2011年4月29日金曜日

中絶されてしまう子供たち(メッセージ58)

中絶について、先の通信では親の立場から見た考え方や心構えをお話させていただきましたが、今回は、中絶されてしまう子供の視点から見たこの世界のシステムなどについてお話したいと思います。
先に注意しておきますが、決して親がいい加減な考えを持っていても構わないという意味ではなく、この世界のシステムとして、どの様な作用があるのかを説明するものであるという事をご理解いただきたいと思います。

さて、中絶されてしまう子供についてですが、これらの子供達はまだ人間として生きて成長するには経験が足りないために、産まれる前の状態で、人の手により堕胎されてしまうという苦痛の中から、自分自身の命の大切さを学んでおります。
以前に家畜として生きる動物達のお話メッセージ54をさせていただきましたが、その経験だけでは自身の命の尊さを理解するにはまだ足りない部分も多いため、人間として命を宿しながらも早くに命を絶たれてしまうという経験をしているのです。
要するに、この様な命に宿る霊はまだ未熟であり、始めて人間として生を受けたような方々ばかりなのです。
場合によっては何度も繰り返す方もおられるようです。
もちろん、この様な経験をしなくても充分に学んでいる霊もおりますので、全ての方が経験するわけではございませんが。

全ての経験は霊的成熟のために存在しており、それぞれの霊の成長に合わせて肉体や環境が形作られておりますので、どの様な経験をするようになるのかは皆様の考え方次第なのです。
それらの事をご理解いただいたうえで、命が宿ったり失われたりする事について、皆様ご自身でよく考えてみていただきたいと思います。

(2008年1月28日)





このメッセージは、管理人がメッセージ57に対して中絶に関する質問をしましたので、その質問への回答を補足するような位置づけの内容となっております。
ですから、メッセージ57とメッセージ58の内容を合わせて考えることによって、更に関連するこれまでのメッセージを参考にしながら、身体に宿って産まれることについての理解を深めていただければと思います。
なお、メッセージ中にも重ねて注意を促しておりますが、上記の内容が決して中絶を推奨しているわけではないという前提について、改めてここに明記しておきたいと思います。
その点については既にメッセージ57で強調しておりますので、詳細な内容については繰り返しませんが、ぜひメッセージ57の内容を再度熟読していただきたいと思います。

結婚をしないまま子供を出産すること(メッセージ57)

今日は、結婚せずに子供を出産することについてお話したいと思います。

先進諸国といわれる国々にお住まいの皆様は、少子高齢化の波に押され危機感を感じていることと思いますが、まず『何故、産まれて来る子供の数が減少しているのだろうか?』と、考えてみる必要があると思われます。
原因としては、経済的なこともあるでしょうし、個人の時間を大切にしたいというご意見もあるでしょう。
結婚しないで仕事をしておられる方もいらっしゃるようですね。

どのような選択をされても個人の自由ですから、ご自身の行動に責任を持っておられるのであれば何も問題ないことなのですが、結婚せずに子供を産む、いわゆるシングルマザーとなると話は少々変わってまいります。
子供を産むとお決めになりましたなら、その子が成人し、ひとり立ちをするまで責任を持って育ててゆく必要が生じてまいります。
人を一人育てるのですから、中途半端な気持ちでは面倒見切れません。
子供をほっぽり出して逃げることは出来ません。
それらの行為は大変無責任な行為なのですから、例え事情があるにせよ、対処法をきちんと考え決断する必要があります。
もちろん、例え結婚していたとしても同じことが言えるのですが、お一人で子育てをする場合は並大抵の努力では足りないと思われます。
何しろ、父親と母親二人分の役割を担わなければならないのですから。
これは大変な作業です。
父親がいないことで子供がさびしい思いをするかもしれません。
私どもと致しましては、特別な事情が無い限りは、このような形でのご出産はお勧めできかねます。
そのようなご出産を望まれておられる方は、『何故この世界には男性と女性が存在しているのか?』、『何故、男性と女性がいないと子を宿すことが出来ないのか?』と、冷静に考えてみる必要があります。
そこには意味があるから、そのようなシステムで皆様の世界は成り立っているのです。
お一人で育ててゆくだけの覚悟はおありですか?
ペットと共に暮らすのでさえ、きちんとお世話するつもりなら大変なことなのですから、ましてや赤子となりますと、それはそれは大変な作業になってまいります。
良いことばかりではありません。
むしろ大変なことのほうが沢山あるでしょう。
思うようにならなくてイラつくこともあるかもしれません。
拘束される時間が増えますし、遊びたくても遊べなくなります。
当然、仕事も今までのようには出来なくなります。
そのようなことをろくに考えもせずに、『寂しいから…』などの理由で安易に妊娠・出産いたしますと、後で痛い目を見ることになります。
ご自身が罪悪感に襲われるだけでなく、子供にも寂しい、辛い思いをさせる結果になるかもしれません。
子供はあなた方の寂しさを埋める為の道具ではないのです。
それ相応の覚悟が必要であるということについて、よく考えてみてください。

さて、パートナーはいるけど結婚はしないで出産するという場合でございますが、当人同士の覚悟にもよるのですが、このようなケースも私どもと致しましてはお勧めできかねます。
籍を入れる入れないは些細なことのように思えるのですが、たかが紙切れ一枚の約束事でも、互いに対する責任感が違ってくるものなのです。
結婚することで家族であるという意識がよりいっそう強くなり、互いに対する責任感がまし、少々のことでは動じにくくなるものです。
結婚はぜずにご出産をご検討中のカップルの皆様には、是非これらの事柄について考えてみていただきたいと思います。

子供の数が減ったからといって、沢山産めばよいというものでは無く、原因をきちんと考え結論を出す必要があるのです。
形にとらわれない出産を奨励しすぎますと、辛い思いをしながら生きてゆかなければならない子供が大勢出てくる可能性があります。
そんなことをして人口を増やしたところで意味は無いと思われます。
皆様それぞれにいろいろな事情を抱えながら子育てされておられますので、一概には言えないのですが、出来ることなら、ご両親の愛情に包まれながら安心して暮らせるご家庭でもって、子育てに励んでいただきたいと思います。

とは申しましても、あくまでもお決めになるのは皆様でごさいますから、どのようなご決断をされましても、決めた以上はやり遂げる覚悟を持って子育てに励んでいただきたいと思います。

(2008年1月18日)





このメッセージは、メッセージ19メッセージ20の内容を踏まえた上で、現代社会に見られる様々な子育ての形についての、霊的視点から見た意味合いについて述べられております。
一昔前の社会とは違って、現代では様々な親子の関係や家族形態が存在しており、そのいずれの形態であっても、比較的寛容に受け入れる社会的な仕組みが整っていると言えるでしょう。
しかし、その様に一見多様な選択肢が用意されている社会にあっても、子育ては父親と母親が協力して行なうのが望ましい――それが霊界側の基本的見解であるようです。
ここで一応念のために断っておきますが、「どの様な事情があれ父親と母親が対になっていなくてはならない」と言うのではなく、個々の事情によって様々な出産や子育ての形があってもよいのですが、単身で子育てをするのは苦労も多く、難しい面が多々あります。
その様な状況下で子供を立派に自立へと導く為には相当な覚悟が必要であることを、特に自らの意志で単身のまま出産・子育てを希望される方に考えていただきたいと思います。
子供はあなたのおもちゃやペットではありません。
途中で嫌になったからと言って、安易に投げ出してしまうわけにはいきません。
それでも、あなたは単身のままで出産や子育てをしたいですか?





メッセージ57-2


先のメッセージに加えまして、代理母出産についてお話したいと思います。

代理母出産をお決めになる皆様は、不妊症の為になかなか子宝に恵まれず、不妊治療を行っても成果が出ない為に、苦渋の末ご決断されていることと思います。
我が子をその腕に抱きたいと思われるそのお気持ちは、とても自然なことだと思います。
ですが、ここは一つ冷静に考えてみていただきたいのです。
『何故私たちには子供が出来ないのだろうか?』、あるいは『私たちは本当に子供を育てあげるだけの素養が備わっているのか?』と、よく考えてみる必要があります。
人によっていろいろなことが考えられるのですが、子供を育て上げられるだけの力も無いのに子供を欲しがる方もいらっしゃいますから、そのような甘い考えではとても子供を育て上げることなど出来ません。
ご自身の成長を考えるのが先です。
あなた方が成長を遂げ、子育てを通して学べる段階まで到達すれば、自然に子を授かることが出来るのです。

もう一つ考えられる可能性としては、あなた方が血縁関係に頼らなくても十分に人を育ててゆける素養が備わっている、すなわちそれだけ霊的成長が遂げられておられるということです。
何故血の繋がった子供を育てる必要があるのかと言えば、そのほうが自然に愛情が芽生え、責任を持って育てやすいからなのです。
したがって、あなた方に子供が出来ないのは、血縁関係にこだわるのではなく、親を必要としている子供たちと接し、愛情を注ぐ中で学び成長出来る段階にあり、本当の家族のあり方を理解する機会が設けられているのです。

そのような理由から、私どもと致しましては代理母出産はあまりお勧めできません。
物的側面にこだわり過ぎたまやかしに過ぎないからです。
まずご自身の足元をしっかりと見据え、『今の私には何が必要なのか?』や『私を必要としてくれている存在がどこかにいるのではないか?』、あるいは『本当に私に子育てが出来るのか?』と、今一度冷静に考えてみてください。
あなた方が今現在置かれている状況の背後にある意味について、よく考えてから決断していただきたいと思います。
血の繋がりにこだわり過ぎるのは、ご自身の単なるエゴなのだということを忘れないでください。

もう既に代理母出産をされた方もおられると思いますが、その為に生じた苦難はあなた方ご自身が引き寄せたものであり、理解しない周りの方々が悪いというわけではないことをよくご理解いただきたいと思います。
少々厳しいことを言うようですが、それらの事柄はあなた方の身勝手により生じた結果なのです。
もしあなた方が苦難に遭われて、子供が悲しい思いをする事になったとしたならば、子供を巻き込み、大変な思いをさせているのもご自身なのだということを忘れないでいただきたいのです。
理解を示さないように思われる周りの方々に対して、決して責任を押し付けることがないようにしてください。
そう思っているのはあなた方ご自身の身勝手な考えによるものなのだということを、よく覚えておいていただきたいと思います。
とは申しましても、せっかく授かった命ですから、代理母出産により授かった子供を育てておられる皆様には是非、どのようなことがあっても挫けずに子育てに励んでいただきたいと思います。

皆様にとりましてはかなり厳しい発言となってしまいましたが、「霊的観点から見ますとこのように考えられますよ」という一つの意見として、参考にしていただけたらと思います。

(2008年1月19日)





管理人は、個人的には「代理母出産は親のエゴに過ぎない」と思います。
もちろん、代理母出産の前段階である「不妊治療」についても同様の見解です。
それから、「血を分けた子でないと愛情を注げない」という認識も誤りです。
ですが、実際に不妊治療をされ、代理母出産に踏み切られた方々もそれなりの苦悩を重ねた上での決断なのでしょうから、それ以上はあえて申しません。
また、その決断が後々どの様な結果を招いたとしても、生まれてきた子供に罪はありません。
苦労を重ねてようやく手に入れたわが子なのですから、このメッセージなども参考にしながら、立派に育て上げていただきたいと思います。

なお、メッセージ57とメッセージ57-2に関連して、これまでの霊界通信でも取り上げられている『中絶についての霊的視点から見た見解』についても言及する必要があると考えましたので、以下の質問に対する回答を得ました。





メッセージ57、57-2に対する質問と回答


[質問]

様々な出産や子育ての形について、霊的視点に基づいた見解を述べていただきましたが、私も基本的にはその通りだと思います。
ところで、メッセージには盛り込まれていなかったのですが、出産に関連して中絶についての見解を伺いたいと思います。
『シルバーバーチの霊訓』には、中絶について『基本的には賛成出来ない』とあります。
人間が生まれる為の準備――つまり魂と肉体との融合は受胎の瞬間から始まっているのであって、中絶は人間として生まれるプロセスを強引に遮断する行為であり、殺人行為に等しいとの見解です。
私も基本的にはシルバーバーチの見解に同意するのですが、メッセージ38(因果について)やメッセージ54(環境問題の本質について)を考慮に入れると、シルバーバーチの説明では物足りない部分がある様に思うのです。
そこで、中絶に対する霊的視点からの見解について、シルバーバーチの説明に何か付け加える点があれば、教えていただけますか。


[回答]

中絶についてでございますが、霊体が肉体に宿るプロセスとしてはご指摘の通りで、私どもと致しましてもあまりお勧めできません。
確かに、因果のために早くに亡くなる方もおられますが、だからと言ってご両親の考え方がいい加減では困ります。
『この子が中絶されるのはこの子自身の因果の結果なのだ』などと、ご自身の都合の良いように考え、安易に中絶の道を選ぶことは、霊的に見ましてもあまり好ましい考え方ではありません。
因果によって死亡してしまう子は、例えどんなに大切に注意して育てていても死亡してしまうのです。
ですから、中絶することと、お腹の子自身の因果を安易に結び付けて考えてしまうのは問題が大きいと思われます。
それらの考えは欺瞞以外の何ものでもありません。
例えどのように短命の子が産まれてきた(あるいは流産する)のだとしても、生きている限りは惜しみない愛情を注ぐ覚悟が必要なのです。

そもそも、ご自身の都合で子の命を軽んじるようないい加減な考えを持った何の覚悟もない方々が、異性と交わりを持つなどあってはならないことなのです。
異性との交わりは遊びではないのです。
互いに対して責任をもつ覚悟を持った方々が、愛情を確かめ合い深める為の行為であり、決して欲望を満たす為だけの行いではないということを忘れないでいただきたいのです。
男女の交わりは欲望の為だけに行われてはならない行為なのです。
それらの行為により何故、子を授かるのかをよく考えてみる必要があります。
そのシステムにはそれなりの理由があるのです。

皆様の暮らす世界では、男女の交わりを持つ年齢が年々低下し、何の知識も覚悟もないまま妊娠し、中絶あるいは産んでも育てきれずに子を悲しませてしまう事例が増えているようですが、皆様が子育てをする時にきちんと男性としてあるいは女性としての最低限の心得を教育していればこのようなことは減るのです。
学校の成績が大切なのではありません。
その子たちが大人になった時、社会の中で自立して生きてゆくための知識と知恵の方が余程大切なのです。
その為には幼い頃から最低限のマナーやルールを守れるように教育しなければなりませんし、不安を感じたり萎縮してしまわないように、たっぷりと愛情を注ぐことも忘れてはなりません。
子は親を手本として物事を学び、行動するための判断材料にすることが多いので、親自身が普段から慎みを持ち、程度をわきまえた暮らしを心がける必要があるのです。
子は親の鏡であり、親は子の鏡であるということを忘れないでください。

少々話がそれてしまいましたので、戻したいと思います。
レイプにより妊娠された場合でございますが、出来れば中絶ではない選択をしていただけると良いのですが、とても愛情をもって育てるのは難しいと思われます。
産んでから里子に出すという方法もありますが、被害に遭われた方ご自身が中絶を望むのであれば、それは仕方のないことと思います。
ご自身の意思で行われたことではないからです。
愛してもいない酷い事をした男性の子を、お腹の中で十ヶ月間育てることを考えれば、苦痛でしかないでしょうから。
もちろん、それらの被害に遭われる方は因果の結果によるものなので、それらのことをきちんと理解して、これからご自身の成すことをきちんと考え、覚悟を決められるのであれば中絶しないことをお勧めします。
どのような形で宿ったのであれ一つの命なのですから。
ご自身で納得できるのであれば、是非産んでいただきたいと思います。

以上のことを考慮に入れた上で、出産や中絶についてよく考えてみていただきたいと思います。

(2008年1月21日)





当初私が意図したものとは別の――シルバーバーチらこれまでの霊界通信で述べられている見解を踏襲する――回答となってしまいましたが、霊界側の意向としては、人間の理解度が不足している状態で、安易に人間の勘違いを誘うような説明をするべきではないと考えたので、あえてこの質問には正面から対応しないのだと理解いたしました。
ですから、中絶についての詳細な疑問点に対しては、現時点ではこれ以上深く立ち入るべきではないと思いますので、当面の間は保留にしたいと思います。

また、この[回答]に添えて、メッセージ57、57-2を補完する追加のメッセージが届きましたので、そちらを紹介してこの項を終えたいと思います。





メッセージ57-3


結婚という形にこだわることを奨励したり、代理母出産という物質にこだわることをお勧めしないという、一見矛盾しているように思えることを何故お話したのかを、先のメッセージに加えましてご説明させていただきたいと思います。

本来ならば、責任をもって行動できるのであれば、結婚という形にこだわる必要はないのですが、皆様の成長度合いを考えた時に、ある程度の約束事が必要であると判断いたしましたので、あのようにご説明させていただきました。
『結婚しても、自分の身勝手で浮気や離婚をする人も多いじゃないか! だから結婚なんて無意味だ!!』と思われる方も大勢いらっしゃると思いますが、良く考えてみていただきたいと思います。
何故、浮気や離婚という決断を下してしまうのでしょうか?
人によっていろいろ理由はあるようですが、私どもの目から見ますと、そのような決断をされる方の多くは、婚姻関係にあるための(あるいは親であるという)責任に耐えかね、己自身を保つことが出来なくなってしまったために、そのような逃げ道を作られたようにしか見えないのです。
これらのことからもお分かりになると思われますが、『たかが紙切れ一枚の約束事』と皆様がお思いの婚姻届には、それだけ大きな効力があると私どもは思うのです。
それは、家族に対する責任の重みであり、とても大切なものだと私どもは考えております。
上記のような理由から、結婚された方が責任感を持ちやすいという意味でお勧めしたのです。
もちろんそのような形にこだわらなくても、きちんと責任をもって子育てをしてゆけるという方に、無理にお勧めしているわけではございませんから、皆様ご自身でよく考えて、より良い方法を探してみていただきたいと思います。

代理母出産に関しましては、先のメッセージで説明が尽くされておりますので控えさせていただきたいと思います。

(2008年1月24日)

人権擁護法案について(メッセージ56)

今回は人権擁護法案についてお話したいと思います。

まず、皆様に考えていただきたいのは、『人権とはどのようなものなのか?』ということなのです。
それがはっきりしないうちにイメージや思い込みで定めてしまっては、弊害以外の何ものにもなりません。
人権擁護法自体が、人権侵害をしかねない状況に陥る危険性があるのです。
それでは法を定める意味がありません。
法は全ての人を対象として考えた時、初めて正常に機能するのです。
一部の人々が上手いこと利用して、思い通りにするためのものではありません。
それらのことを理解した上で定める必要があります。
その為には、政治家の皆様だけに任せてしまうのではなく、皆様国民一人ひとりが関心を持ち、おかしなことにならないように見張る必要があるのです。
そして、必要であるならば声をあげることです。
今まではそのような活動をされる方は限られていたのですが、最近は徐々に増えつつあるようです。
これらの関心の高まりは、皆様が霊的に成長している証なのです。
これからも関心を持たれる方が増えてゆくでしょう。
今は、日本が世界の中の一国として戦後から抜け出し、新たな一歩を踏み出す為の過渡期なのです。
ですから、問題が次から次へと噴出するのは当然の成り行きといえるでしょう。
皆様はそれらの問題を解決してゆく中で、多くの事柄を学び、新たな一歩を踏み出すのです。
その時が来るまでは、今しばらく大変な時期が続くでしょうが、どうか挫けることなく邁進していってください。
私どもも、皆様が霊的に成長出来るようにと、出来うる限りのお手伝いを心がけております。

少々話がそれてしまいましたので戻したいと思います。
人権というのは読んで字のごとく、人に与えられた権利の事を指します。
それは全ての人に適用されなければなりません。
例え、罪を犯した人であっても、人権は守られなければなりません。
人権と罪に対する罰則は切り離して考えてはなりません。
あくまでも人権を守った形で罰則も定める必要があるのです。
そこを勘違いいたしますと大変なことになってしまいますので、注意が必要です。
かえって秩序が乱れて、暮らしにくい世の中になってしまうのですから。
人を陥れるために利用できるようなあいまいさを持った法を定めても弊害が生じますので、注意が必要です。
皆様のご懸念はこのあたりにあるようですね。
一部の方たちの良いように利用されかねないあいまいさが危うさとして、皆様の気持ちを突き動かしているのでしょう。
それらのお考えは、霊的に見ましても尤もなご意見といえますので、これらの事に気付き危機感を抱いている方々は、是非、『どうしたら改善されてゆくだろう?』と現状で出来ることを考えてみてください。
そして実現に向けて活動してみてください。
あなた方がそれらの活動をする時、必ず霊界からのサポートがあります。
皆様がこれらの問題に関心を持って活動することは、私たちにとって喜びであり励みになるのです。
私どもの働きかけが皆様の心に浸透している証でもあるのですから。
これらのことを考慮に入れた上で、人権を擁護することについて是非考えてみてください。

(2008年1月15日)





このメッセージについては、特に説明を追加しなくてはならない点はないと思います。
人権擁護法案については、現在既に問題意識を持たれている方がかなりおられるようですし、問題点についての認識もほぼ霊界側の見解と共有できるのではないでしょうか。
なお、ここで注意しなくてはならないのは、現行の『人権擁護法案』が何らかの問題を抱えているとはいえ、その問題点を解決できるような形で、実際に行われている人権侵害を救済する何らかの仕組みを構築する必要があるのか、ないのか――という点です。
現時点で人権侵害が行われていて、救済の仕組みが整えられていなければ、早急に整備する必要がありますし、いわゆる『人権利権団体』の言いがかりが100%であれば、まともに取り合う必要はありません。
人権擁護法案の取り扱いについては、現在の実態に即した対処をする必要があると思いますので、感情的にならずに冷静な判断を心掛けたいものです。

永住外国人地方参政権について(メッセージ55)

日本に在住しておられる外国籍の方々に、地方参政権を認めることがどういうことなのかについて、お話させていただきたいと思います。

まず皆様に考えてみていただきたいのは、国に対する責任の重さの違いについてです。
日本国籍をお持ちの皆様であれば、例えどのようなことがあったとしても、法で定められている責任から逃れることは出来ません。
ですが、外国籍の方々は、ご自身の都合が悪くなったら本国へ帰ることも出来ますし、どこか他の国へ移住したところで、何の責任も問われることは無いのです。
国民としての責任が無い為、逃れることが可能なのです。
日本国内に在住している間に、外国の方に対して定められた法を守ればよいだけなのです。
日本国籍を持っておられる方々とは別の枠組みで考えられ、負っている責任も少ないのです。
にもかかわらず、日本国籍を有しておられる方々と同じ権利を欲するというのは、お門違いというものです。
国家間同士で共通の法を定め、同じフィールド上で物事を考えられるだけの信頼関係や、協力体制がシステムとして出来上がっている場合は別でしょうが。

権利が欲しければ帰化すればすむことなのです。
そこには国民としての責任が伴っているのですから、当然の権利といえるでしょう。
帰化できない場合もあるでしょうが、それはその方が信頼に足る人物と判断されなかったからであり、許可しない日本が悪いというものではなく、信頼していただけないご自身の未熟さや身勝手な考えに気付く必要があるのです。

私どもが、外国籍の方と日本国籍を有する方を明確に分けて考えるのは何故かと申し上げれば、責任の重みや国に対する思いに違いがあるからなのです。
乱暴な言い方をすれば、外国籍の方は在住国に対して多少いい加減な考えで暮らしていたとしても、いざとなれば捨ててしまえばよいのです。
そのような方々に参政権を認めれば、政策に口をはさんだ挙句、結果として国に混乱が生じた場合、居心地が悪くなれば責任をとらないで逃げてしまうでしょう。
例え地方参政権だからといって、甘く考えてはなりません。
それぞれの地域が集まって一つの国家を形成しているのですから、国政とも無関係ではないのです。
これらは外国籍の方々全てに当てはまる訳ではありませんが、わきまえておられる方はそのような無理な要求はしないのです。

もし(外国人に)参政権を認めるのであれば、日本国民と同じだけの責任を負っていただく必要があるでしょう。
でもそのようなことになれば、もし戦争などがおきた場合、日本国民と同じ責任を負っているわけですから、日本の方々と共に戦う必要がでてきます。
もし争っている相手の国が外国籍を持つ方の本国であった場合には、親兄弟に銃を突きつける結果になるのです。
同じだけの責任を負うというのはそういうことだと思われますが、皆様はどうお考えになるでしょうか?
外国籍を有していながら日本国民と同じだけの権利を認めてしまうのは、今の世界情勢ではとても難しいことなのです。
もっと皆様が霊的に成熟し、互いに尊重しあえる関係を育んだ時、初めて実現するでしょう。
長期的に見ればとても良い考えなのですが、今の世界情勢や、皆様の状況を考えた上で決断する必要があるでしょう。

以上の事柄について、皆様によく考えてみていただきたいと思います。

(2008年1月12日)





これは以前メッセージ15メッセージ26メッセージ39とも非常に関係の深い、『外国人地方参政権』についてのメッセージです。
この問題については、既に関心を持って危機感を募らせている方々の認識と、基本的には多くの部分で重なるのではないでしょうか。
この問題について管理人から一言申し上げますと、『国籍の意義』について考えを深めていただきたいと思います。
それから、外国人への参政権付与推進派の方には特に考えていただきたいのが、外国人に参政権を与える対価としての義務は、一体何かということです。
日本国民は国家と一心同体である為、国家と運命を共にする――という義務を負っております。
ですから、国民は自分自身の身を守る為に、国家の繁栄に尽くさなくてはなりません。
それでは、(例え永住者とは言え)外国人に日本国民と同様の義務を負わせることが出来るでしょうか。
国民が負っている義務を課さずに、国民と同様の権利だけを付与するのは、不当な外国人優遇であり、日本国民に対する『差別』ではないのでしょうか。
ましてや、日本の国政を司る国会において、この様な政策を推進する日本人(国会議員)が少なからず存在する――そんな日本の危うさについて、主権者である国民一人一人がよく考えてみる必要があると思います。

環境問題の本質について(メッセージ54)

環境問題の本質についてお話したいと思います。

皆様が暮らしておられます地球の環境についてでございますが、皆様がほんの少し間違った行動をとられたからといって壊れてしまうようなものではございません。
皆様が、怪我をしたりウィルスなどにより病気になるのと同じようなもので、回復することは可能なのです。

皆様は人間とそれ以外のものを別々に考えてしまう傾向にあるようですが、この世界に存在しているものは皆同じ法則の下に成り立っているのです。
当然、皆様に当てはまることは地球そのものにも当てはまるのです。
よって、現在問題とされている事柄は地球の因果の結果であり、もし消滅するのであればそれは地球という一つの生命体の問題であり、皆様がどのような努力をしたところで回避することは出来ません。
とは申しましても裏を返せば、皆様ご自身の因果の結果とも繋がるのではございますが。

因果というものは複雑に絡み合い、それぞれに影響を与え合っておりますので、皆様とは無関係とは言いがたく、その環境に置かれているという意味について考え行動してゆくことは、大変重要になってまいります。
ですから、皆様が環境に関心を向け、改善を試み努力してゆくのはとても重要なことですし、これからも暮らしてゆく上で必要なことなのですが、それが過剰になってしまいますと弊害が生じる結果となりますので注意が必要です。
単純に科学技術を手放せばよいという問題ではなく、バランスを保つ努力というものが必要になってまいります。
試行錯誤を繰り返し、地球とそこで暮らすあらゆる生物にとっての『良い加減』というものを見つけ出す必要があるのです。
ここを勘違いなさいますと霊的成長を阻害してしまう結果となりますので、注意する必要があります。

これは地上界を含めました霊界全体に言えることなのですが、目的はあくまでも霊的成長であり、今の状態を維持し続けることではないのです。
皆様を取り巻く環境や状況は日々刻々と変化し続けているのです。
その中にあって、どのように考え行動してゆくのかが大変重要なのであり、環境の変化そのものはあまり大きな問題ではないのです。
皆様がそこに問題意識を持ち、自ら考え行動する為の材料に過ぎないといえるでしょう。

全ては因果の結果なのです。
それらのことに気付く必要があります。
他の誰かの責任ではありません。
皆様一人ひとりが責任を負っているのです。
共に手を取り合い、協力して対処してゆく姿勢が求められているのです。
それが叶わない限り、問題の全面解決の見込みは無いでしょう。
先進国といわれる国々だけに問題を押し付けても意味が無いのです。
皆様は地球という一つの生命の中で共に暮らしているのですから。
それらのことについて冷静に考える必要があります。

そこで、先進技術を持つ国の皆様へお願いしたいのでございますが、それらの技術を丸々与えてしまうのでは意味がありませんので、技術を持たない国の方々も共に参加していただき、新たな技術開発を進め、いずれは自立していただけるようにする方法を考え、実践してゆく必要があると思われます。
そうしてゆくことにより、世界の国々の方々がご自身の問題として捉えることが出来るようになり、霊的成長を促す結果となるのです。
物的な面におきましても、皆様の負担が徐々に減り、共通の価値観を持った国が増え、お付き合いしやすくなってゆくのです。
今現在先進国といわれる国の方々が一方的に責任を負うのではなく、世界全体の問題として共通認識が持てるようになれば、平和な状態を保ちやすくなります。
そしてそれは、皆様の幸せへと繋がってゆくのです。
皆様がこれらの事柄について考え、実践する為のきっかけとしてお役に立つことが出来ましたなら幸いでございます。

(2008年1月5日)





このメッセージには、『地球という一つの生命体』という言葉が出てまいります。
かつて、ガイア仮説を唱えたJ・E・ラヴロックも、地球に対して似たような表現を用いていたと記憶しておりますが、ガイア仮説は地上の生物によって地球環境の自己調整能力が機能している――といった意味合いの説であるのに対して、メッセージの内容は『地球そのものが私たち人間同様に霊を宿した存在である――との意味合いが込められているように思います。
つまり、地球にとっての人間(そして地上に存在する全ての生物)は、人間の体内に存在する細菌類(大腸菌など)のような存在である――そのように示唆しているのではないかということです。
しかし、地球そのものが霊を宿しているという表現は、言わば地球の一部と化している私たちにとっては余りピンときません。
そこで、以下のような質問に対して回答を得ました。





メッセージ54への質問に対する回答


[質問]

最近は、地球温暖化の問題に対する世界的な取り組みの必要性が叫ばれておりますが、このメッセージには『環境問題に対して人間が対処出来る範囲の限界』が示されていて、ある意味衝撃を覚えました。
しかし、あくまでも目的は『霊的な成長を促す』ところにあるのでしたら、仮に人間に宿っている間には努力が報われなかったとしても、環境問題と言う人類に取って大きな壁にチャレンジする意義はあると思います。
とはいえ、地球環境の変化が人間に取っての病気の様なもの――といわれても、余りピンとこない方もおられると思います。
そこで伺いたいのですが、メッセージには『現在の問題とされている事柄は地球の因果の結果』であるとあり、また『地球という一つの生命体』という表現もあります。
この様な表現から連想するのが、イギリスの科学者J・E・ラヴロック氏の提唱した『ガイア仮説』です。
ただ、ラヴロック氏のガイア仮説は、あくまでも地球上の環境を一定の状態に保つ為に様々な生物が一定の役割を果たしている――といった、言わば物的側面の観測に基づいた説でありますが、『地球の因果』とか『地球という生命体』とのメッセージの表現からは、地球も人間同様に霊が物的身体をまとっているとのニュアンスが伺えます。
私たち人間にとって、地球は巨大な岩石の塊という認識が一般的だと思うのですが、地球が私たちと同様の生命体であると言う点について、もう少し詳しく説明をしていただけますか。


[回答]

詳しくご説明しても、まだ理解することが難しいと思われますので、簡単にご説明させていただきます。

皆様の身体を例にして考えることが出来ると思います。
皆様の身体の表面には沢山の細菌が暮らしております。
悪さをするものもいれば、良い働きをするものもおります。
それらの細菌の働きで肌が美しく保たれたり、ひどく荒れてしまったりと、皆様にいろいろ影響を与えているのです。
それらの細菌は、皆様を一つの生命体として意識して暮らしているわけではなく、彼らに取りましては皆様にとっての地球と同じで、ただ大きな台地が広がっているようにしか見えないでしょう。
皆様と同じように、霊的観点から物事を考えることが出来れば、環境が荒らされることで悩み、改善しようと努力するのでしょうが、それらの細菌は生存本能のみにより活動しておりますので、大地が荒れようが何だろうが、ただ己の欲望のままに突き進むでしょう。
皆様の身体が朽ち果てる時、それらの細菌は共に滅びるか、また別の世界(他の動物や人間)へと移動して行くのです。
皆様がなさっておられます除菌でございますが、あれは細菌にとりましたら自然災害に他ならず、皆様が暮らしております地上界における洪水や山火事、地震、流行病などと大差ないのです。

厳密に申し上げれば違うのではございますが、大体このようなものだとご理解いただければ宜しいかと思います。

(2008年1月8日)





地球温暖化を始めとした環境問題は、私たちにとって長期的にかなり深刻な問題としてクローズアップされております。
そんなタイムリーな話題でしたので、出来る限り詳しい説明を求めたのですが、上記のように現時点では大まかな説明に留めておこう――という霊界の意向のようです。
きっと今の私たちの霊的知識に対する理解力では、説明を受けても理解は難しいとの判断が働いていると思います。
管理人としては個人的に残念ではありますが、今後霊界よりさらに詳細な説明を受けられるように、霊的知識の習得と実践に日々研鑽したいと思います。





メッセージ54-2(メッセージ54の補足として届きました)


ここからは絶滅危惧種といわれる生物につきましてお話したいと思います。

絶滅が危ぶまれております生物についてでございますが、これらもまた人間が手を下したからといって滅びてしまうようなものではなく、因果の結果といえるのです。
因果と申しますのは、全ての事柄に対する結果として働くもので、善悪や優劣などで捉えることは出来ませんのでそこのところを良くご理解いただきたいと思います。

霊体の成熟度合いに応じ、成長に必要と思われる肉体と環境が用意されているのですから、絶滅してしまうということは、霊的成長の一つの表れであり、この地上界におきましては、その肉体を持って学び成長する必要のある霊がいなくなりましたというサインなのです。
かつてこの地上界において繁栄しておりました恐竜が絶滅したのも、そのような理由からなのです。
この時点で学びきれていない霊に関しましては、別の世界において学ぶことになるのです。
地球も一つの霊を宿した存在ですから、皆様と同じように成長しているのです。
環境が変わり、そこで暮らしてゆける生物が変化するということは、地球自体が霊的成長を遂げている証なのです。
それらのことをよく知らずに、ただ動物保護などと騒いでみても結果が変わることはなく、その肉体で生存する必要が無いとみなされれば絶滅してしまうのです。
とは申しましても、人間が好き勝手をしてよいという訳ではありませんし、そのようなことをすれば因果が生じ、自ら苦難を招く結果となりますので、そこの所を勘違いしないでいただきたいと思います。
他の生命を大切に思い尊重する行為は、大変重要で価値ある考え方ですので、これからもその思いを大切にしていただきたいと思います。

私どもが申し上げたいのは、保護と声高に叫び、他の方々の生活スタイルや文化を無視して自己満足に浸っているようでは、何の意味も無いのですよということなのです。
それはただの欺瞞であり、驕りに他ならないのです。
それらのことに気付く必要があります。

本当に周りの環境や生物のことを考えるのならば、まず全ては同じ法則の下に存在し、同じように因果が働いていることを理解する必要があるのです。
そうでなければ、ただの自己満足で終わってしまうのです。
それらのことは、今までお付き合いいただき、この通信を読まれている皆様ならば容易に理解できることと思います。
今までお伝えしてきたことは、全ての生命について言えることだからです。
自ら考え決断する思考力を持つ存在は、地上界においては皆様をのぞいてはほとんど存在しておりませんから、メッセージにつきましては皆様を対象に送らせていただいておりますが、皆様を取り巻いております法則は、全ての生命に当てはまるのです。
他の生物は生存本能によって考え行動しておりますが、皆様は、生存の為だけではなく霊的な部分に関して考える思考力を持っておリます。
そこが違いとなって表れております。
皆様と共にある動物は皆様の影響を受けやすいのでより霊的成長をしやすく、生存本能のみではなく霊的なものの見方が出来るようになりますので、是非共に暮らしてみることをお勧めいたします。
無闇に保護を訴えるよりは、双方にとりまして余程霊的成長に繋がる行為といえるでしょう。
これらのことをご理解いただいた上で、今後の環境について考えてみていただきたいと思います。

(2008年1月5日)





これは特に動物愛護団体や、特定の生物の保護を強力に推進する方々にとっては、ご自身の活動を真っ向から否定するようなメッセージかもしれません。
しかし、ここではいわゆる物的観点や人間的な感情のみによる判断ではなく、そういった立場にある動物の『霊的成長』という観点からの指摘となっておりますので、動物にとっての『霊的成長とはどのようなものなのか?』ということについて、考えるきっかけにしていただければと思います。
その点について、メッセージをご覧の皆様に理解を深めていただく参考になると考えましたので、以下のような質問に対して回答を得ました。





メッセージ54-2を受けた質問への回答


[質問]

メッセージには、人間が動物と生活を共にすることによって、動物の霊的成長が促進されるとの指摘があります。
最近はペットを家族同然に可愛がる方もかなりおられる様ですが、溺愛しない程度にペットを可愛がるのは、飼い主にとってもペットにとっても良い環境であると言えそうです。
一方、絶滅してしまう生物がいるのは因果の結果であるので、人間が動物保護に取り組んでも防ぎようがない――と、動物愛護に熱心な方々に対して、少々厳しい指摘もされております。
特に、絶滅する生物がいるのは霊的成長が促されている証だ――とする指摘は、今までの人間の認識を根底から覆す重要な視点であると思います。
そこで伺いたいのですが、私たち人間の視点から動物のライフスタイルを見ると、主に以下の四種類に大別出来ると思います。
第一が『人間の手の及ばない自然の中で、自らの力のみを頼りに生きる野生動物』、第二が『生まれてから死ぬまで人間と共に暮らすペットなど』、第三が『野生を残しつつも人間と一定の距離を保って生存する、動物園の動物や野良犬、野良猫など』、第四が『人間が食用として育てる家畜』です。
これらの動物について、霊的な視点から見たそれぞれの立場による違いについて、詳しく教えていただけますか。
特に、家畜の存在――人間が食料とする為に育てられる動物については、複雑な印象を持たれる方もおられるのではないかと思いますが、家畜と家畜を育てる人間についての霊的な視点からみた意味合いについて、説明をお願いします。


[回答]

野生動物についてでございますが、彼らは純粋に物的肉体に宿り、限りある命の中で生き、そして朽ちてゆくという基本的なことを学んでおります。
それがどのようなことなのかを何回も経験してゆく中で、多くの学びを得ているのです。
野性の本能で生きると言っても、種類によってその生態は様々です。
人間に近い仕草や行動、習慣などを持った種の動物は、より霊的に成熟しているといえるでしょう。
仲間との争いを好まず、他の手段で決着をつける方法などを知っている動物などはかなり成長しているといえますね。

ペットについてでございますが、彼らは皆様と共に生き、物的本能のみに頼るのではなく霊的意識に目覚め、後に人間として誕生する為の訓練をしているのです。
だからこそ、皆様と共に仲良く暮らしてゆけるだけの素養が備わっているのです。
彼らは痛みや苦しみ、悲しみ、喜びや楽しみといった感覚をより人間的な形で備えております。
皆様と接することで、より強くそれらの感覚を発現してゆくのです。
それらの経験を通して、自分以外の存在を思いやる気持ちを学んでいるのです。
動物園などで飼育されております動物たちも同様のことが言えるのですが、ペットは皆様の家族的存在なのに対し、動物園の動物たちは家族とまでは言えないので、その分皆様の影響を受ける度合いは少なくなるでしょう。
野良犬や野良猫については、人間の接し方で大分変わってしまいますが、皆に可愛がられ愛されている存在であれば、ペットとして暮らしている動物に近い感覚を得られますし、苛められたり苛酷な環境で暮らすことになれば野生動物に近い感覚になります。

家畜についてでございますが、彼らは今まさに肉体を持ったが故の苦しみや痛みを学んでおります。
人間と接しているので、ある程度霊性に影響を受けます。
飼育されている間は動物園の動物と似たような環境にありますから、それなりに霊的な成長を遂げるのですが、皆様が食する為に命を失いますので、そこで苦しみを味わい、それがどういう意味を持つのかを学んでおります。
霊的観点から物事を考えられるようになった時に、苦しみをもって自身の命の尊さを学ぶ経験を積んでいるのです。
人間として生まれ、より霊的に成長する為には避けては通れない大変重要な経験なのです。

飼育し食す側の皆様は、今他の命をいただくことで体を維持しております。
霊が宿っている存在は、何も動物だけではなく、植物にも宿っており、皆様と等しく命を持った存在といえるでしょう。
ですから、植物は良くて動物は駄目ということはなく、他の生命をいただいて生きてゆくことがどのようなものなのかを、今皆様は学んでいる最中なのです。
これらのことを本当に理解出来るようになれば、ご自身の命を粗末にすることは無くなりますし、感謝する気持ちが生まれてまいります。
皆様が本当の意味で全ての生命の尊さを理解出来るようになった時、初めて他の命を食さなくても生きてゆける方法が明らかになるのです。
そして、ご自身以外の全ての生命に対し、愛する気持ちを持てるようになってゆくのです。
まだそこまで達するには、皆様は知らないことが沢山ございますので、これからも多くの経験を通して学んでゆくことになるでしょう。
今しばらくは、他の生命をいただきながら体を維持していることを通じて、まずご自身の命を大切にしてゆくことが重要であることに気付く必要があるでしょう。
ご自身の命を大切にしていない方が大勢おられるので、そこから始める必要があります。
ご自身を粗末に扱う方は周りの命も粗末に扱うのですから。
ただ食さなくなるだけでは意味が無いのです。
本当の意味で命の尊さを理解する必要があるのです。
それは、今皆様が経験していることを通してしか学ぶことが出来ないのです。

(2008年1月8日)





動物に関してのメッセージでしたので、管理人がかねてから疑問に思っていた点について、思い切って質問してみました。
ある意味私も驚きましたが、この[回答]をご覧の皆さまも同様に感じておられるのではないでしょうか。
家畜が人間の食糧となるのは、家畜に宿る霊にとっては『人間として生まれ、より霊的に成長する為には避けては通れない大変重要な経験』なのだそうです。
一方の人間にとっても、『植物は良くて動物は駄目ということはなく、他の生命をいただいて生きてゆくことがどのようなものなのかを、今皆様は学んでいる最中』なのだそうです。
これまでに地上界に下ろされた霊的知識――たとえば『シルバーバーチの霊訓』を例に取ると、どちらかといえば肉食や動物の殺害を戒める教訓が大半を占めているようです。
特に、医療分野等における動物実験には、強烈な嫌悪感を示していたといってもよいほどです。
しかし、このメッセージ、および質問への回答をお読みいただくと、単純にシルバーバーチの言葉のように割り切ってしまってよいのかどうか、疑問が残ります。
どうかこの点については、メッセージをご覧の皆さまにもぜひ一緒に考えていただきたいと思います。
メッセージの中で説明が尽くされていない点がありましたら、メールフォームよりご質問をいただければ、霊界と相談の上対応させていただきます。





後日霊界より、『シルバーバーチの霊訓』についての言及に対して、一見してこのメッセージとシルバーバーチの間には内容的な食い違いがあるように見えますが、「通信(シルバーバーチの霊訓)が送られてきた当時の時代背景や、当時は命に対する尊さを強く訴える必要性があったこと」など、地上界の状況の変化に応じて表現の仕方を変えているだけで、その根本にある真理の部分に違いはないことを付け加えるように――との指摘を受けました。
以前のメッセージでも触れましたが、シルバーバーチの霊訓が地上界に降ろされた当時より、霊的知識に対する人間の理解が深まっており、以前より詳細な霊的知識を降ろしても理解可能である――との霊界側の判断に基づいていることを抑えておいていただきたいと思います。
人間は(霊的知識の)小学校課程を修了し、中学校向けの新たな教科書(霊界通信)が必要になったのです。

成人される皆様へ(メッセージ53)

成人される皆様へお話したいことがございます。
よく心得ておられる方も大勢いらっしゃると思いますが、あえてお話しようと思います。

成人するということは大人の仲間入りをすることでございますが、いろいろな権利が得られるということはそれ相応の責任が伴うということについて、よく考えてみていただきたいと思います。
あなた方の先輩にあたる多くの方々を皆様の目から見た時、『責任なんて果たしてないじゃないか!』と思えるような方も確かにおられますが、そこで『みんな好き勝手にやっているじゃないか!』と考えて、同じ事をしてしまっては意味がありません。
皆様が『どうせろくでも無い!』と思っている方々と同じ行動をするということは、その“ろくでも無い大人になる”ということです。
軽蔑していながらも、皆様ご自身がその“ろくでも無い大人”として同じ事を繰り返すことになるのです。
そのことを知っておく必要があります。
そこで是非皆様には『自分はどんな大人になりたいのか?』と、冷静に考えてみていただきたいのです。
ご自身の心の声に耳を傾けてみてください。
落ち着いて静かに考える時間を設ければ、必ずご自身の心の声は聞こえてまいります。
そして、聞こえましたらその心に素直になり、実現する方法を考えてみてください。
今すぐに叶えることが出来なくても、一歩また一歩と少しずつ近づくことは可能です。
一朝一夕に叶うことはございませんが、努力を重ねることで実現してゆくのです。
そこで注意しなくてはならないのが苦難も多いということです。
皆様は今多くの経験を通して学び成長している最中なのです。
ですから、時には挫けそうになったり、逃げ出してしまいたくなったりと、いろいろな経験をされると思います。
そのような時は、是非皆様のサポ-ト役として常に力を注いでいる守護霊や補助霊に心の中で話し掛けてみてください。
そのことにより守護霊が働きかけやすくなるので、皆様にとって必要と思われる援助をしていただけます。
そこで一つ注意していただきたいのが、皆様が望む形の援助ではなく、皆様の成長の為に必要な形での援助があるということです。
それらの援助により、勇気と希望が持てるようになり、『もう少し頑張ってみようかな』と思えるようになってまいります。
これらのことについてよく考え、皆様なりの答えを導き出してみてください。

皆様が大人として充実した日々を送り、本当の幸せを感じながら暮らすことが出来ますように。
お付き合いいただきまして、まことにありがとうございました。

(2008年1月4日)





季節柄でしょうか。
年頭に当たって読者の皆さまが心掛けた方が良いと思われること、そして新成人の方々への激励とアドバイス――といったメッセージが続いております。
しかし、いずれも『お正月だから……』とか、『新成人に向けてのメッセージだから……』と単純に切り分けてしまうのではなく、ぜひご自身の立場に置き換えて考えてみて、日頃のご自身の生活を振り返ってみる、一つのきっかけにしていただければと思います。

望みが叶った筈なのに……(メッセージ52)

新しい年を迎え、皆様も新たな気持ちでお過しのことと思います。
そこで一つお話したいことがございます。
『望みが叶ったはずなのに幸せを感じられない』と思っている皆様へお話ししようと思います。
『新年早々相応しくない話題だ』と思われる方も多いと思いますが、新年だからこそ気持ちを切り替え、幸せを感じられるようにとの願いを込めてお話させていただきたいと思います。

さて、『望みが叶ったはずなのに……』とお思いの皆様にお聞きしたいのですが、それは本当に皆様が心から願ったものなのでしょうか?
世間の常識や周りの方々に流された結果“望んでいるつもり”になって、あるいは“本当は嫌”なのに無理をして叶えたのではありませんか?
それらは虚栄心のために叶えたものではありませんか?
もしかしたら、周りにいる方々を無視した行為の結果、叶えられたものなのではないでしょうか?
ご自身の望みを歪めた形で叶えてしまってはいませんか?

これらはほんの一例に過ぎないのですが、当てはまる方もいらっしゃるのではないのでしょうか?
『本当に私は今の状況を望んでいたのだろうか?』と、今一度冷静に考えてみる必要があると思われます。
心の声に耳を傾けてみるのです。
今の時期は、お休みをいただいている方も多いと思いますので、良い機会だと思います。
心の声はとても小さく、世間の常識に囚われ過ぎてしまうと、せっかく聞き取れても無視してしまう可能性がありますので、注意が必要です。
瞑想などを試みるのも良いかもしれませんね。
落ち着いてじっくりと考えてみることです。
心の声が聞こえたら、その声に素直になることです。
そして、『叶えるためには今何が出来るのだろうか?』と、考えてみてください。
一足飛びに叶えることは出来ませんが、一歩一歩近づけてゆくことは可能です。
ご自身の望みを叶えるために必要なことは、“決して焦らない”ことです。
じっくり構え、一歩ずつ階段を上るように着実に歩むことです。
それはとても長い道のりかもしれませんが、少しずつ望みに近づくごとに、心からの喜びを感じられるようになってまいります。
その喜びは、例え苦労の連続であったとしても変わることはありません。
むしろ、より強く感じられるようになるでしょう。
もちろん、その道のりは楽なものではないでしょうし、嫌なことも沢山あるでしょうが、大変な思いをするからこそ、その成果を感じられた時の喜びは一入なのです。
皆様が積極的に努力してゆくことで、守護霊や補助霊も援助しやすい環境が整うので、より多くのエネルギーを皆様にお届けすることが出来るのです。
そのエネルギーは、必ず皆様が苦難を乗り越える上で役立つことでしょう。
はっきり分かるようなものでは無いですし、皆様にはご理解いただけないかもしれませんが、勇気や希望を持てるようになるために、それらのエネルギーがお手伝いをしているのです。
守護霊や補助霊は、常に皆様のお力になれるようにと努め、日々精進しているのです。
そのことを是非覚えておいていただきたいのです。
皆様は一人ではありません。
決して孤独な存在という訳ではないのです。
ただ皆様の五感では感じ取ることが出来ないだけで、いつも皆様のことを思う存在があることを忘れないでいただきたいと思います。
皆様を愛していればこそ出来ることなのです。
皆様は愛されている存在なのだということを忘れないでください。

どうか皆様にとって今年一年が充実した良い年でありますように。
苦難を乗り越え、本当の幸せを感じられるようになりますように。
お付き合いくださり、まことにありがとうございました。

(2008年1月3日)





『望みが叶ったはずなのに……』――そんな思いは、誰もが一度や二度は感じた経験があるのではないでしょうか。
そういう私も以前、同様の経験をした一人です。
その望みの内容は人によって千差万別でしょうが、その望みを叶えるために多くの犠牲を払ってしまった――あるいは、その望みを叶えることによって得られると思ったものが得られなかった――もしくは、望みを叶えた後になって、実はその望みは自分が本心から望んでいるものではなかったと気づく――という場合もあるでしょう。
メッセージではそのような時に『本当に私は今の状況を望んでいたのだろうか?』と、今一度冷静に考えてみる――ことを勧めております。
人間は肉体をまとっているという制約によって、どうしても五感が認識できない要素を軽視、あるいは無視しがちになります。
そして、五感が認識できる対象は、肉体が物質で構成されているために物的要素に限られてしまいます。
これまでに私たちの元にもたらされた様々な霊的知識や、恐らくその列の最後尾に加えられると思われるこのメッセージを通じて、人間の本質は物的な存在ではないこと、そして物的な身体は地上界で経験を積むために一時的に必要な外套に過ぎないこと――を、既に私たちは知識として手に入れております。
そこで、メッセージの言葉にもう一度目を向けてみましょう。
自分自身が何を望んでいるのかについて、もう一度冷静に考え直してみること――つまり、心の声に耳を傾けることにより、これまでは一見理解しているようで実は曖昧だった自分自身の心のうちについて、以前よりは理解が深まるようになるでしょう。
自分自身に対して理解が深まると、自分の本当の望みが見えてきます。
自分の望みというゴールと、自分の現状というスタート地点、そしてスタートからゴールへと至る筋道が明確になってきます。
そうすれば、今の自分が望みを叶えるために何をすればよいのか、おのずと手段は導き出されるでしょう。
慌しく日常生活を送る中で、自分自身の心の声に耳を傾けられるだけの時間をやりくりするのは大変かも知れませんが、正月などのまとまった休日に限らず、定期的にその様な時間を取るように努めたいですね。

2011年4月28日木曜日

歌手の皆さまへ(メッセージ51)

歌手の皆様へお話したいことがございます。

皆様の歌声はヒーリングパワーを秘めております。
聞いている皆様に多くの癒しや勇気、希望などを歌声に乗せてお届けしているのですが、単なる音として届いているだけではなく、魂そのものを揺さぶりじわじわと浸透し癒し続けているのです。
何故人々が音楽を愛するのかといえば、あなた方の歌声そのものにヒーリングパワーを感じ、癒されているからなのです。
外国語で意味がわからない歌であっても心惹かれるのは、五感では感じ取れないもの、霊的な部分でしか感じ取れないエネルギーを感じ取っているからなのです。
皆様の歌声にはそれほどのパワーが秘められているのです。
どうぞこれらのことをご理解いただいた上で、これからも多くの方々に癒しや勇気をその歌声で伝え続けてください。

歌い続けることが皆様の幸せに繋がってゆきますように。
私どもも精一杯の援助をさせていただきたいと思っております。

(2007年12月30日)





この様なメッセージが送られたのは、その少し前に霊媒Mがテレビの音楽番組を見ていたそうなので、その影響があるのかも知れません。
霊媒自身も、「テレビ番組を見たり、インターネットを閲覧したり、誰かと話をしたり、その他自分の体験の中で印象に残る出来事があると、そのテーマについての霊界側の見解が伝わってくる」――ケースがかなりあると述べております。
このメッセージをご覧の方の中にも、音楽に関心を持たれている方は少なくはないと思いますが、「この曲が好き(嫌い)」という印象は、ただ耳から聞く音の要素だけではなくて、歌手がその歌にどのような思いを乗せて歌っているか――その思いが聞き手にとって心地好ければ「好き」、合わなければ「嫌い」という要素も含まれていそうです。
一言でいえば「音楽を魂で聴いている」とも言えるのではないでしょうか。
そういう意味では、それぞれ感度に違いがあるとは言え、ある意味全ての人間は何らかの霊媒的要素を持ち合わせている――ともいえるような気がします。

善悪の意味(メッセージ50)

皆様の世界の置ける善悪の本当の意味について、お話させていただきたいと思います。

簡単に申し上げてしまいますと、善悪というのは皆様ご自身にとって『不愉快』であるのか『愉快』であるのか、『心地が良い』のか『心地が悪い』のかの違いであり、立場が違えば善悪の基準も変わってしまうのです。
それらの事柄に気付かずに、正義のヒーロー気取りで悪と決めた相手に対して制裁を加えるなど、誤った行為に走る傾向にある方々が多いように見受けられます。
皆様の考え方を改めてみる必要がございます。
『相手の立場ならばどう考え行動するだろう?』と予測し、ご自身の置かれている立場と合わせて考えてみる必要があるでしょう。
そうすることで、『善と悪』と言い切ってしまうことは出来ないと気付けることでしょう。
皆、それぞれの立場から善いと思われることを実践しているのですから、表現の拙さや未熟さによる過激な行動はありつつも、それを『悪』と一言で切って捨ててしまうのは思慮に欠けた行為といえるでしょう。

とはいえ、皆様が安心して暮らす為には秩序をある程度保つ必要がありますから、一定の枠でルールを設け、それに違反した場合の罰則が必要になってくるでしょう。
皆様一人ひとりの秩序に対する認識が高まってまいりますと、ルールや法律などで制限を設ける必要も徐々になくなってまいります。
これらのことを考慮に入れて『善悪』についてよく考えてみてください。

一日も早く皆様の世界が一つとなり、争いの無い平和な日々が訪れますように。
私どもも出来うる限りの援助を心がけつつ、皆様を応援しております。

(2007年12月29日)





管理人も前々から『善悪』の欺瞞に気づいておりましたが、まさに『我が意を得たり』のメッセージだと思います。
この様な認識をもたれている方も少なくはないと思いますが、この機会にぜひもう一度『善悪』とは何なのかについて、考えてみてはいかがでしょうか。

他人の意見を冷静に聞けない方へ(メッセージ49)

『なかなか他の方々の意見を冷静に聞く事が出来ない』という方々に、お話したいことがございます。

ご自身とは別の意見を持っておられる方に対し、『否定された』や『拒絶された』あるいは『馬鹿にされた』、『嫌われた』、『攻撃されている』などと思ってしまってはいませんか?
相手の方はそのようなつもりは無いのに、そのように思えてきて、それ以上聞くことが恐ろしく、あなたご自身が相手の方を拒絶してしまい、その結果関係が悪くなるということがあるのではないでしょうか。
否定されると思うと恐ろしくて、ご自身を守る為に相手の方を突き放し、きつく当たってしまわれてはいませんか?
それでは何時まで経っても相手の方と良い関係は築けませんし、何より何時までも理解することも、理解されることも叶わないという結果になってしまいます。
それではあなた方の霊的成長が損なわれてしまいます。
何故かと申しますと、ご自身と同じような考えを持つ方や、賛同していただける方としか付き合わなくなってしまうからです。
よって、他の考えに接する機会が減り、気付ける事柄も限定されてしまうのです。
もし、家族や会社に考えのあわない方がいたとしても、ご自身で拒絶してしまうので結果的には上記と同じことになってしまうのです。

本当にあなたは嫌われてしまったのですか? 本当にあなたは否定されているのですか? 本当に馬鹿されているのでしょうか? 本当に敵意を向けられているのでしょうか?
時間をおいて冷静に考えてみる必要があります。
相手の方は、あなたと親しくしたいと思っておられるかもしれません。

これらの思いが皆様の心を支配してしまうのは、因果が生じている結果と考えられます。
それは今生においてかもしれませんし、前世の記憶によるものかもしれません。
以前の通信で因果について詳しくご説明させていただいておりますので、そちらもあわせてお読みいただき参考にしていただければと思います。
今のままでは理解されず苦しいだけだと思いますので、是非これらの通信について考えてみてください。

皆様が、恐怖や苦しみから解放され、本当の幸せを感じられますように。

(2007年12月29日)





メッセージでは因果について言及しておりますので、メッセージ38を参考にしながら、あなたがそのように思ってしまう理由について考えてみましょう。
もしあなたが本当に嫌われたり、否定されたり、馬鹿にされたり、敵意を向けられていると感じているのであれば、それは以前あなたが誰かに対して行なった行為の結果かもしれません。
つまり、あなたは以前そのような行為を犯してしまったために、誰かをひどく傷つけてしまった――その行為を後で悔い改めようとしたのでしょうが、その贖罪意識が強く作用している為に、今度は『自分がその様な目に遭うのではないか?』と、逆にありもしない被害妄想に悩まされるようになってしまったとは考えられないでしょうか。
人間、そして霊はそれぞれが独特の個性を持っているのですから、他の人が全てあなたと同じことを考えているわけではありません。
しかし、自分とは違う考え方、違う見方の方々との接触を通して、それ以前には得られなかった新たな経験を積むことができるのではないでしょうか。
そして今までの自分にはなかった新たな知識と経験を吸収する行為こそ、私たちが生まれた目的である『霊的成長』につながるのではないでしょうか。
どうか勇気を持って、あなたの成長のための第一歩を、私たちとともに踏み出してみませんか。

いつも忙しくて心休まらない方へ(メッセージ48)

『なんだか知らないけれど何時も大変だ!』や、『心休まる時が無い!』と思われている方々へお伝えしたいことがございます。

他の方に任せることが出来ず、何でもご自身で抱え込んでしまってはいませんか?
人に対して親切にするあまりに無理をしているのではありませんか?
あなたが抱え込んでおられる事柄は、本当にあなたでなければ解決出来ないものなのでしょうか?
あなたの周りには、力になっていただける方が本当にいないのでしょうか?
他の方に任せてしまってもよいものまで、ご自身だけで何とかしようと無理をしていませんか?
そのようなことを何時までも続けていては、あなた方ご自身が精根尽き果て、病に倒れてしまうのではないのでしょうか。

率先してなんでも積極的に行う姿勢や、他の方を思い、自ら荷を背負うというのはとても素晴らしい心構えですが、それらも度を越してしまいますとあなた方ご自身が疲れ果ててしまい、周りの方に辛く当たってしまう結果となります。
それでは、せっかくの親切も、相手の方にとっては不快で恩着せがましいものになってしまいます。
それに、そのように思ってしまうということは、あなた方ご自身の心の中に驕りの気持ちが芽生えている危険信号なのです。
相手の方に尽くしているにもかかわらず、感謝されることも無く、出来て当たり前のように思われることを腹立たしく思い、もっと分かって欲しいと要求するのでは何の解決にもならず、ご自身が辛い思いをするだけなのです。

あなた方々に大切なのは、もっと周りの方を信頼して、ご自身の手がまわらない事柄に関しては協力をお願いすることです。
その際、重要なのは相手の方に完璧を求めないことです。
あなた方ご自身も、全てのことを完璧にこなせるわけではないのですから。

『そんな事言ったって他の人には出来るはずが無い!』と思われる方もおられるかもしれませんが、本当にそうなのでしょうか?
お任せしてみたことはありますか?
あなた方が思われるほど、周りの方々は本当に駄目で無力なのでしょうか?
それらの事柄について、もっとよく考えてみる必要があります。
もしお任せしてみて問題が生じたならば、その都度話し合い解決してゆけばよいのです。

霊的な観点から見ますと、このように何でもご自身で抱え込んでしまう行為は、他の方の学びや気付きの機会を奪ってしまう危険もあるのです。

少々頑張りが過ぎるようですので、もう少し肩の力を抜いて、気を楽にして過ごしてみても良いのではないでしょうか?
これらの事柄についてよく考えてみてください。

(2007年12月29日)





このメッセージに心当たりのある方は、恐らく『完璧主義者』もしくは『潔癖症』の方ではないでしょうか。
身のまわりの何もかもが『自分の思い通りにならないと気がすまない』――そんな方のような気がします。
そんな方にはぜひ、メッセージ16を合わせて読まれることをお勧めいたします。
あなたが『この人は何をやらせてもどうしようもない』と思われている方が、実はあなたにはない素晴らしい一面を内に秘めており、ただあなたがそれを見抜けないだけかもしれませんよ。
一見あなたは完璧に行なったと思った事でも、他の人が見たら抜け落ちている部分が幾らでも見つかるかもしれません。
その様な可能性について、考えられたことはございますか?
また、メッセージ30や、メッセージ45も、これまでのあなたの思い込みについて、改めて考えるきっかけを与えてくれるかもしれません。
人間、そして霊はそれぞれが独特の個性を持っているのですから、他の人にあなたの全てが理解できないのと同じように、あなたも他の人の全てを理解できるわけではないのです。
どうかその点について考えを深めていただきたいと思います。

類魂について(メッセージ47)

類魂について分かりやすくご説明したいと思います。

大きな枠で考えますと、私どもも皆様も同じ類魂団に属していると言えるのでございますが、小さな枠で考えますと、別の類魂団に属するとも言えるのです。
これらのことを分かり易く例えるとするなら、皆様の世界における血縁関係に例えることが出来ます。
親戚一同を同じ類魂団と考えれば、叔父や叔母がそれぞれに築いた家族も同じ類魂団に属しているということになりますが、一家族の単位で見れば、同じ類魂団の一員と言えるのは親や兄弟のみということになるのです。
そのようにして一つの類魂団の中に無数の類魂団が存在しており、どこを起点として捉えるかで見え方も変わってくるのです。
ですから、ある意味地上界の皆様全てが同じ類魂団に属しているとも言えるのです。
これらのことを踏まえた上で、良好な人間関係を築いてゆけるように努力を重ね、いずれは世界全体が平和で満たされるように尽力していってください。
私どもも出来うる限り皆様の成長のお役に立てるように、これからも努力を重ねてゆく所存でございます。
これらの事柄について皆様でよく考えてみてください。

(2007年12月28日)





類魂説についてはマイヤースの『永遠の大道』に説明がありますが、こちらのメッセージの方が簡潔に分かり易く説明されているようにも見えます。
もっとも、類魂説一つを取り上げても、現在の私たちの成熟度では理解力に限界がありますので、より詳細な事情を知ろうとすれば、肉体の拘束から解き放たれる必要があるとも思いますが、大まかなイメージとしてはこのメッセージの説明で尽くされているのでしょうね。
類魂説について興味を持たれた方は、両者を読み比べて理解を深める材料にされてはいかがでしょうか?

薬害肝炎問題について3(メッセージ46)

薬害肝炎問題を受けて、今後政府が考えてゆかなければならないことについてお話したいと思います。

今回の問題は、いろいろな事情が絡み合っているようではございますが、政府や官僚の認識の甘さから生じたことのように見受けられます。
今回の騒ぎは良い教訓であり、この経験を通して学び、今後同様の事柄が生じた際の具体的な対応策や、基本方針などを考えてゆく必要があると思われます。
最初から完璧を求めるのではなく、不都合が生じたらその都度修正を加え、より良いシステムを作り上げていくといった方法がよいでしょう。
そうして試行錯誤を繰り返す中で、より良い発見や気付きが得られるのです。

皆様は日本国民の代表者なのですから、そのことを肝に銘じ、活動してゆく必要があるでしょう。

もう少し、国政について国民の皆様にご理解いただけるように説明してゆく必要があります。
今のマスメディアの体制には問題が多いようでございますから、そのあたりにも手を加える必要があるように思われます。
国民の皆様にもう少し関心を持っていただけるような方法を考え、国家全体で考えてゆく必要があるでしょう。

これらの事柄について皆様に是非考えてみていただきたいと思います。

(2007年12月28日)





メッセージ42に続いて、こちらも薬害肝炎問題に対するメッセージとなります。
とはいえ、こちらは薬害肝炎問題に対する政府の取り組みについての意見でありまして、メッセージ42と比べるとかなり穏やかな様子が伺えます。
もちろん、政府にも責任の一端があると言う事実は拭いようもありませんが、その後の対応として、政府は拙いながらも問題解決を図るために努力している――という姿勢に対する霊界の受け取り方なのでしょう。
同時に、私たちに対して『日本の主権者は日本国民である』という自覚を促す指摘や、マスメディアの問題についても触れられております。
マスメディアについては既にメッセージ11に尽くされていると思いますので、ここでは繰り返しません。
しかし、マスメディアの問題を含めて、日本を取り巻くあらゆる問題について私たち一人ひとりが自覚と責任を持って、それらも自分の問題であるという認識を持って対処していく必要がある――と、やんわりとではありますが叱咤激励を受けたような気持ちになりました。

本当に愛するということ(メッセージ45)

本当に愛するということについて、お話させていただきたいと思います。

地上界も含めて、霊界全体は深い愛の上に成り立っております。
この世界は、みな同じ法則の下に存在し、その深い愛に包まれております。
皆様が考えておられるよりも、もっと広く深い知識の基に成り立っております。
『それなら何故、大変な時に助けてくれないんだ!』と思われるかもしれませんが、ほんの一部分だけを切り取ってみて、判断を下してしまうのはとても危険な行為なのです。
厳しいように思われるかもしれませんが、例え皆様が苦しんでおられたとしても、広い視野で見た時に、皆様の成長に繋がると思えばこそ、遠くから見守りつつ必要と思われる援助のみをご提供し、救うことはしないのです。
救うという行為は、自己満足と驕りの表れであることを私どもは知っておりますので、援助に止め、基本的には皆様の自主性に任せているのです。
『可愛い子には旅をさせろ』ということわざからも分かりますように、愛しているからこそ、いろんな経験を通して学び、いずれは自立して、幸せをご自身の手で掴み取れるようになってほしいとの願いが込められているのです。
皆様の霊的成長は、私どもにとりましてもこの上ない喜びであり、全宇宙の創造主の願いでもあるのです。
皆様が自立してご自身の足でしっかりと歩んでゆけるようにとの願いを込めて、私どもも日々お役に立てるようにと励んでいるのでございます。

これらのことは、皆様のあらゆる人間関係におきましても、共通して言えることなのです。
例え相手の方が救済を求めていたとしても、皆様が全てを取り除いて(救ってあげて)しまっては意味が無いのです。
それでは、単なる自己満足に終わってしまいます。
皆様はあくまでも救済を求めておられる方の補助役として、お一人では難しいと思われる事柄に関してのみ援助し、ときに相談相手となり、共に考え、相手の方ご自身で答えを導き出せるようにお手伝いし、つかず離れずのお付き合いを心がける必要があります。

愛しているつもりになって何でも与えてしまう、いわば施しという行為は、ただの自己満足であり、相手の方を全く無視した行為なのです。
それらの思いは驕りの気持ちを招き、自らを貶める結果となってしまうのです。
それらのことに気付くことなく、己の持っている物を与え続け、相手の方を堕落させ依存心の塊にしていながら、善い事をしたつもりになり、己が愛情深く親切な人間だと勘違いされている方が非常に多いのです。
はっきりと言わせていただきますが、これらの行為は愛情や親切などというものではございません。
単なる自己満足と驕りの行為です。
本当に相手の方のことを思っておられるのなら、陰になり日向になり、相手の方が自立してゆけるように取り組むことが必要でしょう。
相手の方が必要としているものを提供するのは別に構わないのです。
ただ、そこで終わってしまっては、単なる自己満足になってしまいますので、その後自立してゆけるような援助もあわせて行ってゆく必要があるのです。
そうすることが、相手の方々のことを本当に思いやり、愛しているということなのです。
これらのことを考慮に入れ、本当の意味での愛を示してゆけるように努力してみてください。

(2007年12月28日)





このメッセージで取り上げられている『本当に愛する』意味を、私たち人間が理解し難い理由の一つとして、人間は目に見えて、耳で聞こえて、手で触れる対象にとかく関心を奪われがちであるのと対象的に、霊は人間の認識できない要因を含めた形で物事を観察して、判断することが出来る――という点の違いがあると思います。
霊媒などの特殊能力を備えた一部の方を除けば、肉体に備わっている五感のみを頼りにして、物事を判断する為の材料を入手するしかないのですから、その五感で認識できないものを判断材料にするには無理がある――ともいえます。
その際に重要になってくるのが、霊媒などの特殊能力であり、また霊媒を通じて送られてくる霊界通信ではないかと思います。
これまでにも度々強調しておりますように、霊界通信の取り扱いには注意を要するのですが、人間の五感を超えた視点から物事を見る能力と知識を備えた存在から見た、私たちの抱える問題に対する見解を知る機会は、人間だけでは気がつきにくい新たな視点を提供してくれると言う意味で、物事に対する考えを深めるよいきっかけになります。
ですから、決して鵜呑みにすると言う意味ではなく、有意義な人生を送るための参考資料として、霊界通信を活用していただければと思います。

バチカンの拠点が開放される理由(メッセージ44)

皆様にお知らせしたいことがございます。
何故、次に開放される拠点が他の四つの拠点ではなく、バチカンであるのかについて、詳しくご説明する必要があると感じましたのでお話させていただきます。

まず、拠点がある場所についてご説明させていただきます。
以前の通信でもお話いたしましたが、まず、日本がございます。
それから、今回開放されますバチカン(ヨーロッパ圏)と、詳しい場所はまだ明かせないのですが、南北アメリカ大陸にアジア圏、イスラム圏、アフリカ圏でございます。
これで全部あわせますと、ちょうど六ヶ所になります。

それで、何故バチカンが次の開放拠点なのかと申しますと、他の拠点の近くで生活されております方々よりも、霊的成長に対しての関心が高まっているからなのです。
それらは国の政策にも表れております。
今現在は何かと問題を抱えているように見えるのですが、それぞれの文化を尊重した移民受け入れや福祉政策、環境問題などに関心が向いている国が多いということは、一つの霊的成長の表れであり、周りの方々への関心が高いということなのです。
基本的な政策や考え方に歪んだ部分が含まれていたために、問題が表面化しているに過ぎないのです。
今までのやり方を考え直してみる時期に来ています。
多くの経験を通し、試行錯誤しながら学ぶことで、他の文化圏の方を受け入れることや福祉、環境について、本当の意味で理解してゆけるようになるのです。

バチカンの拠点開放は、それらの問題を対処する際の、皆様の成長に大きく貢献することでしょう。
霊的成長を求めておられる方々に働きかけるために、今、日本において霊たちも訓練を重ね、日々成長の為に努力しているのですから。

そこで一つ注意していただきたいことがございます。
拠点が開放されるからといって、決してヨーロッパ圏の方々が特別であるとか優れているなどということではなく、成長にばらつきはあるものの、この世界で暮らしている方々は皆同じように尊い存在なのでございます。
そこを勘違いいたしますと、驕りの気持ちが芽生え、霊的成長を損なう恐れがあるのです。
これらのことは、日本の方にも言えることなので、注意深く考えてみる必要があります。

以上のような理由から、バチカンが新たな拠点として開放されるのです。
皆様にも是非これらの事柄について考えてみていただきたいと思います。
お付き合いくださり、まことにありがとうございました。

(2007年12月27日)





このメッセージはメッセージ13メッセージ33で取り上げられている、現在バチカンで新たな拠点(霊界と地上界とのつなぎ目)開放の準備中であることについての説明となっております。
バチカンの拠点開放に伴い、現在私たちが行なっているような霊界通信が、今後バチカンを中心とした欧州圏で活発に行われることになるために、その時に備えて霊界側の通信霊を大量に養成している最中だとのことです。
いわば、霊媒Mも自身の霊媒能力の向上と同時に、霊界側の通信霊や霊媒の育成に協力している側面もあると言う事になります。
霊界側の準備が整って、欧州圏に対して本格的な働きかけが始まると、私たちの日本と連携して様々な国際問題に対処していこう――という姿勢が徐々にはっきりとしてくるでしょうから、今からそのような時の訪れるのを楽しみに待ちたいと思います。

スピリチュアリズムとハリウッド2(メッセージ43)

映画を製作している方々にお話したいことがございます。

近年、ハリウッドで製作された映画の業績が振るわなくなり始めております。
その原因につきましてご説明させていただきますと、今までは、ヒーローと悪役がいて善が悪を負かすというシンプルなストーリーに派手なアクションを付け加えることで、観客を楽しませ魅了することが出来ていたのでございますが、最近は観客が求めているものに変化が訪れてきております。
ごく普通のどこにでも居そうな主人公を置き、悩み苦しみながらも徐々に問題を解決してゆき、新たな一歩を踏み出すといった内容の映画のほうがヒットしているように思われませんか?
あるいは、家族愛を主軸にして描いている映画なども人気があると思われます。
不思議だと思われませんか?
皆様の求めておられるものがより身近で、より現実的なものになってきております。
実はこれは、皆様の霊性向上の表れの一つの形なのです。
皆様は今、無意識ながらも霊性向上に対しての関心が高まりつつあるのです。
そのような事情から、以前の通信でハリウッドはスピリチュアルな要素を含んだ内容の映画を製作すれば息を吹き返すとお伝えしたのです。
私どもも、霊媒の方も不慣れな為にあの時点では上手い具合に伝わらず、あのような大雑把な通信になってしまったのですが。

とはいえ、皆様にも生活というものがあり、商売として映画を製作している側面もございますし、全く娯楽という要素が含まれていなければ、それはそれは単調でつまらないものになってしまいます。
そのあたりのバランスが重要になってまいります。
皆様のなさっておられることは、あくまでも観客の皆様に楽しんでいただくことですから、慎重に考慮する必要が生じてまいります。
スピリチュアルな要素を特別に強引な形で盛り込むのではなく、人間そのもののありのままの姿を描くことで、自然にそれらの要素は含まれてまいります。
もう、屈強なヒーローが、悪を倒すだけでは人々は満足できないのです。
そこにはリアリティーが無いからです。
感情移入することが難しいのです。
悪党と呼ばれる方でも、家族にとっては良き父(母)であり、良き夫(妻)であり、良き息子(娘)であるということは十分にありうることなのです。
それらのことに気付く必要があるでしょう。

観客の方々は主人公が成長する姿を見ることで、ご自身に当てはめ、学んでいるのです。
それらのことを考慮に入れた上で、今後も映画制作に励んでいただきたいと思います。
皆様でよく考えてみてください。

(2007年12月27日)





こちらはメッセージ2の内容を、通信霊と霊媒双方の感度の向上に伴って再度詳しく説明する必要がある――との霊界の判断によって送られたメッセージです。
内容的には特に付け加える点はありませんが、映画もメディアの一部と言う意味では、メッセージ11なども合わせて読まれるとよいのではないでしょうか。

薬害肝炎問題について2(メッセージ42)

薬害肝炎の問題について、改めましてお話させていただきたいことがございます。

被害に遭われた皆様に対しましては、本当にお気の毒なことと思います。
以前の通信でも申し上げたのでございますが、あれから時が経ち、状況が変化しつつあるようです。
被害者の方の一斉救済に向けて政府が動き出したことに関しましては、それはそれでよいことだと思われるのですが、救済を受けるにあたり、被害者の原告団の皆様に注意していただきたいことがございます。
今回の処置はかなり強引な形で強硬に推し進められましたので、今後、これらの事柄がもとで弊害が生じる恐れが出てまいります。
詳しいことに関しましては、以前の通信で法を守る意義についてご説明させていただきましたので省かせていただきますが、法というものは秩序を守る為に必要なものでございますので、それを犯すということは秩序を乱すことに繋がりかねないのです。
皆様が政府に対して責任を追及したように、皆様にも今回の事柄による責任が生じているのです。
『後のことは自分達がした事ではないから関係ない!』との言い逃れは通用しません。
皆様の行動が前例を作り、問題解決のための一つの方法として世間の皆様にさらしてしまわれたのですから。
政府の方々に責任が伴うように、皆様一人ひとりの行動や言動にも責任が伴うのです。
『そんな事言っても、こちらは命がかかっているんだ!』とおっしゃられるかもしれませんが、冷静に考えてみる必要があります。
本当に命の救済に繋がっているのですか? 本来であればもう救済を受けておられる方々もいらしたのではないですか? 皆様ご自身の自己満足に終わってしまってはいませんか?
少々厳しいことを言うようですが、意固地になられた結果、何を失ったのかを冷静に考えてみる必要があります。
表面的な事柄だけを見て『上手くいった!』と考えるのはとても危険な行為です。

それらと共に因果についても理解する必要がございます。
これも、以前の通信で詳しくお伝えいたしましたので細かい事柄に関しては省かせていただきますが、ご自身で蒔いた種を今、ご自身で刈り取っている最中なのでございます。
皆様はそれらの経験を通して、“ご自身に足りないものは何なのか”を考えてみる必要があります。
何に気付く必要があるのか? 何故こんなに苦しく辛い思いをしなければならないのか?
これらのことについて冷静に考えてみる必要があります。
他の誰かの責任ではありません。
ご自身の責任においてそれらのことが結果として生じているのです。
このことに気付く必要があります。
これらのことに気付けなければ、例え政府に保証してもらえたとしても、苦しみから抜け出すことは出来ないでしょう。

厳しいことばかり申し上げることになってしまいましたが、これらのことをよく考えた上で、本当の幸せを掴み取っていただきたいと思います。

(2007年12月26日)





これは薬害肝炎問題の進展を受けて、メッセージ7の続編として送られたメッセージです。
前回のメッセージでも、どちらかと言えば薬害肝炎被害者にとって厳しい内容であったと思いますが、今回のメッセージでは更に厳しく、特に薬害肝炎訴訟の原告団の方々に対して厳しい指摘をされております。
実際に命に係わる病気に感染してしまい、その病気の感染源が以前投与された薬品であったと言うことが分かれば、冷静さを保てずに動揺してしまう気持ちは、体験されたご本人でないとなかなか理解し辛い部分があるとは思いますが、ぜひメッセージ38などを参考に『因果律』についての理解を深めていただきたいのです。
目に見える経緯としては、政府や製薬会社の責任だけがクローズアップされてしまいますが、『命に係わる病気に感染する』という結果を招いた原因は、薬害肝炎患者の方々にも、特に目に見えない部分の影響が大きく作用していると思います。
これは薬害肝炎患者の方に限らず、病気を患っている全ての方に言えるのですが、現在病気で苦労されている方は、その経験を通して学ぶべきものがあるからこそ、その環境に置かれているのです。
そして、私たちがこの様な形で霊界からのメッセージをお伝えしているのも、まさに現在様々な悩みや苦しみを抱えておられる方々に対して、その悩みや苦しみが発生する仕組みや、それを克服するための知恵を学び、ご自身で成長への力強い一歩を踏み出していただきたいとの思いからです。
どうかその点について、私たちとともに皆さまにも考えを深めていただければと思います。

家族を亡くされた方へ(メッセージ41)

家族を亡くされた皆様へお伝えしたいことがございます。

肉体を失ってしまいますと、地上界の皆様には目に見えず、触れることも叶わなくなる為、悲しい思いをされている方もおられることと思います。
ですが、実際は居なくなってしまったのではなく、肉体から分離して霊の形となって存在し続けているのです。
日本の皆様は、文化的な背景もあってこれらの事柄はよくご存知のことと思われますが、今まで側におられた方が、居なくなったように感じてしまうのは仕方のないことと思います。
ですが、どうかご理解いただきたいのですが、皆様が悲しみ続けておりますと、亡くなられた方も悲しみをまとい続け、何時までも地上界から離れることが難しくなってしまうのです。
結果として、霊界に行けず、地上界を彷徨い続けることにもなりかねません。
本来であれば、霊界へ行き、自身の霊性向上のために励むことが亡くなられた方の成すことなのですが、皆様のことが心配で離れられなくなってしまうのです。
予期せぬ事故などにより亡くなられた方は、命を失ったことすら理解できずに地上に留まり続け、皆様が生前と同じように話しかけたりしようものなら、何時までも生きているつもりで霊界に行けない結果となりかねないのです。

一所に留まり続けるというのは、霊にとりましては苦難でしかなく、何時までも成長することが叶いません。
皆様が本当に亡くなられた方を愛していらっしゃるのであれば、ご自身の思いから解放して差し上げる必要があるのです。
安心していただくことが大切です。
そして、亡くなられたことを理解出来ていない方には、分かっていただく必要があるのです。
もし話しかけるのであっても、亡くなっていることが分かるような話し方をする必要があります。

どうか忘れないでください、亡くなられた方は霊界に居ても皆様のことを見つめ、皆様を支えられる存在になろうと日々努力を重ねているのです。
その愛情は生前と何ら変わることはないのです。

(2007年12月26日)





この点につきましては、ぜひ既存のスピリチュアリズム関連書籍などで霊界の仕組みを学んでいただくとともに、メッセージ30についてもあわせて考えていただければ、より理解が深まるのではないでしょうか。
そして、悲しみから来る個人的な感傷に流されるのではなく、肉体から解放された方の今後を思いやった対応をしていただければ、亡くなられた方にとっても、故人を看取られた方々にとっても、その後の生活にとってよりよい影響が現われるでしょう。

2011年4月27日水曜日

文明や科学が発展することの意義(メッセージ40)

文明や科学が発達することの意義について詳しくご説明させていただきたいと思います。

文明や科学に対し、ネガティブな部分がクローズアップされがちでございますので、それらのものに不信感を持ち、『ありのままの自然の中で、大地と共に暮らすほうが良いのではないか?』と考えておられる方々も多いのではないでしょうか。
そこで考えてみていただきたいのですが、ご自身の身の回りに当たり前のように存在し、大変役に立っているものも沢山あるのではないのでしょうか?
科学の発達により、医療技術がより高度になり、命を救われた方もいらっしゃるのではないですか?
文明の発達により、秩序というものが徐々に整いつつあるのではありませんか?
これはほんの一部でございますが、他にも沢山の恩恵を受けているのではないでしょうか。

問題は、科学や文明そのものではなく、用いる側にあるのです。
例えば、ダイナマイトですが、これを開発した方は人を殺めるために考えたのではなく、採掘作業をより楽に行えるようにとの目的で開発したもので、戦争などの目的で作られたものではありません。
後に、他の方々が戦争に利用できると考え、更なる開発を加え、現在にいたるのでございます。
もし、皆様一人ひとりが命を重んじ、戦争により失われる命のことを考えて行動することが出来たなら、このようなことは起きないのです。

文明思想や科学の発展は、霊界のシステムを理解する助けとなるものなのです。
それらの発展は皆様の霊的成長を意味します。
それは何故かと申しますと、霊界のあらゆるシステムを、地上の物質や概念に置き換え表現したものだからなのです。
皆様がある程度理解し、自分たちなりの用い方を通して学んでゆけると霊界側で判断されたものに関してのみ、技術者や専門家を通して地上界に伝えられているのです。
とはいえ、霊界のものを表現するには、地上界を構成している物質や概念では粗雑過ぎて、限界というものがあるのでございますが。

問題が生じるということは、皆様の考えや用い方に歪みがあり、それらが表面化しているのです。
皆様がそれらに問題意識をもち、解決策を模索してゆく中で経験を通し学んでゆくのです。
それらの経験により霊的に成長し、今あるシステムを本当の意味で有効に活用してゆく術を知るのです。
そうして知識が蓄えられてゆくことにより、私どもが送らせていただいているような通信の内容を理解する助けとなるのです。

これらのことを踏まえた上で、今一度、科学や文明の発達について考えてみてください。
これらの知識が皆様の成長の為のお役に立てたなら幸いでございます。

(2007年12月26日)





管理人も一時期、このメッセージにあるような見解を持った時期がありましたので、文明に対してネガティブな印象を持たれている方の気持ちが分からなくはありません。
しかし、霊的知識を学んでゆく中で、ある時『文明の利器は、人間を肉体の拘束から解き放って、より霊界の生活に近づける役割を果たしている』と気づきました。
霊がテレパシーで意思の疎通をするように、携帯電話やインターネットが登場し、霊がテレポートするように、電車や自動車・飛行機といった乗り物が作られました。
見た目はかなり違うようでも、その目的はとても似通っています。
そして、新たな文明の利器が地上界に登場するたびに、私たちの社会は少しずつ洗練されていくのです。
一方、私たちがまだまだ未熟である為に、時には文明の利器を誤った目的に使用してしまいます。
だからと言って、私たちは文明を投げ打ってしまってよいのでしょうか。
メッセージ14で私は動物的本能について触れましたが、文明の発展段階が未熟であった頃は、人間の日常生活はその日の食べ物を手に入れることに追われておりました。
『食べ物を食べなくては生きていけない』という肉体の制約に縛られている為に、一生の大半を『肉体を維持する』だけのために費やしてきました。
しかし、文明の発展に伴って徐々に生活に余裕が出来、その結果として私たちは徐々に肉体の制約を緩和する代用品を作り上げて、更に『肉体を維持する為』だけに費やす時間を削減することが出来ました。
そのようにして確保した時間を、私たちが一体どのように使用しているか――そこで、この言葉を思い出して下さい。
『自分で考えること』――そうです、いろいろな物事についてじっくり考えられる心の余裕を持てる環境を作るために、私たちは文明を発展させて来たとも言えると思うのです。
私たちの成長にとって『自分で考える』ことが極めて重要であると言う点は、随所で繰り返し指摘されております。
ですから、文明の発展と私たちの成長には、とても深い関わりがあると思うのです。
どうかその点について、メッセージを参考に考えを深めていただきたいと思います。

韓国人・朝鮮人と中国人2(メッセージ39)

中国の方々や朝鮮半島の方々が、日本に対して反感を抱いていることの背後にある意味について、改めまして詳しくご説明させていただきたいと思います。

『可愛さ余って憎さ百倍』ということわざがございますように、関心が高いからこそ、思い通りにならないと反感を覚えてしまうというのが人の性なのだと思われます。
このことからも分かりますように、興味があり、『親しくお付き合いしたい!』という感情があるからこそ、思うように上手く事が運ばないと『何故、分かってくれないんだ!』という感情に結びついてしまうのです。
本来であれば、上手くゆかない時点で『自分たちのどこに問題があるのか?』と自ら考え、試行錯誤しながら解決策を導き出す必要があるのでございますが、知識も経験も浅く未熟ですと、なかなかそこまで考えが及ばず、例え自身の考え方が誤りであったとしても、相手の側に問題があると思い込み、反感を抱いてしまうのです。
『受け入れてもらえて当たり前だ』と考えてしまうのです。
これらの問題を解決するには、経験も知識も豊富な立場の方々が、ある程度譲歩しつつ、自立を促しながら、付かず離れずのお付き合いを心がける必要があります。
家庭での子育てや、会社における人材育成などに通じるものなのでございます。

さて、ここで気を付けていただきたいのですが、相手の方が反感をもたれるということは、こちらの側のそれまでの接し方にも問題があったということなのです。
『今まで生じてきた、数々の問題に対する対応の仕方に誤りが無かったのか?』と、今一度冷静に考えてみる時期が来ているのです。
相手の方の言いなりになってはいませんか? 自立を促す活動が疎かになっていたのではありませんか?
これらはほんの一例に過ぎませんが、改めて考えてみる必要があります。
それらの問題点に気付くことで、やっと関係改善に向けてのスタートラインに立てるのです。

実践してゆくには困難がつきものですから、上手くいかなかったり、何度も挫折しそうになったり、時には考えることも面倒で投げやりになってしまったりと、多くの思いを経験されることと思いますが、それらの思いの中で試行錯誤した経験こそが貴重であり、成長のための芽が沢山含まれているのです。
これらの苦難を乗り越え、成長を果たした方々だけが、本当の意味での理解というものを得ることが出来るのです。
そしてまた、新たな問題が生じ、それらに対処してゆく中で成長を遂げるということを繰り返すことで、より理解が深まり知識が蓄えられてゆくのです。
これらが霊的成長のサイクルなのです。

以上のことをご理解いただいた上で、中国、朝鮮の方々との関係改善について、皆様ご自身で考えてみていただけたらと思います。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

(2007年12月26日)





こちらは通信霊も霊媒も不慣れであったメッセージ1の内容を、改めてより詳しく説明しております。
内容的には特に補足することはありませんので、私たち日本人にとっては少々不愉快な隣人について、このメッセージを通してぜひ考えていただきたいと思います。
また、メッセージ1が降りてから、まだ半月程度しか経過しておりませんが、その程度の間でも霊媒Mの感度は著しく上昇し、かなり微妙なニュアンスまでも受け取れるようになってまいりました。
霊媒は同じであるにもかかわらず、感度の違いでここまで内容に差が出てくるのか――そういった部分を見比べてみることによって、霊界通信や霊媒に対する理解を深める参考にしていただきたいと思います。

因果について(メッセージ38)

今までの通信でも度々触れてまいりました因果について、詳しくお話したいと思います。

因果と申しますのは、簡単に説明致しますと“自分で蒔いた種は自分で刈り取る”ということなのでございますが、これでは大雑把すぎて分かり難いと思いますので、もう少し詳しくお話し致しましょう。

分かり易いように、花の苗を例に考えてみましょう。
苗を植えた後どのように世話をしていくのかで、花の成長具合が変化してまいります。
花の種類や成長に合わせ、適度に水分補給や日光浴、栄養補給などを行うことで、健康でみずみずしい大輪の花を咲かせ、皆様の眼を楽しませることでしょう。
水分や栄養などが多過ぎたり、逆に少な過ぎたり致しますと、病気になったり栄養過多や栄養不良、根腐れなどを引き起こし、やがて枯れてしまうでしょう。
これらの経験を通して気付き、“適度であることが必要”と学び取ることが出来なければ、何回育ててみても花は枯れてしまうことでしょう。

これらのことから分かりますように、皆様ご自身がどのような選択をし、実行をされたのかで、結果が大きく変わってまいります。
そして、問題を引き起こしている原因に気付き、解消することが出来なければ、いつまでも繰り返し、同じ場所に留まり続けることになってしまいます。

例えは花の苗でしたので、気楽に考えることも出来ますが、これがもし、皆様ご自身やご家族に深く関わる事柄であったとしたらどう思われるでしょうか?
もし、リストラに遭ったとしたら? もし、事故に遭われたら? もし、いじめに遭ってしまったら? もし、ご病気になられたら?
考え出したら切りが無いことなのですが、これらの問題を現実に抱えておられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ここで考えてみていただきたいのは、その原因となっているものは何か? ということなのでございます。
リストラを例に考えてみますと、もしかしたら、仕事に対する姿勢に何かしらの問題があったのかもしれません。
なかなか周りの方々の意見に耳を傾けられないような、柔軟性を欠いた面があったのかもしれませんし、手を抜いているように思われるところがあったのかもしれません。
これらの事柄が因果として働きます。
経営がどのように苦しい状態であったとしても、会社にとって必要と思われる方を手放すことは無いと思われます。
これは一つの例えであって、皆様に必ず当てはまる訳ではございませんが、もしかしたら、ご自身が見落としている部分かもしれません。
これらのことに気付けないでおりますと、例え再就職出来たと致しましても、また辞めることになるかもしれませんし、働き続けていたとしても居心地が悪いかもしれません。
これらの状況を改善するには、何が原因でご自身がこのような状況に置かれているのかに気付き、解消するにはどのような方法があるのかを考え、それらを実践してゆく必要があります。
原因に気付くだけではなく、解消に向けて努力を重ね、今までの“体験の意味するところを理解する”必要があるのでございます。
ここまで出来て初めて因果から開放されるのでございます。

これらのことをご存じない方が多く、何度も繰り返してしまう傾向にありますので、改めてお伝えする必要があると思い、通信させていただいております。

先のお話は今生における因果の説明でございましたが、前世における因果というものもございます。
こちらの場合は、退行催眠や瞑想などによって知ることが出来る場合もございますが、基本的には詳しい事柄を知る術はございません。
それに、例え退行催眠や瞑想を試みたと致しましても、必ず見えてくるようなものではありません。
皆様には、守護霊や補助霊など、いろいろとご指導してくださる霊がいつも側で働きかけているのでございますが、それらの霊が、前世の因果を知ることを良しとされなければ、知ることは叶いません。
因果の原因を知ることで、あなた方の成長のきっかけとなると判断した場合にのみ、知ることが可能なのでございます。
それは何故なのかと申しますと、皆様が過去に囚われ過ぎて、今現在、この世界で生きていることと結びつかず、考えることが出来なくなったり、混乱するなど、弊害が生じる場合が多いからなのでございます。
どなたでもすぐに出来る方法と致しましては、皆様ご自身が置かれております状況をよく観察し、洞察力を働かせ考えることなのですが、その方法ですとぼんやりと輪郭が見えてくる程度でございます。
大体の場合におきましてはそれで十分なのでございます。
経験を通して学び、その状況に置かれている意味を理解してゆくことが目的でございますので、日々の生活の中で観察し、考えることで十分学び取れることなのでございます。
皆様ご自身の中で、実感として本当に理解出来た時に、因果は解消され、結果として、今まで抱えていた問題も解消されてゆくのでございます。
もうそれらの体験から学ぶ必要が無くなったのですから、今度は新たなステージへと一歩進むことが出来るのでございます。

因果というものは、このような形でしか解消出来ないものなのでございます。
どなたか別の方が取り除くことは出来ないのでございますから、皆様ご自身が積極的に取り組むより他に無いのでございます。
皆様が積極的に取り組み始めますと、守護霊や補助霊も皆様に積極的に働きかけることが出来るようになりますので、皆様の助けとなるような方や書物、治療法など、解決する術となるものに出会い易くなるのでございます。

これらの事柄を踏まえた上で、因果について熟考され、解消する為のきっかけとしていただければ幸いでございます。

退行催眠について触れさせていただきましたので、実践される際の注意事項をお話させていただきたいと思います。

実践される際には必ず、医師や専門家など、専門知識をきちんと学ばれ、何度も実践を重ねておられる経験豊富な方のもとで行ってください。
催眠術とは、皆様を外部からの働きかけによりトランス状態へと導き、普段は顕在意識に隠されております潜在意識に働きかけるものなのでございますが、その際に、書籍などを購入され、素人の手により行いますと、不測の事態が起きました際に対処出来ず、“とても危険”でございますので、決してそのようなことはしないでいただきたいのです。
皆様が睡眠なさる際、うとうとした状態の時にも似たようなトランス状態になるのでございますが、睡眠するというのは元々この世界のシステムとして出来上がっているものでございますので、守護霊や補助霊のより強い働きかけにより守っていただけるのです。
が、催眠でトランス状態になる場合は、守護霊の働きかけが弱くなってしまい、外部の霊の干渉を受け易くなってしまうのでございます。
霊媒質の方は特に危険でございまして、トランス状態でおりますと、憑依される危険性もございます。
霊も皆様と同じで、親近感を覚える方の側に近づく傾向にあり、皆様が霊的に未熟で自立心に欠けておりますと、未熟な霊が寄ってまいります。
そうなりますと、いたずらをしてみたり、自身の欲望を遂げようと皆様の肉体を欲するなど、危険が沢山潜んでいるのです。
元々、霊に憑依されている場合もございまして、催眠術がきっかけとなりそれらの霊が意識の表面に現れ、語りだすこともございます。
いたずらしたり、思いを語るだけならまだマシなのでございますが、中には乱暴な霊もおりますのでそのような霊の干渉を受けてしまいますととても危険なのです。
素人の方は、それらの霊を治める術を知らないのでございますから。
そのような訳でございますので、決して素人の手で、興味本位で行うのはやめていただきたいのです。
心よりお願い申し上げます。

瞑想される場合は、心静かになれる環境で、守護霊や補助霊に話し掛けてみてください。
ご自分が今悩んでおられることや、疑問に思っておられることなど、是非お話してみてください。
それらの事柄を解消する為のヒントを教えていただけるかもしれませんし、心が落ち着くような助けがあるかもしれません。
ただ、必ずしもあなた方が望む形での援助がある訳ではなく、あなた方の成長の役に立つと思われる事柄やヒントなどを教えていただけるのです。
それらのことをご理解いただいた上で実践されると良いでしょう。
瞑想される際、出来るのであれば静かな落ち着ける場所で照明を落とし、横になられると良いでしょう。
皆様の世界では瞑想の為のCDなどが販売されているようなので、最初のうちはそれらを利用し、トランス状態に入る助けになさるのも良いかもしれません。
慣れてまいりますと、自然にトランス状態に入れるようになってまいります。
この際も、多少、霊の干渉を受け易くなるのでございますが、ご自身でなさる場合は睡眠に近い状態でございますので、守護霊や補助霊を強く意識することで守っていただくことが可能でございます。
これらのことを考慮に入れて実践していただけたらと思います。

長い時間お付き合いいただき、まことに有難うございました。

(2007年12月25日)





このメッセージは、メッセージ12メッセージ28でも取り上げられた『因果』について、より詳しく説明されております。
それに付随して、退行催眠や瞑想についても取り上げられております。
メッセージの中に、安易に退行催眠などの催眠術を施すのは危険な行為であると指摘がありますが、その点に関連して、親和力に対する理解を深めると、『なぜ危険なのか』、そして『危険な霊による干渉を防ぐ方法』に対する理解を深める材料になると考えましたので、親和力についての質問に対して回答を得ました。





メッセージ38への質問に対する回答


[質問]

前世の因果に関連して、退行催眠を実践する際の注意点について述べておられますが、それに関連して親和力についての説明をしていただけますか。
メッセージの中では『霊も皆様と同じで、親近感を覚える方の側に近づく傾向にあり、皆様が霊的に未熟で自立心に欠けておりますと、未熟な霊が寄ってまいります』と、あっさりと触れておりますが、霊的知識の理解を深める上で、親和力に対する理解はとても重要だと思うのです。
親和力の働き方によっては、自身の成長に寄与することもあれば、反対に成長の停滞を招く原因にもなると思います。
それぞれのケースについて、具体的な例を挙げて説明していただけるとありがたいのですが。


[回答]

親和力について詳しくご説明いただきたいとのことですので、お話させていただきます。

皆様が普段生活されておられる中で、周りの方々に対して『この人好きかな』や『この人苦手』、あるいは『この人嫌い!』などと思われることがあると思います。
そして、好みだと思った方の側に寄る傾向にあるのではないでしょうか?
自身の考えと似通った考えを持った人たちの側にいる方が、否定的ことよりも肯定的なことが割合として高くなってくるので、居心地が良いですし、安心できるのです。

これらの心の動きは皆様方だけのものではなく、霊に関しても言えることなのでございます。
一言で霊と申しましても、その成長段階は無限と思えるほど存在し、全ての霊が皆様よりも成熟しているとは言えないのです。
中には皆様と同じ程度の成長度合いの霊もおりますし、皆様よりも未熟な霊も存在しているのです。
そのような理由から、皆様の側にいるのは心地が良いと思えば、霊のほうから進んで近づいてくるのです。
そして、皆様が霊的にまだ未熟で自立心に乏しく、自我を強く保つことが難しい状態でおりますと、側に寄ってきた霊からの干渉を受けやすくなり、憑依されるなどして、精神障害などに悩まされる原因となりかねないので、注意が必要です。

ここで気を付けていただきたいのですが、一度これらの状態に置かれてしまいますと、原因となっている事柄に気付き、解決する為に努力を重ね、理解を深めることに努めなければ、解消されることはございません。
これが因果というものなのでございます。
なお、脳の破損により同じような状況に陥ってしまった場合は、今の地上界の医療技術では改善は難しいと思われます。
皆様ご自身にまだ地上界で学ぶことがあり、その為にはそれらの症状が改善される必要がある場合は、破損した以外の健全な部分が新たに学習し、機能を補うということもございます。
ですが、ただ与えられるというものでは無く、そこに至るまでには並大抵の努力では叶わないと思われますが、それらの経験を通して学び成長しているのです。
あくまでも皆様が気付き、前向きな姿勢で取り組むことが重要なのです。
全ては霊的成長に伴い、因果が解消されることで解決してゆくことなので、皆様ご自身の努力は大変重要です。
もう一つ注意がする点がございまして、周りで支えておられるご家族ご自身の霊的成長のために寄与しているという側面もありますので、そのことに気付いてゆく必要があります。

少々話がそれてしまいましたが、皆様が経験を通して学び、霊的に成長いたしますと、今まで悪さをしておりました霊も居心地が悪くなり、自ら離れてゆくのです。

これらのことをご理解いただいた上で、注意していただきたいことがございます。
決して、霊が悪いのではなく、皆様の心のあり方がそれらの現象を引き起こしているのだということを忘れないでいただきたいのです。
そして、皆様にとって苦しみと思われるものが、全て霊の仕業という訳ではないという点についても注意が必要です。
これらのことを踏まえた上で、よく考え、実践する際の参考にしていただけたら幸いでございます。

(2007年12月27日)





この[回答]のポイントは、霊が悪さをするのは、人間にもそういった霊を引き寄せる原因があるからだと言う点にあると思います。
テレビ番組の心霊特集などで、霊能者が邪霊を祓うといった場面を見ることがありますが、仮に悪さをしていた霊が一旦離れたとしても、霊に憑かれていた人が変わらなければ、同じ霊が再び舞い戻ってくるか、あるいは別の霊によって再び悩まされることになるでしょう。
メッセージにもありますように、人間に対して悪さを働く霊は未熟な霊なのですが、それを引き寄せてしまう人間も同様の未熟さを抱えているのですから、経験を通して自身が成熟していかなければ原因の解決には繋がりません。
むしろ、積極的に自分自身の未熟さを克服していくことによって、より成熟した霊が自分の周りに集まるようになり、更なる自分の成長に役立つ様々な助力を得られるようになるでしょう。
そう考えると、目の前に立ちはだかる困難への積極的挑戦こそ、私たちが生まれた目的を達成する為の近道だとは思いませんか?

冷静に判断し実践することの大切さ(メッセージ37)

今回は、皆様ご自身で冷静に判断を下し、実践する事の大切さについてお話させていただきたいと思います。

これまでも通信を通して再三申し上げておりますので、今まで、通信にお付き合いいただき、熟考された皆様には概ねご理解いただけている事と思われますが、先の通信で皆様にお願い申し上げました事柄共々、大変大切で重要な要素を含んでおりますし、思い違いをされておられる方もいらっしゃる様でございますので、改めましてお話させていただきます。

何故、皆様ご自身で判断を下し、実践する事が大切なのかと申しますと、皆様一人ひとりが、それぞれに様々な成長する為の目的を持って地上界に誕生しているのでございますから、他の方が代わりに事を成したところで、当然の事ながら、ご自身の成長の目的達成には繋がらないという点が一つと、良いと言われる事柄を、ただ盲目的に従順に受け止めてしまったのでは、それらの事柄の背後に隠されております真理を見落とす危険性が増してまいりますし、そのような状態では考えていないのと同じでございますから、実践を通して学び、本当の意味で心から理解するという事が難しくなってしまうという事なのでございます。

それらの事柄の結果、弊害として考えられますのは、責任の放棄なのでございます。
ご自身で考えもせず、決定も下せないという事は、無意識のうちにご自身の行動に責任を持つという事を放棄し、何か事が起きた際の為の逃げ道を作り、他の方に責任を押し付けてしまっているだけなのでございます。
そのような無責任なことでは、なかなか気付きの機会も得る事が出来ませんし、成長を停滞させてしまう結果となってしまいますので注意が必要でございます。

実のところ、文字を追い、読んだ内容や、人づてに聞いた事柄など、理解したつもりになるのは、基本的な国語力さえあれば、大変簡単な事なのでございますが、実感するに至るまでには、それはそれは長い道のりがあるのでございます。
こればかりは、ご自身の経験をもってのみ学べる事でございますから、他人任せで無責任な考え方をしているうちは、何時まで経っても実感出来ず、気付きも得られず、同じ事を何度も繰り返す結果に至るのでございます。
これらの悪循環に陥っておられる方が見受けられますので、この通信に触れることで、ご自身で考えるきっかけとなることが出来たならば幸いでございます。

とはいえ、なかなか気付けない状態に暫く留まった後で気付く事により見えてくる事柄というものもございまして、何事も程度問題ですので、一概に“この状態は良い”や“この状態は悪い”などと決め付けてしまうことは出来ないのでございますが。

皆様が霊界と呼んでおられます世界におきましても同じ事が言えるのでございますが、その世界で起きている現象や事柄はすべて、皆様が学び成長する為に必要なエッセンスが含まれているのでございます。
そこから、真理を読み解けるか否かは、皆様の読解力、洞察力、判断力、決断力、行動力に掛かっているのでございます。
これらの事を踏まえた上で、皆様に考えてみていただきたく通信させていただきました。
長いことお付き合いいただきまして真に有難うございました。

(2007年12月25日)





こちらのメッセージも、これまでのメッセージで取り上げられた重要な点について、再度強調するような位置づけのメッセージとなっております。
これは私も自分自身の経験を通して実感するのですが、同じ事柄を理解する場合でも、言葉として理解するのと、経験を通して理解するのとでは、理解の深みに大きな差が生じてまいります。
言葉で理解する状態は、その知識を全く得ていない状態よりはマシであっても、経験を通して五感から感じ取ると言う裏付けを得た知識に比べれば、ほとんど何もわかっていないのとそれ程変わらないと言って差し支えのない状態なのです。
しかし、知識を言葉で理解しただけの状態で良しとされる方が、かなり見受けられるように思います。
かつては、私もその中の一人でした。
私の場合は、周囲から見れば『人生の挫折』とも見えるのではないかと思われる時間をもち、その時に様々な事柄について考える時間が持てましたので、そういった時間を利用して無意識のうちに『自分で考える』ことを実践した結果、上記のような結論に至りました。
経験を通して理解を深める――と、言葉で表すのは簡単なようですが、それを実践するのはなかなか難しいものがあります。
しかし、日頃から意識して生活を送っていれば、きっとそのうちに『あ、こういうことなのか!』と、ご理解いただける時が訪れるでしょう。
そういった気づきこそ、まさに実践を通して初めて本当の意味が理解できることなのですから。

助けを必要とされる方への援助をされる方へ(メッセージ36)

改めまして皆様にお願いしたい事がございます。

これから助けを必要とされている方々の援助を考えておられる方、あるいは今現在、援助活動に携っておられる方々にお願いしたいのでございますが、それが如何なるものなのかと申しますと、あくまでも援助を必要とされているご本人が自主的に求めておられる中で、問題解決してゆく為の“適度な援助”が必要なのであるという事なのでございます。
“過分な援助”はご本人が成長する機会を失ってしまい、繰り返す結果に結びついてしまう危険性がございますので、十分に気を付けながらお付き合いしてゆく必要があるでしょう。

過分な援助と申しますのは、ご本人が置かれている立場について“自ら考え、決断する間も無い”ままに問題の全てを取り除き、環境を整えてしまうという、いわば“施し”の様な状態の事なのでございます。

これらの事柄は、今まで送らせていただきました通信を通して何度もお伝えしている事柄ではございますが、思い違いをされている方々も多い様でございますので、改めましてお伝えする必要があると判断致しました為、こうして通信をさせていただいております。

答えを“与えてあげる”、あるいは“教えてあげる”ことや、問題そのものを“取り除いてあげる”などの“施し”では意味が無く、それでは悩んでいるご本人が成長出来ないのと同時に、皆様ご自身が『私が助けてあげたから問題が解決したんだ!』と思うだけの自己満足に終わる危険性が大きいのでございます。
問題を解決出来るのは、あくまでもその問題を抱えておられるご本人だけなのでありますから、周りにおられる方々が“~してあげる”などという事は決して出来るようなものでは無く、かえって、そのような考えを持っておりますと、援助を試みておられる皆様ご自身が、『あまりにも可哀想だから施してあげる』などの“驕りの気持ちを抱く”などの弊害が生じてまいります。
そうなりますと、援助を試みておられる皆様“ご自身の成長の停滞”に繋がってしまう危険性がございますので、気を付けて謙虚に経験から学んでゆく姿勢というものが大切になってまいります。

周りの方々に関心を払い、『皆様のお役に立ちたい!』と思うことは、とても健全で自然な心の動きなのでございますが、どのような事柄でも“バランス”が重要でございまして、これらの場合に関しましても、相手の方の状態を考慮しつつも“付かず離れず適度なお付き合い”をしてゆくことが大切なのでございます。
これらの事柄を実践してゆく為には、“施しと援助の違い”を理解する必要が生じてまいりますと同時に、“施しの気持ちは驕りから生じ”ている危険性が含まれていることを肝に銘じておく必要がございます。
これらの事柄に加えて、因果につきましてもある程度理解しておく必要が生じてまいります。

援助と申しますのは、悩んでおられるご本人がご自分で出来る事はしていただき、出来ない部分に関しましては手を差し伸べ、倒れてしまわない様に支えてゆく事でございまして、あくまでも、ご本人が主軸となり、事を運んでゆく必要があるのでございます。
共に考え、ご本人に決断していただくことが重要になってまいりますし、それに加えまして、皆様ご自身の“自立を促しつつ支えてゆく”という姿勢が大切になるかと思われます。

因果に関しましては、簡単に申しますと、ご自身が成されました事柄につきましては、“それ相応の責任が生じますよ”という事でございまして、それが良い事であれ悪い事であれ、前世あるいは今生に置きまして成した事柄に対しまして、それらの意味を学ぶのに適した環境に置かれるという事なのでございます。
ご自身で気付かない限り、そこからは一歩も踏み出す事も逃げ出す事も叶いませんので、例え、周りの方々が原因を取り除いたとしても、その効果は一時だけのもので、またすぐに似たような状況に陥り、同じ悩みを抱え続ける事になるのでございます。

これらの事を踏まえた上で皆様を援助してゆく必要があるかと思います。
分かり易く説明致しますと、明日食べる物も無いという方々に対し、食料をお渡ししながら、それと同時に、いずれはご自身で食料を手に入れる事が出来るようになる為の術をお伝えし、徐々に実践してゆけるように促してゆくという活動に例えられると思います。(注――ODAなどの国際支援のあり方についても考えさせられる内容だと思います)

先ほども述べさせていただきましたが、今までお届けさせていただきました通信と重複する内容が多く含まれますのは、これらの事柄に対しましては思い違いをされる方が多く、それらの知識を基に活動された結果、良かれと思って成した事柄が、相手の方の成長を阻害するというケースが見受けられる為なのでございます。
そして、なかなか気付けないまま、繰り返す日々を送られておられる方々が気付く事が出来るきっかけとしてお役に立てたらと思いましたので通信させていただきました。
これらの事柄に関しまして、ご自身の洞察力を持って冷静に熟考し、判断していただければ幸いでございます。

(2007年12月24日)





一連のメッセージの中には、悩みや問題を抱えている人だけではなく、そういった方々の問題解決を援助する方々へ向けたメッセージも見られます。
このメッセージも援助をする側の方々に対して、悩みを抱える方々の成長を促すための援助の姿勢についての説明がされております。
『自分で考えること』の重要性について、随所で強調されていることは既に述べましたが、助けを必要とする人々に対して『(将来的に)自立を促す援助』のあり方が重要である点も同様に、私たちが常日頃から気をつけたい事柄です。
この点が原因となって、日常生活における様々な問題や、国家レベル・国際レベルの紛争に発展するケースも見受けられますので、関連するメッセージと読み比べつつ、理解を深めたいですね。

霊界通信を読む際の姿勢(メッセージ35)

私どもが皆様にお届けさせていただいております通信を読む際に、ご注意いただきたいことがございます。

先ほどの通信でお伝えさせていただきました事情のほかにも、ご理解いただきたいことがございます。
それは何かと申しますと、私どもも霊におきましては成長途上であり、現段階で知りうる限りの知識しかお伝え出来ないという事なのでございます。
地上界を含めまして、無限と思えるほどの霊界全体を把握致しますのはとても難しく、多くの経験を通し成長する必要がございますので、それはそれは長い道のりなのでございます。
無限に続いているのではないのかと思えるほどに遠い先に、真理の全てを理解する事が可能になる知識が蓄積されているのでございます。
私どもが生活しております世界も、霊界に置きましては、ほんの入り口に位置しているものなのでございますから、真理の一端が表れてはいるものの、より成熟された方々から申しますと足りていない部分が沢山あるのでございます。
そのように、霊界全体に置きましては幼子のような私どもが、霊的赤子とも言える皆様にお伝えできる事柄は、真理と申しましても全体のほんの一部分に過ぎないのでございますから、それらの事をご理解いただいた上で、ご自身の霊性を基に判断をしていただく必要が生じてまいります。

私どもも、更に成熟された方々の指導のもとに活動しているのでございますが、皆様の元に私どもの通信が届く際に、こちらでお伝え致しました内容の30%ほどしか伝わっておりませんように、私どもの元に、より成熟された方々から通信が届く際にも、同じように大まかな形でしか内容が伝わらないのでございます。
私どもも、より深く理解出来るように日々勤め、謙虚に受け止めつつ、常に努力しているのでございますが、理解が難しい箇所も多々ございまして、私どもなりの解釈を基に皆様にお伝えしておりますので、皆様も洞察力を働かせて冷静に観察、熟考していただけましたなら幸いでございます。

以上の事柄を是非皆様にご理解いただいた上で、この通信を読んでいただけたらと思いましたのでお伝えさせていただきました。

(2007年12月24日)





このメッセージはメッセージ6をもとに、更に詳しい説明を加えた内容となっております。
また、マイヤースの『永遠の大道』にも、マイヤース自身が同様の告白をしている部分がありますので、参考にされてはいかがでしょうか。

霊界通信の難しさ(メッセージ34)

この通信を読まれている方々にお伝えしたい事がございます。
それは、先の通信でもお伝え致しました様に、皆様に通信をお届けする際に、多くの霊が共同で働く必要があり、新たに訓練を必要と致します霊が大勢いる為に、通信の内容も伝わり難く、表現もより直接的で拙さを感じるものが多くなってしまうということなのでございます。
こちらでは地上界に通信させていただく際には、伝える予定のメッセージを100%の形でお届けしているのでございますが、不慣れな方々が訓練を兼ねた形で働いておりますので、皆様の元に届く際には10%にも満たないことが多々ございます。
今、私がお伝えしております内容も、ある程度熟練された方々が働いておられるにもかかわらず、地上界の霊媒の方(霊媒M)が不慣れという事もございまして、30%程度しか皆様には伝わっていないのでございます。
例え、そちらの霊媒の方が熟練されたと致しましても、通常で50%ほど、上手くゆきましても60%が精々でございましょう。
そのような状況でも、万々歳といった感じでございますから、80%も伝わることがございましたら、こちらと致しましては大成功といったところなのでございます。
霊界の霊媒及び通信霊や、その他にも大勢の霊達がこのプロジェクトに参加し、訓練を行い、尚且つ地上界の霊媒の方の訓練も兼ねているものでございますから、通信の内容が理解し辛いものになってしまうのは、ある意味仕方の無いことなのでございます。

そのような理由で、皆様にはご不便をお掛けする事になってしまいますが、同時に、洞察力を磨く良い機会にもなっておりますので、拙い文章の中から真理を読み解けるように、皆様も霊媒やさにわの方々共々努力していただけましたなら幸いでございます。

これからも大勢の霊達が、この通信で皆様に対しご助力してゆく経験を通して、皆様と共に成長する為に邁進してゆく覚悟でございますので、拙い通信が送られてまいりましても、『読んでも無意味だ』とお考えになるのではなくて、一通り目を通していただければと思っております。

ある程度慣れてまいりますと、又、新たな霊が訓練の為に参加致しますので、このような事が繰り返される事になると思われますが、どうか辛抱強くお付き合いいただきたいと思っております。
そちらの霊媒の方が徐々に慣れてきておりますので、最初の頃のような大雑把な内容ではなく、もう少し分かりやすい形になるとは思います。

以上のことをお願い致したく、通信させていただきました。

(2007年12月23日)





このメッセージでは、霊界通信の難しさと、特に現在の霊界側の事情(メッセージ33)から、一連のメッセージが地上界へ伝わるまでの裏事情について、率直に説明されております。
霊界通信の難しさについてはマイヤースの『永遠の大道』も参考になるでしょう。

メッセージを地上に送る理由2(メッセージ33)

何故、今の時期に皆様にこのような通信を送らせていただいているのかと申しますと、バチカンでの拠点開放に伴い、キリスト教圏(主にヨーロッパ諸国)において多くの霊が皆様への通信に携わるようになる為、新たに学ぶ必要のある霊が大勢いるという事情がございます。
今その為の訓練をこの通信を通して、霊界において行っている最中なのでございます。

霊界から地上界に通信すると一言で申しましても、そのシステムはとても複雑で、なかなか上手い具合に伝わることは無いのでございます。
それに、霊界と一言で申しましても、成長度合いが様々でございまして、無限と思えるほどの段階があるのでございます。
霊的により成熟してまいりますと、直接地上界の皆様に通信を送ることは大変困難になります。
そこで、霊界におきましても霊媒を何段階にも通し、皆様に通信しているのでございます。
私どもの通信におきましても、地上界の霊媒の方を合わせて六人の霊媒を通じて通信しております。
つまり、霊界に五人の霊媒がいることになるのでございます。
その他にも、元となるメッセージを送る為の技術を新たに学ぶ霊が大勢いるのでございます。
この事からも分かりますように、一つのメッセージをお伝えする為には多くの霊が協力し合いながら働いているのでございます。
そして、ようやく地上界の霊媒の方に伝わり、皆様に私どもがお送りした通信が届けられるのでございます。

これを分かりやすく説明させていただきますと、世界中に繋がっておりますインターネットに例える事が出来ると思われます。
それぞれに拠点となる場所があり、その拠点が互いに繋がりあっていることで世界中に繋がっているのがインターネットでございますから、各拠点を霊媒と考えていただきますと分かりやすいかと思われます。
そして、その拠点から皆様のもとへデータが送られてくるのですから、そのデータを霊界からの通信と置き換えていただければイメージ出来るのではないでしょうか?
厳密に申し上げれば異なる部分は沢山あるのですが、大まかにはそのように理解していただいて宜しいかと思われます。

更にもう一つ理由がございまして、日本におけるスピリチュアリズムに対する関心の高まりに伴い、学び、更なる知識を求めておられる方々が徐々に増えつつありますので、過去に試みられました通信で伝えられた知識よりも、さらに詳しい知識を伝える目的もあるのでございます。
そして、生活における実践を行うためのきっかけとしていただける様に、という目的もございます。

この通信において、さにわ役をお願いしている方との問答メッセージ8でもお話しさせていただいたのですが、霊界の地上界に対する働きかけは新たな段階に入り、皆様に実践していただく重要性をお伝えすることで、各々が考える時間を設け、霊性向上することに目を向け、生活の中で役立てていただけることが私どもの願いなのでございます。

とはいえ、地道にコツコツと学ぶ事が大切でございますから、ご自身が良いと思われることに対して考えをめぐらせ、実現しようと努力する中で少しずつ成長してゆくのは、皆様にとりましては大切な事なのでございます。
そのような経験を通して成長致しますと、“何が必要で、何が必要ではないのか”が徐々に変化してまいります。
そのような訳で、無理をなさることはございません。
今、ご自身が関心を持っておられる事を実践なされば良いのです。
もしそれが悪行であったならば、その事柄に対しての因果が生じ、今生で解消出来なければ、来世におきましても解消するための環境に置かれ、苦境の中で学ぶことになります。
出来ればそのようなことは無い方が良いのですが、それらの経験を通してでなければ学び取れない方もいらっしゃいますので、仕方の無いことなのでございます。

それらの悪行の被害に遭われる方々は大変お気の毒なのでございますが、これも前世、あるいは今生における因果の元に生じている結果なのでございます。
そのことに気付き、因果を解消する必要があるのす。
これは大変重要な事柄でございますので、苦境に置かれている皆様は是非よく考えて、何に気付く必要があるのか思いをめぐらせてみてください。
皆様が苦難に対して積極的に立ち向かう姿勢を見せますと、皆様の守護霊がその心の動きに応じてより活発に働きかけられる様になりますので、勇気と希望が持てる様になってまいります。

もし、関心事が善行と呼ばれるものであったならば、その方法には注意が必要でございます。
以前の通信でもお伝えいたしましたが、例えそれが人助けの為であったとしても“救ってあげる”のでは意味が無いのでございます。
問題を抱えておられるご本人にとりましては、“過分な援助ではなく、適度な援助”が必要なのです。
その方ご自身が気付き、解決してゆく必要があるからなのです。
援助される方が問題を全て取り除いてしまっては、ご本人は気付きの為の大切な機会を失ってしまい、成長する為にまた同じようなことを繰り返すことになりかねないのでございます。
そのような訳で、あくまでも援助を求めておられるご本人がお一人では難しいと思われる事柄に対してのみ援助し、時には相談相手になり、共に考えてゆくという姿勢が求められると思います。
これらの事に注意して活動されたならば、あなた方ご自身も、援助を受けた方も共に成長してゆけるのでございます。
是非これらの事柄について考えてみていただければと思います。

これらの事情がございまして、このような通信を送らせていただいております。
これからも、皆様が生活してゆく中で大切と思われる事柄を少しずつお伝えしてゆきたいと思っております。
これらの知識が少しでも皆様の成長の糧としてお役に立てれば幸いでございます。

(2007年12月23日)





このメッセージは、これまでに送られてきたメッセージのまとめとして、再度重要な点についての念押しのような内容となっております。
また、メッセージ13で若干触れている、バチカンに関連する霊界の動向についても説明されております。
日本におけるスピリチュアリズムに対する関心の高まりについては、現在私たちが手に取ることのできるスピリチュアリズム関連書籍は、代表的ともいえる『シルバーバーチの霊訓』でも、そのメッセージが地上にもたらされてからかなりの時間が経過しております。
その間に、私たち人間のスピリチュアリズムに対する理解が深まっているので、より詳しい霊的知識が地上界にもたらされる必要があると、霊界では考えているようです。
現実問題として、シルバーバーチを初めとしたスピリチュアリズム関連書籍の多くがキリスト教圏で記された影響なのか、内容にキリスト教的な色彩が強すぎる面があり、そのために誤解を招きやすい表現が見受けられます。
その原典をさらに日本語に翻訳したものを私たちが読んでいるのですから、私たちは何重もの偏ったフィルターを通して霊界通信を覗いていることになります。
ここであえて強調しておきたいのですが、決して既存の霊的知識(スピリチュアリズム関連書籍)が間違っているのではなく、霊的知識を学ぶ側の人間の理解が深まっているので、いわば成長とともに小学生用の教科書から中学生用の教科書へ教材を替えるのと同じように、私たちの理解の程度に合った新たな霊的知識の教科書が必要となったと言うことなのです。
そこで、現在霊界では、霊媒Mを通じて新たな霊的知識の教科書を地上界に下ろす為の準備をしているのだそうです。
現在霊媒Mが、一連のメッセージの受信を通じて霊媒としての訓練を行なっている背景には、その様な今後の目的を成し遂げるために必要な霊媒能力を身につけると言う意味もあるようです。
私は一応さにわ役を引き受けているのですが、実は霊媒能力に対する関心は余り高くはない方だと思っております。
基本的に、霊媒能力は肉体から開放されれば誰もが持ち合わせており、それが封印されているのは地上生活では必要のない能力だと考えているからです。
ですから、霊媒が霊界からのメッセージを受け取った事実そのものよりも、むしろ霊界からもたらされたとされるメッセージの内容に注目しております。
上でも触れましたが、既に霊界から『今後地上界に新たな教科書をもたらす』と告げられた件についても、実際に送られたメッセージを確認するまでは安易に信用するつもりはありません。
その意味では、私もこのメッセージをご覧になる皆さまと同じ視点から一連のメッセージを捉えていると、ご理解いただければよろしいのではないでしょうか。

自分と他人を比較することの無意味さ(メッセージ32)

御自身を、周りの方々と比較する事の無意味さについてお話しさせていただきたいと思います。

これらは全てに通じて言える事なのですが、あくまでもご自身の霊性向上の為に各々がそれぞれの立場で経験し学んでおりますので、他の方々と比べる事は出来ないものなのでございます。
成長度合いもいろいろでございますし、学ぶ内容もそれぞれ異なります。
置かれる環境や経験する事柄なども、個々の方々の成長を促す為に用意されたものなので、表面的な一側面を見て比べてしまうのは無意味なことと言えるでしょう。

物質において恵まれた境遇に居るように見えましても、決して羨む様なものでは無く、その経験を通して学んでいるのでございます。
物質に溺れてしまいますと、成長の停滞を招く結果となりますので、注意が必要でございます。
逆に例え貧しくとも蔑まれる様なものでは無く、やはりこれも、その経験から学んでいるのでございます。
貧しいことで卑屈な考えを持ってしまいますと、やはりこれも、成長の停滞を招く結果となりますので注意が必要でございます。

これらの事を踏まえた上でご自身と照らし合わせて考えてみてください。

(2007年12月21日)





こちらのメッセージは、メッセージ24と内容的に通じる部分があります。
人間は肉体に宿っているために、物質以外の存在を知覚する能力が制限されておりますので、どうしても物質的な側面や目に見える部分のみを、物事を考える際の判断材料にしがちになります。
物質的な側面を見ただけでは、人間は誰でも同じ人間にしか見えませんが、霊的な成長度や、地上界に誕生した目的が各自で異なっております。
成長に必要な経験を積む為――と言う目的は共通しているのですが、具体的にどのような経験が必要なのかと言う点になりますと、それこそ一人ひとりに違いがあるのです。
自分と他人とでは、今回の人生の中で積もうとしている経験の中身が違うのですから、他の人が現在置かれている状況を、表面的な物質的側面から見た判断のみで羨ましがっても、余り意味がないと言うことがお分かりいただけると思います。
貧困の中から学ぶ経験もあれば、豊かさを通して学ぶ経験もあります。
そのいずれか片方がよいと言うのではなく、両方の経験を積むことが成長にとって必要なのです。
どうかその点について十分考えを深めていただき、ご自身の成長に活かしていただきたいと思います。

自分の考えや思いを理解し、表現する事の大切さ(メッセージ31)

今回は、御自身の思いや考えを理解し、表現することの大切さについてお話ししたいと思います。

周りの方々とのトラブルを避けるために、御自身の思いに蓋をして無理に相手に合わせている方も多いのではないでしょうか?
その結果『どうせ望んだところで何も得られる訳では無い』と、考える事すら苦痛になり、ただ周りの状況に身を任せてしまっておられる方も多いと思われます。
御自身で納得された結果、選ばれた答えであれば何も問題無いのでございますが、諦めの気持ちから半ば投げやりに身を任せてしまったのでは、苦しいばかりでそれらの経験から学ぶことが難しくなってしまいます。
それらが要因となり、思い通りにならない不満が溜まり、他の方々に対し恨みや妬みの気持ちを抱きやすくなってしまうのです。
これでは、御自身が苦しいだけで成長出来ないばかりで無く、周りの方々を巻き込み傷付けかねないどころか、下手をすれば命そのものを奪い取る結果を招いてしまう危険性が生じてしまいます。

このような悲劇を回避する為にも、日頃から御自身の思いや考えを意識して上手に伝える術を学び、実践してゆけるように心掛ける必要がございます。
それに加えて、ある程度で妥協することも学ぶ必要がございますが、これは何度も経験する中で御自分なりの良い加減を知ることが必要になってまいりますので、どうぞ実践を通して皆様なりの答えを導き出してみてください。

これらの事を実践出来るようになってまいりますと、御自身が苦しむ事も周りの方々が不快な思いをされる事も徐々に減ってまいります。
その結果、気持ち良く日々を過ごせるようになるのでございます。
御自身の心の声に素直になり、現時点では叶えるのが難しいと思われる事柄であったとしても、今の状態でも成せる事を考え、一歩一歩前に進み、御自身の理想に近づく努力をなさってみてください。

(2007年12月20日)





このメッセージの内容を要約すると、嫌なものを我慢するのではなく、自分に素直になりましょう――その結果、他の方との間でトラブルになりそうな場合は、やり方を工夫しましょう――と言うことだと思います。
ただし、なぜそうした方がよいのかと言う点について理解しておかないと、その経験が自身の成長に結びつきにくくなりますので、同時にメッセージの意味についてよく考えてみたほうが良さそうです。