとは限らないのです。

あくまでも、皆様人間の求めに応じた形で霊的知識は伝えられているので、求められていない場所に“棚から牡丹餅”的に、何もしなくても得られるといった性質のものではないのです。
ですから、時代や国の違いはそれだけで霊的文化の発達の違いに繋がってゆくのです。
ですが、すべて同じ源から発せられた知識ですので、深く追求してゆく事で、最終的には同一の答えに辿り着く事になるのです。

これらの知識を踏まえた上で、宗教というものについて改めて考えてみてはいかがでしょうか?

特定の宗教を信仰しておられない方も大勢おられると思われますが、それは今回のテーマから逸れてしまいますので、いずれ改めましてお話させていただきたいと思っております。

最後までお付き合いくださり、心から感謝いたします。
これらの知識が少しでも皆様の成長の糧となる事ができたならば幸いでございます。

(2009年8月12日)





今回のメッセージには、霊的知識に関心を持ち、学ばれてゆく中で、誰もが一度は誤ってしまう認識についての解説が含まれております。
これまでに人類の辿った歴史を繙いてみても、『神』の名の下に宗教上の対立の現れとして行われた戦争は、例を挙げればきりがありません。
そこまで過激な行動としては現れていなくとも、特定の宗教団体が他の宗教団体を指して『邪教』と断定し、糾弾の対象にしている例は、現在でも時折見かけられることと思います。
一方、他の国々から見れば『宗教的無節操』とも受け取られかねないほど、宗教や信仰に対して寛容な現代日本ですが、むしろ「それらの宗教を通じてもたらされた霊的知識の断片は、根底の部分で一つにつながっている」と、意識せずとも悟っているような側面が伺えて、とても興味深く感じますが、いかがでしょうか。

また、今回のメッセージでは直接触れておりませんが、霊界から新たな霊的知識が地上界へもたらされる際に、情報の受け手である地上界の霊媒の能力や性質の限界によって、送り手の意図とは異なるメッセージを受け取ってしまう場合、あるいはもたらされた情報の解釈が異なってしまう事例が見られます。
これらについて、当サイトでは以前から(メッセージ34)や(メッセージ35)などを通じて注意を促して参りましたが、場合によっては『霊界との交信が叶った』点に囚われる余り、肝心のもたらされた情報に対する検証が不十分な事例も散見されますので、取り扱いは慎重でありますよう重ねて強調しておきたいと思います。

4 件のコメント:

  1. こちらでは、はじめまして。
    上記で、特定の宗教を信仰していない方々…というくだりが、最後の方にありますが、そのあたりについてお話いただいた記事はありますでしょうか。
    『銀の紐』で、少し前に日月神示や日本の神々と所謂一神教の神との違いがとりざたされていました。私はここで述べられているのとほぼ同じではないかと思うのですが、各教典を注意深く読みそれぞれが正しいとした時にその中に見えてくるところを考えますと、元は一つであると思うに至りました。
    近年になってさまざまな新興宗教が出てきていますが、ほとんどが既存の宗教の焼き直しや、原始宗教の予言の類を織り交ぜて、現代向けに解釈を加えたものです。その多くが政治的な道具として利用されているようにも思います。
    さらに、スピリチュアル系と言われる思想、哲学の分野に於いても、「地球温暖化」のような経済活動をベースにしたものや、ゆるやかな洗脳を意図した極端な自然志向もあります。その多くが元をたどると昔から精神世界分野でセミナー等を行っていた集団関連です。
    もちろん混沌から清水を得て、真実の道を歩んでいる例もあるでしょう。しかし私は、与えられる智慧をしっかり受け止め活用するのではなく、自己の都合に利用している為、本来真理であることが、まるで違う結論へと導かれてしまっていると感じることが多いです。
    この複雑な在り様というのも、日本が精神的なことも物質的なことも、これからを生きる日常の世界でのこととしてバランスよく活用していくための学びなのでしょうか。

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  2. baseheat様

    質問を承りました。
    しばらくお待ち下さい。

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  3. baseheat様

    バチカンの拠点開放に携わる霊団の皆様の回答を預かりました。


    この度は、私どもの都合でお返事が遅くなってしまい、大変申し訳ございませんでした。
    おかげさまで、今では安定して通信作業を行えるようになりました。
    皆様には霊達の育成に長い期間ご協力いただきまして、まことにありがとうございました。
    これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

    真理というものは、皆様がお暮らしの世界そのものであります。
    皆様の世界のあちらこちらに真理が形となって現れておりますので、世の中の出来事や自然の営みなどを注意深く観察する事で、真理に辿り着く事が可能です。
    特定の宗教に属して教義を学ばなくても、日常生活で体験した事や出会った縁などを大切にして、それらの出来事の意味を考えながら暮らすことで真理を学ぶ事が出来るのです。
    己の都合のために真理を利用しておられる方々は、真理の本当の意味が理解できていません。
    字面を追っただけで、理解したつもりになっているのでしょう。
    ですが、それらの人々と接する経験から真理を学ぶ事は可能です。
    真理とは何も特別なものではなく、誰にでも同じ様に作用し続け、皆同じ結論へと辿り着くようにできているのです。
    どのような経験も、全ては真理へと繋がっております。
    因果応報、原因があるからこそ結果があるのです。
    己の行動の結果が真理そのものである事を覚えておきましょう。
    その法則からは誰一人として逃れる事は出来ません。
    結果から真摯に学ぶことが出来れば一歩前進です。
    理解できている真理がまた一つ増え、以前より知識が深くなるのです。
    理解の度合いによって、遠回りをして真理に辿り着く事もあれば、近道を通って辿り着ける事もあるのです。
    思うように物事が運ばない場合は、目を向ける場所がずれているのか、あるいは手順を誤っているなど、自分自身では気付いていない、何か見落としている部分があるということです。
    己の周囲を取り巻く全てのものが鑑であることに気付ける事が、大変重要であると思われます。
    日々経験する全ては真理への道標です。
    日常生活から学び、真理への理解を深める事が出来るように努めましょう。
    日本は過去にも何度も困難に遭いながら、その度に多くを学び、少しずつ知識を蓄積し、真理への理解を深めてゆきました。
    日本が今経験している事柄も、多くを学び、更なる知識を増し、より一層真理への理解を深めてゆくための足掛かりとなる事でしょう。

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  4. お忙しい中、お答えいただき、ありがとうございました。

    今回のお答えを読んでいて、私が日本に生まれ育っていく過程で学んできたことは、特別のことではなく理にかなった流れであるのだと再認識いたしました。
    おそらく日本という磁場は、世界の中でも特別のことをせずとも、自然からの働きかけ、恩恵等が日々受け取れる環境なのだろうと感じていました。それは古来の日本民族の生活様式等日常に反映されているように思います。(とはいえ、人々が意識を向けなくなったためか、うまく機能していないことも増え、人間界的な宗教が流行していますけれど)
    その特質を活かし、本来の人と世界のあり方を、世界に対してもよりよい形で提示し、反映していけるよう、こちらの霊団の方々の支援をうけつつ、自分のできることを日々のなかで行っていきます。

    そちらの皆様も、人々がよりよい道を歩むためご尽力くださいますよう、祈っております。

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