2011年6月30日木曜日

鹿島神宮の役目(日本のパワースポット4)

神社の中ではかなり特殊な部類に入るのがこの鹿島神宮なのですが、一体何が特殊なのかと申し上げますと、皇居と似かよった性質のエネルギーを管理しているということなのです。
本来、神社というものは『神様の出張所』のようなものなので、霊界に非常に似かよったエネルギーに満ち溢れているものなのですが、この鹿島神宮は皆様の世界を形作る物質に霊的エネルギーを馴染ませ、霊と物質のバランスを保つための役割を果たしております。
ですから、体力に自信の無い方や、体調不良の方が訪れるには最適の場所といえるでしょう。
何しろこの神社には、肉体に関する問題を解決するのに適したエネルギーに満ち溢れておりますから。

ご参拝された際に、健康のお守りを授かることで、ご自宅にいながらにして神様のエネルギーを注いでいただけますので、健康に不安のある方は是非お試しいただければと思います。
お守りというものは霊的エネルギーを注ぐための窓口となるものですから、決して気休めになるだけのものではないのですよ。
常に身につけていることで必ず助けがあるものなのです。

ですが、皆様には勘違いをしないでいただきたい事がございます。
エネルギーは確かに注がれ続けることになるのですが、決して奇跡が起こるという性質のものではないのです。
注がれたエネルギーを活かし、回復に向かうのか否かは皆様の物事に対する考え方や捉え方に大きく左右されてしまうものです。
ですが、エネルギー自体は常に注がれ続けることになりますので、チャンスさえ捉えることができれば、皆様の悩みや苦しみは解消されてゆく事でしょう。
あくまでも、問題解決のための道が見つかるなど対応策が明らかになるか、あるいは良い出会いがあるなどの間接的な援助が見込めるというものである事を忘れないようにしましょう。
そのチャンスを活かすも殺すも、皆様の考え方一つで変わってきてしまうものなのですから。

これらの知識が皆様のお役に立てましたならば幸いでございます。
どうもありがとうございました。

(2008年12月7日)





先日、管理人は霊媒Mを伴って、茨城県にある鹿島神宮と、千葉県にある香取神宮を訪れました。
今回二つの神社を訪問した目的として、日本のパワースポットとしての鹿島神宮と香取神宮の存在意義を、実際に現地を訪れた上で霊媒Mに感じ取ってもらうと言う点に加えて、メッセージにもありますが『鹿島神宮で健康のお守りを授かるように』との霊界からのアドバイスを受けた事があります。
さて、神社の存在する意味合いについては、以前伊勢神宮について紹介した【伊勢神宮の役割(日本のパワースポット2)】でも触れておりますが、鹿島神宮は神社の中でも特殊な位置づけにあるようです。
メッセージには『(鹿島神宮は)皇居と似かよった性質のエネルギーを管理している』とありますが、【皇居について(日本のパワースポット3)】で『皇居に満ちているエネルギーは皆様の肉体と馴染みやすく、霊と肉体のバランスを整えるのに最も適した場所といえる』と紹介しておりますように、鹿島神宮のパワーは肉体的な側面により大きな影響をもたらすと考えてよいでしょう。
その際、純粋にパワーの強さでは皇居が抜きんでていると思いますが、鹿島神宮の場合は神社である為、お守りやお札を授かることができるという利点があります。

メッセージでは、お守りの役割について簡単に説明しておりますが、お守りやお札などの役割について、更に詳しい説明をしていただくことによって読者の皆様の理解を深める材料になると考え、以下の点について回答を得ました。


[質問]

メッセージではお守りの役割について簡単に説明していただきましたが、お守りやお札の役割や効果について、また取り扱いに際して気をつけなくてはならない点など、霊的な視点から見たお守りについての詳しい解説をお願い致します。


[回答]

お守りについて詳しくお聞きしたいとのことでございますのでお話させていただきます。

お守りは、神社に祀られている神々の御力を常に身近に感じる事の出来る、とても便利な道具であります。
通常は神社の境内でなければ注がれる事のない御力を、お守りという道具を用いる事で、いつでもどこに居ても注いでいただけるというとても便利な物なのです。
お守りはいわば、携帯式の受信機のようなものなのです。
お札も同じで、貼られている場所や所持しておられる方々に、神々の御力が注がれるための窓口となっております。

ただ、勘違いしないでいただきたいのは、お守りを所持しただけで劇的に事態が好転するなど、奇跡的な出来事が起こるわけではないということなのです。
あくまでも、補助的なお力添えがあるというだけのことであり、皆様ご自身が問題解決に向けて積極的に取り組む事が重要である事を忘れないでいただきたいと思います。
自ら積極的に答えを求め、努力して初めて神々から注がれたお力が活かされるのです。
何もしないで、ただ助けを待っていただけでは、折角注がれている御力も無駄になってしまうのです。
なぜならそのような方々は、折角為になる情報が得られたり、絶好の機会が訪れたとしても、見過ごしてしまう可能性が高くなるからなのです。
皆様ご自身の考え方や心のあり方が、神々から注がれた御力の作用に大きく影響を与えるものであることを忘れないようにしましょう。

これらの知識が皆様のお役に立てましたなら幸いでございます。
どうもありがとうございました。

(2008年12月7日)





お守りについて解説していただきましたが、『あくまでも、補助的なお力添えがあるというだけのことであり、皆様ご自身が問題解決に向けて積極的に取り組む事が重要である』点について、改めて強調しておきたいと思います。
自助努力を積み重ねることによって、神の助力を役立てられるようになるのです。

2011年6月28日火曜日

皇居について(日本のパワースポット3)

皇居のある場所は、遥か昔から地上界と霊界を繋ぐ場所であり、皆様の世界に霊界のエネルギーを注ぐ拠点として無くてはならない特別な場所なのです。
故に、この場所には霊的エネルギーが常に満ち溢れており、皆様にとりましてはとても居心地の良い場所なのです。
この皇居にある霊界との繋がりがある拠点は、首都圏全域を覆うほど巨大な光の柱に包み込まれており、皆様の世界の秩序を護るために重要な場所なのです。

去年よりバチカンも皇居と同じ役割を担うために、霊界側で準備が着々と進められており、いずれは皇居にある拠点共々、皆様の世界の秩序を護るために多くの霊的エネルギーが注がれるようになるでしょう。
皇居においての覡役は天皇であり、バチカンにおいての覡役はローマ教皇となります。
彼らを通す事により、霊的エネルギーが皆様の世界を構成している物質に働きかけやすいエネルギーへと変換されているのです。
これらの覡が受ける霊的エネルギーは、ヒーラーが注ぐそれに質は良く似ておりますが、その量は比べ物にならないくらい膨大なものであり、質もより純度が高く濃密なものとなります。
そのような理由から、皇居に満ちているエネルギーは皆様の肉体と馴染みやすく、霊と肉体のバランスを整えるのに最も適した場所といえるのです。

皇居には、多くの神々も暮らしており、地上界においては神々が住まう場所としてはとても賑わっている場所といえるでしょう。
霊界と地上界を繋ぐ拠点ですから当然なのですが、八百万神々にとりましてもとても居心地の良い場所なのです。
もちろんそのような単純な理由から皇居に集っている訳ではなく、皇居の中の秩序を護るために暮らしているのですが。

神社やお寺などの宗教的な建物がある土地は、どちらかといえば霊界に近いエネルギーに満ち溢れているので、肉体を感じさせないほど霊体を意識させる場所なのですが、皇居を包むエネルギーは、その霊的エネルギーを物質に馴染ませやすくしてあるので、どちらかといえば肉体に馴染む感じがするのです。

皇居の周りにあるお堀のうちと外では、皇居内を護るように薄いベールのような壁で遮られており、必要以上に霊界のエネルギーが外に漏れ出さないようになっております。
なぜかといえば、エネルギーが強い場所というのはその質に関わり無く、多くの存在を引き寄せます。
その結果、地上界のバランスを崩していまう可能性があるのです。
ですから、壁を作る事でエネルギーの流失バランスを保つと同時に、皇居内に入る霊達(人間を含め)を管理しなければならないのです。
ですから、神社などと同じく、その場所に足を踏み入れるということは、神々に招かれている証拠なのです。

招かれた理由は人それぞれですが、その場所に行く事で今後の皆様に必要なエネルギーを得られるのは確かな事なのです。
そのエネルギーを活かすのか、それとも無駄にしてしまうのかは皆様の考え方次第ですが、折角、補給した霊的エネルギーなのですから、是非皆様の生活に活かしていただきたいと思います。

お付き合いいただきまして、まことにありがとうございました。

(2008年11月5日)





先の祝日に、管理人は霊媒Mを伴って、日本最大最強のパワースポット『皇居』を訪ねました。
そこで、霊界から見た『パワースポットとしての皇居』についての解説をお願いしたのですが、読者の皆様の理解を深めていただく為に、追加で解説をお願いした方がよいと思われる点があります。
そこで、以下の質問に対して回答を得ました。


[質問]

覡の役割と、日本の拠点における覡が天皇であることについて、私たち(霊媒Mと管理人)はこれまでに何度も伺っておりましたが、WEBサイト上での紹介は今回が初めてになります。
そこで、読者の皆様へ向けて、覡についての説明をお願い致します。

また、メッセージの冒頭には『皇居のある場所は、遥か昔から地上界と霊界を繋ぐ場所であり、皆様の世界に霊界のエネルギーを注ぐ拠点として無くてはならない特別な場所』とありますが、日本の覡である天皇が現在の場所に移り住んだのは明治時代になってからであり、皇居となってから150年程度しか経過しておりません。
それ以前は京都や奈良など、関西地方が長い間に渡って天皇の住まいであったのですが、それらの、かつて天皇が住まいとした地域も、現在の皇居同様に霊的なパワースポットなのでしょうか。


[回答]

覡についての説明をということでございますのでお話させていただきたいと思います。

まず第一に抑えておきたいのは、天皇はこの地上界においての覡役であるということなのです。
地上界にあるあらゆる物質に対して働きかけられるように、霊的エネルギーを変換しているのが覡役である天皇なのです。
この覡の能力はヒーラーの能力に似たものであり、そのままでは肉体に働きかける事ができないエネルギーを変換し、皆様の元へとお届けしているのです。
対象が全世界の物質ですから、その質は当然のことながら洗練されたものですし、量も膨大なものとなりますので、ヒーラーとは比べ物にはならないエネルギーをその身に受け、皆様の元にお届けしていることになります。
ですから、当然その役割を担っている天皇は、霊的にもある程度成熟している必要があるのです。
皆様の目から見て天皇が弁えているように思えるのも、より霊的に成熟していることを考えれば当然のことなのです。

今現在、ヨーロッパにおいて真理を求める声が増え続ける中で、日本の覡だけでは賄いきれないほど、多くのエネルギーが必要となる日が遠からず訪れる事は明らかでございますので、バチカンにある拠点を開放し、ローマ教皇に覡役を勤めて頂くために霊界において準備が着々と行なわれております。
このバチカンの拠点は、今後三年程度を目処に完全に開放される予定となっております。
当然ローマ教皇も多くの霊的エネルギーをその身に受ける事になりますから、今現在就任しておられる教皇(=ベネディクト16世)は霊的にもある程度成熟していると考えて間違いないでしょう。
彼以前の教皇は全て拠点を護るためだけに存在しましたが、今の教皇は実際に霊界の活動に参加し、注がれるエネルギーをその身に受ける事を考えてみても、その役目の重要性は良く分かることと思います。
ヨーロッパにお暮らしの皆様の霊的成長は著しく、求めておられる真理もより深いものへと変化を遂げている状況を目の当たりにいたしますと、私どもと致しましてもとても嬉しい限りでございます。

さて、以前天皇の住まいがあった京都や奈良についてでございますが、それらの土地は町全体に霊的エネルギーが満ちており、パワースポットと呼ぶに相応しい場所であるのは確かなのでございますが、皇居とは異なり、どちらかと言えば神社を満たしているエネルギーに近いものがあります。
ですから、霊的な部分に対する働きかけは活発なのですが、物質とのバランスで見ますと少々偏りがちの土地といえます。
霊的なエネルギーというのは、受ける器を持たない方にはどれほど注がれましてもその恩恵に与る事は難しく、見過ごしてしまう事が多いのです。
ですから、その中で暮らしているのにも関わらず、その恩恵に与れない方が殆どなのではないのでしょうか。
ですが、それでよいのです。
何に対しても言える事なのですが、過ぎるのはよくありません。
この土地は少々霊的な方に偏っているので、そこでお暮らしの皆様が物質を求める生活を繰り返す中で、徐々に崩れたバランスが取り戻されてゆく事でしょう。

『何故天皇は最初から皇居がある土地に暮らしてはいなかったのか?』 という疑問をお持ちの方も大勢おられる事と思いますので、そのことについてもお話しておきたいと思います。

明治維新以前の日本の皆様は、伝統を重んじ、その慣習に従って生きてまいりました。
ですから、自由意志を行使する範囲も狭く、自らの意思において自由に行動するというよりは、昔ながらの伝統を護り、その中で暮らすことに疑問を抱く事は少なかったと思われます。
そのため、必要とされる霊的エネルギーの量は限定されておりました。
ですが、外界の文化に接しその目で確かめるうちに、今までの伝統に疑問を持ち、新たな知識を求め始めました。
その新たな知識の求めに伴い、霊的にも注ぐエネルギーを変化させる必要がありましたし、その量も膨大なものになると感じたのです。

維新後の科学の発展のためにも膨大な霊的エネルギーが必要でした。
この点については、勘違いしておられる方が大勢いらっしゃいますが、科学というものは霊界の仕組みを皆様の世界で形にしたものであり、表現されているものは荒削りではございますが 『真理の断片』 である事には間違いないのです。
科学と霊的知識は切っても切れない間柄なのです。【文明や科学が発達することの意義(メッセージ40)】

そのような訳でございまして、天皇も維新以前より洗練されたエネルギーを、かつ膨大な量をその身に受け変換する必要性が出てきたのです。
その結果、霊界との拠点である皇居に移り住む事になったのです。

自ら考え『真理』を確信するためには、より多くの知識が必要です。
その知識を得る手助けをしているのが霊的エネルギーですから、慣習に従うのではなく、自らの意思で選択する方が大勢現れるということは、それだけ多くのエネルギーが必要になるということなのです。

過去の伝統から離れてみる事で、その伝統や慣習などをより客観的に判断できるようになるので、今の皆様は、必要なものとそうでないものを選り分けている最中といえるでしょう。
皆様はいま正に、ただ知っているという状態から、何故必要なのかを理解し、確信しているという状態へと成長を遂げるために大切な経験をしているのです。
大切に護られてきたということは、それだけ価値ある知識として重んじられてきたということですが、何故、価値があると重んじられているのか、その意味を理解していなければ知らない事と大差ないのですから。

そのような訳でございまして、皆様の目から今の世界を見たとき、混沌としているように思われるかもしれませんが、『真理』を確信するために必要な作業の最中でございますので、決して自暴自棄になってしまう事がございませんように。
必要なだけの霊的エネルギーは注がれておりますから、何も心配する事はないのです。

お付き合いくださり、まことにありがとうございました。

(2008年11月6日)





覡の役割や、かつて天皇が住まいとした土地についての丁寧な説明をいただきましたので、更に管理人から解説をつけ加える必要はないでしょう。
ご自身に縁のある神社に参拝して、霊的なエネルギーを補充するのもよいでしょうが、是非機会があれば皇居を訪ねることをお勧め致します。

2011年6月27日月曜日

伊勢神宮の役割(日本のパワースポット2)

神社というものは、この世界を形作るために下りてきた神々が祀られている場所であり、霊界からのエネルギーの通り道でもあるため、鳥居の中は霊界に似通った空気で満たされております。
今現在は、神々が神社を拠点として、地上界のエネルギーバランスを保つために管理しておられます。
その中でも、伊勢神宮のように大きな神社というものは、全国にある多くの小規模な神社のまとめ役も勤めており、霊界のエネルギーが満遍なく行き渡るように重要な役割を果たしているのです。
皆様の世界で言うところの会社組織に例えてみれば、伊勢神宮のように大規模な神社は『本社』にあたり、全国に点在する小規模な神社は『支社』にあたるのです。
このような神々の働きがあるからこそ、この世界は護られ、秩序を保つ事が出来るのです。

ここで、ひとつご注意いただきたいのですが、秩序を保つと申しましても、決して皆様にとりまして不快に思われる事柄がおきないという事ではなく、霊界全体を巡る法則が乱れず保たれるように働いているのだと言う事をご理解いただきたいと思います。
皆様の身におきる事柄は、全て皆様ご自身が選び、招いた結果でございますから、神々に不満を漏らすのは意味の無い事なのです。
ですから決して、上手く行かないからといって神々の存在を否定したり、罵ることの無い様にお願いいたします。

神社に祀られております神々は、皆様を常に見守り、必要な時には霊的エネルギーをその身に補給できるように、皆様を神社へと招いてくださるのですから。
神社へお参りの際には是非このことを頭の隅に思い描き、ご縁が出来た事に喜びと感謝の気持ちで接する事が出来るとよいですね。

神社へお参りの際には、是非『招かれているのだ』と言う事を思い出してみてください。
神々はその力を惜しみなく皆様に注ぎ、温かく迎えてくださることでしょう。

(2008年9月10日)





実は八月の夏休みを利用して、管理人は霊媒Mを伴って『お伊勢参り』に出かけました。
日程が微妙にお盆休みを外れていた為か、事前に予想したほどの混雑にも遭わずに、比較的快適なお伊勢参りができました。
その時の状況を簡単に申し上げますと、メッセージでも触れておりますが、伊勢神宮の外宮/内宮とも霊界の雰囲気を彷彿とさせる空気に充ち満ちていて、まさに神々の住まう場所に相応しい雰囲気に包まれていると、霊媒Mが感想を述べておりました。
以前、春の大型連休の際にも、霊媒Mと共に靖国神社への参拝、そして千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れ、その際のエピソードをかいつまんでご紹介しましたが、その時の体験とこの度の体験の印象を比較して、霊媒Mにも得るところが大きかったようです。
それは、メッセージにもあるように、霊界と地上界の接点としての意味合いを持つ神社の代表格であり、神社特有の雰囲気を色濃くにじませている伊勢神宮と靖国神社を比べることにより、いわゆる(伊勢神宮に代表される)一般の神社と靖国神社の違い––靖国神社の特殊性――を改めて実感したのだということでした。
言葉を変えれば、靖国神社は『日本国の行く末に関心の強い霊の宿る場所』であり、一方伊勢神宮は『八百万の神が宿る場所』と言えるでしょう。

なお、『お伊勢参り』の帰途、私たちは名古屋の熱田神宮にも足を運んだのですが、こちらも伊勢神宮同様、地域の拠点的な役割を担う神社に相応しいパワースポットであるようです。

2011年6月26日日曜日

靖国神社と千鳥ヶ淵(日本のパワースポット1)

靖国神社について賛否両論あるようですが、そもそも靖国神社とはどのような働きをしている場所であるのかを知らない方が大勢おられますので、この場を借りてご説明させていただきたいと思います。
まず、何故神社にする必要があったのかについてご説明いたしましょう。
神社や寺院、教会やモスクなど、多くの人々が信仰を寄せる場所というのは、霊界と地上界を繋ぐ窓口となっており、そこから多くの霊的エネルギーが地上界にもたらされているのです。
とは申しましても、直接霊界と繋がっているわけではなく、拠点を通じてエネルギーがもたらされているのですが。
そのような訳で、日本の行く末を慮っておられる方々が集う場所である靖国は、霊的エネルギーの通り道として最適の場所だったのです。
細かい事を申し上げれば他にも理由はあるのですが、ここでは触れる必要性を感じませんので控えさせていただきます。
そこで、皆様が信仰を寄せるであろう神社として存在する事になったのです。

これらの事からも分かりますように、靖国神社は日本を慮る方々が集う日本のための神社といえるのです。
他の神社は神々が祀られているのですが、靖国ではいわゆる英霊と呼ばれている方々が祀られております。
ですが、英霊として祀られている方が全て靖国に集っているわけではありません。
あくまでも、日本を慮っておられる方々が集っているという事を忘れないでいただきたいと思います。
ですから、当然のことながら祀られていない方でも靖国に集い、霊的エネルギーを注ぎ続けているのです。
あくまでも、日本を慮っているか否かという問題ですから、一時期騒がれたような分祀などの考えは無意味なのです。
ご自身の意思で留まっておられる方々ばかりですから。
その事をよく覚えておきましょう。
靖国に集う方々はご自身の意思でその地に留まり、皆様のお役に立ちたいという思いでエネルギーを注いでいるのです。

千鳥ヶ淵(戦没者墓苑)には戦没者のご遺骨が埋葬されておりますが、あの場所は彼らが望んだ平和そのもので満たされており、まるでその空間だけ外の世界と切り離されているかのような清浄なエネルギーで満ち溢れております。
ですから、その場所には癒しが満ち溢れており、心を病んでおられる方にはよい休養の場所となるでしょう。
あらゆる慰めと愛情と平和で満ち溢れている場所だからです。
近くを訪れた際には是非立ち寄ってみる事をお勧めいたします。
暗く沈んだ気持ちがいつの間にか軽やかに晴れ渡っている事でしょう。
なぜなら、彼らの望みはこの世界の平和と、皆様の心が喜びで満たされる事なのです。
ですから癒しの効果があるのです。
戦争でお亡くなりになられた方々が望む事は唯一つ、この世界が愛と慈しみに包まれ、平和と笑顔で満ち溢れる事なのですから。

靖国神社と千鳥ヶ淵の違いは、千鳥ヶ淵に集っておられる方々が穏やかでゆったりとした、まるで異界にでもいるかのような癒しのエネルギーを発しているのに対し、靖国神社に集っておられる方々は、今後の日本が歩むべき道すじに対して積極的にアプローチしている事なのです。
靖国神社を通して、日本の行く末に対して具体的なアプローチが成されているのです。
とは申しましても、皆様の目に見えるものではなく、霊的エネルギーによるアプローチなのですが。

このように、靖国神社と千鳥ヶ淵に集う方々は、それぞれ違う形で皆様を見守り励ましつつ、皆様の成長に必要なエネルギーをそれぞれの立場から注いでいるのです。
もちろん私もその中の一人であり、いつも皆様を見守っております。
ですから、今後どのような試練に見舞われたとしても、決して挫けることなく、皆様ご自身の力を信じてこの日本という国を守り立てていってください。

(2008年5月11日)





これは、先の大型連休中に、管理人が霊媒Mとともに靖国神社と千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れたのですが、その際に『霊界から見た靖国神社と千鳥ヶ淵の存在意義(どの様な霊が集っているのか)について説明してもらいたい』との管理人の要望を受けて、後日霊界からもたらされたメッセージです。
もっとも、靖国神社については個人的なメッセージとして、既に断片的な内容が伝えられていたのですが、今回はウェブサイトを通じて読者の皆さまにもご覧いただく目的でもたらされました。

さて、ここからはメッセージの主題である靖国神社と千鳥ヶ淵の戦没者墓苑について、メッセージには触れられていない点について、若干の補足をしておきたいと思います。
まず、靖国神社ですが、メッセージにもあるように、必ずしも靖国に祀られた英霊が集っているのではなく、『日本の行く末を慮っておられる方々が集っている』という点を第一に強調しておきたいと思います。
もちろん、その中には英霊として祀られている方も含まれますし、そうでない方もおられますが、あくまでも祀る側の人間の意向ではなく、靖国に集う霊の意志としてその場所に集っているのです。
一方、靖国神社は英霊を神として祀っておりますので、靖国に集う霊でも未熟な者の中には、『自身が神である』との誤った認識を持つ者もいる——とのことで、そういう意味では靖国が神社であることの弊害も存在するのだ、という点についても認識する必要はあるでしょう。
もっとも、靖国に集う霊の中でも成熟されている方ほど謙虚なのだそうですが。

ここで、このメッセージをきっかけに靖国神社を参拝される気持を持たれた方に向けて、霊的な側面から見た靖国神社に関する情報を、幾つかご紹介したいと思います。
なお、ここでは東京メトロ九段下駅から靖国神社へ向かう順路でご説明したいと思いますが、第一大鳥居の近辺には、上で触れた未熟霊が集団を成しているのだそうですが、大鳥居を潜り、本殿へ向かって参道を進むにつれて、徐々に集っている霊の成熟度が向上して行くのだそうです。
大村益次郎の銅像の脇を抜けて、第二鳥居を抜けると、かなり周囲の雰囲気が清浄になっているとのこと。
ちなみに、霊媒Mが周囲に集う霊の成熟度をどの様に感じているかと言うと、未熟霊の集まる領域では「重苦しい雰囲気で、背後に押し返されるような感じ」で、徐々に成熟度の高い霊の領域に入るにつれて「身体の芯から温まるような感覚で、背中を押されているように足取りも軽やかになる」のだそうです。
そして、靖国神社の中でも霊的パワーの強い場所は拝殿の入り口となる『中門鳥居』の辺りなのだそうですので、靖国神社を参拝された際には、鳥居の辺りに暫く居られることで強い霊的パワーを受け取れるのではないでしょうか。
また、併設されている遊就館では、特に英霊の遺影や、展示物の中でも九七式中戦車からは、多くの霊の存在を感じたと霊媒Mが申しておりますので、お時間があればこちらも観覧されてはいかがでしょうか。
ただし、遊就館の展示物の中でも映像展示などでは、必ずしも靖国神社に集う霊の意に沿わない内容が含まれておりますので、その点には注意が必要です。

さて、ここからは靖国神社からも歩いて行ける距離にある、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑についてです。
既にメッセージにも『あらゆる慰めと愛情と平和で満ち溢れている場所』と伝えられておりますが、こちらを訪れた際の霊媒Mの印象も同様で、「とても穏やかで心地好い気分になる。また訪れたい」と申しておりました。
私たちが訪れた時には人影も疎らでしたが、都心の真ん中だというのに墓苑の辺りだけが妙に静まり返っていて、まるで別世界に足を踏み入れたような錯覚に囚われたのを思い出します。

以上、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑について補足いたしました。

2011年6月21日火曜日

真の平和とは?(広島における原爆被災者の皆様からのメッセージ)

このように、皆様に直接お話させていただける機会をいただけました事にとても感謝しております。
皆様には是非、これから私どもがお話させていただきます『平和』についてよく考えていただき、ご自身なりの答えを模索してみていただきたいと思っております。

今、日本で暮らしておられる皆様の言葉に耳を傾けてみますと、『平和』というものは、争いや摩擦の無い状態を指して語られているように思われるのですが、いかがでしょうか?
確かに、争いや摩擦が無い状態は表面的には『平和』と感じ取れるかもしれません。
しかし、今の日本は色々な問題を抱えているにもかかわらず、隣国との摩擦を避けるためにかなり譲歩をしているように見えるのですが、皆様はどう思われますか?
そのために、日本国民は多大な不利益を被り、国内では不満が噴出しつつあるように思われます。
この状態は、果たして本当に『平和である!』と胸を張って言える状態なのでしょうか?
私どもから見ても、今の日本の状態は決して『平和』な状態とは言えない、まがい物ではないかと思えるのです。

『憲法九条があるから今の平和が保たれている!』と、まるでお題目のように唱えている方々もおられますが、一体どこを見てその様なことを仰っておられるのか、私どもには皆目見当がつかない理屈で活動をしておられるようです。

確かに私どもは戦争により命を失いました。
被害者の中には未来ある若者や子供も大勢おりました。
ですが、今、霊界で共に活動をしている仲間は、誰一人として政府や役人が悪かったとは思っていません。
皆、日本を守る為に必死に生きていただけであり、私どもも共に戦っていたのだと認識しております。

政府や役人を悪者にして、ご自身の義務や責任については全く考えておられない方が、今の日本におられるという事実はとても悲しく、『事実を見ようともしないその無責任な態度こそが罪である』と私どもは考えます。
現在の政府の皆様も役人の皆様も、本当に、懸命に日本と世界の繋がりやこれからの日本のあり方についてよく検討し、実現に向けて努力しておられるように思います。
その事を皆様は良く理解する義務があるでしょうし、協力してゆく責任が課せられていると思います。
だからこそ、日本国民であるからこその保護や権利と言うものが国から与えられていると思われ、選挙権などもその『権利』の部分に含まれるものであると思います。
よって、選挙権を有するという事は、『日本人としての義務や責任を果たすという約束のもとに与えられる特権である』と私どもは認識しておりますが、皆様はどうお考えになりますでしょうか?

確かに、今の日本は戦争をする事もなく、一見平和であるかのように見えるのですが、実際は、事実から目を背け『平和であると思いたい』と言う希望や、『責任を負うのは面倒である』と言う堕落した考えのもとに成り立っている解釈のような気がしてならないのですが、いかがなものでしょうか?
実際の日本の現状をよく観察してみれば、そんな悠長な事は言っていられない状態である事が良く理解できると思います。

皆様は一体、日本をどの様な未来へと導くつもりなのでしょうか?
そこの所をよく考え、過去から現在、そして未来へと日本の姿を思い描き、実現に向けて現実的な活動をする必要があるのではないのでしょうか?
それこそが保護と権利を与えられた国民の義務であり、責任であると思われます。
政府や官僚の揚げ足取りばかりしているのでは、日本は良くなるどころか崩壊してしまうでしょう。
皆様はそこの所をよく反省し、考え方を改めなければなりません。

少々話が本題から外れてしまいましたので、戻したいと思います。

今の日本は、隣国から不当な要求を受けているにもかかわらず、自らが譲歩する事で国家間の摩擦を避けているように見受けられますが、その様なことをして摩擦を避け続けても本当の意味で『平和』な状態を築く事はできません。
互いの意見を戦わせ、議論を重ね、互いにとって納得のゆく落としどころを模索する必要があります。
どちらか一方が例え全てでは無いにしても、殆どを受け入れるようなやり方では、真の平和は訪れる事はなく、相手を増長させてしまい、かえって自らの首を絞める結果となるのです。
真に平和的な関係を望むのであれば、価値観の共有化は不可欠であり、それ以外に実現の道は無いでしょう。
この、価値観の共有化の為に、現在の政府はとても努力しているように思います。
皆様には、是非、今の政府がどの様な事を実現しようとしているのかをよく勉強し、協力して行けるようになっていただきたいものです。

今の日本の状態を観察しておりますと、努力をしている方々が蔑ろにされ、支援者がまだまだ少数であるように見受けられましたので、現在の政府に対する記述が多くなってしまいましたが、ここでお話した事は私どもの思いであり、願いである事に間違いはございません。

今回、私どもも、天皇陛下(明治・大正・昭和)や靖国の英霊の皆様が今霊界で行なわれている活動にご協力させていただく事になりました。
今後も皆様にお話させていただく事があると思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
因みに、このメッセージは、今回天皇陛下や英霊の皆様の活動にご協力させていただく事になりました、広島における原爆被災者の集団の考えに基づくものであり、他の場所で活動しておられる原爆被災者の皆様や、今も日本にお暮らしの被災者の皆様の考えは含まれておりませんので、ご了承くださいませ。

最後まで私どものお話にお付き合いいただきまして、まことに有難うございました。
一日も早く世界が平和になる日が訪れますように。

(2009年7月10日)





私たち(霊媒Mと管理人)の私的な事情により、更新の時期がかなり遅れてしまいましたが、去る(2009年)5月の大型連休を利用して、私たちは広島を訪ねました。
高速道路が『一律千円キャンペーン』で混み合う中、首都圏から新幹線で四時間程度の快適な旅だったのですが、この度広島へ赴いたのは単なる旅行とは別の目的があったのです。
その目的の一つには、「広島に原爆が投下された当時の被災者の霊である」と名乗る皆様のお招きを受けた事があります。
更には、このところ霊媒Mに対して頻繁に通信をお送り頂いている『昭和天皇と名乗る霊』より、「原爆の被災者となられた方に是非とも言葉を掛けたい」とのご意向を示されましたで、以前【覡としての天皇の役目】や、【皆さんに知っておいて頂きたいこと】でご紹介したエピソードと同様に、昭和天皇霊のエスコート役を務める目的も兼ねておりました。
被災者の霊の皆様には大変お喜び頂き、「生きている間は自分の目でお姿を拝見することも叶わぬと思っていたのに、亡くなってからこの様な形で天皇陛下にお目にかかれるとは思いませんでした」という感想を述べた方もおられたようです。
なお、メッセージの最後に述べられておりますが、この度被災者の霊の皆様と霊媒Mの間に“道をつけ”ましたので、今後広島の被災者の霊の皆様からの通信をご紹介する機会も度々訪れることと思います。

また、今回の旅行では新たな試みにも挑戦して参りました。
広島で原爆の被害に遭われた皆様の話を伺い、また被災した当時の面影など完全に払拭されたのではないかと思えるほど、地域の中核都市として見事に復興を遂げた現在の広島を見て、一体どの様な感想を抱いたのかを、この場所に馴染み深いある人物の霊に伺うという試みでした。
その人物とは、広島に原爆を投下する命令を下した、大東亜戦争当時の米国大統領です。
その際には、霊媒Mを通じて『トルーマン大統領の霊』を指名してご登場願い、原爆と広島に関する話や、米国の霊界事情(生前アメリカ人として生きた方が、死後どの様な活動をしているのかなど)について、興味深い話を伺うことが出来ました。
今回のメッセージとは趣旨が異なりますので差し控えますが、いずれ別の機会に公開できればと思います。(『銀の紐』にて、記事【トルーマン霊との対話】として掲載)

2011年6月20日月曜日

日本国が目指した未来(明治天皇・大正天皇・昭和天皇と名乗る霊からのメッセージ)

『台湾の方々に対してのメッセージを』との要望がございましたので、台湾統治時に私どもが抱いておりました、台湾を含めましたアジア地域全体の未来像というものについてお話させていただきたいと思います。

そのお話をさせていただくためには、まず、当時のアジア地域の方々が、欧米諸国の方々によって、どの様な立場に置かれていたのかを知る必要がございます。
勤勉な皆様には、既に良くご理解いただけているものと思われますが、当時アジア地域は欧米諸国の植民地として大変苦しい生活を強いられている状態でございました。
人として扱われなかった事も多々あると伺っております。
私ども日本人も、欧米諸国の方々から見たときに、『蛮族』という位置づけにあり、対等に見られていないのは明らかでございました。

もちろん、欧米諸国の全ての方がそのように酷い方々であったという訳ではございません。
個々の方々によって、様々な考えを持っておられた事でしょう。
ですから、欧米諸国の方々が全て同じであったと考えるのは、今後、世界の中の一国として日本国が参加してゆこうとする時に誤った答えを導き出しかねないので、事実は事実として、良い事も悪い事も冷静に受け止められるような柔軟な姿勢が必要となってまいります。
どこに生まれ暮らしていたとしても、心優しい方もいらっしゃいますし、逆に犯罪に手を染めてしまうような方もおられるものです。
ただ、一国として見たときに、より大勢の方が常識として考えている事が、その国の国民性として他国の方々に認知されるようになってゆくのです。
そこの所を常に頭に入れておく必要があるでしょう。

さて、話が少々逸れてしまいましたので、戻したいと思います。
そのような、多くの事情がございまして、日本国としてはまず、欧米諸国に『対等に付き合える国』として認めていただけるように、文化的にも政治的にも、そして軍事面や技術面でも早急に近代化を施し、彼ら欧米諸国に追いつく必要があったのです。
そのような努力の甲斐もあったのでしょうか、日本国はある程度認められつつあるように見受けられました。
ですが、やはりどこか、越えられない一線というものが存在していたように思います。
越えられないというよりは、『越える事を許されない』というほうが正しいかもしれませんが…。

日本一国で、欧米諸国と渡り合うには少々無理がありました。
長期的なことを考えて私どもは、アジア地域の方々と協力して、世界の一員として欧米諸国に認めていただけるようになることが一番良い方法であると考えました。
その一環として、日本国による台湾統治や韓国併合などが執行される事となったのです。

ただ、事を急くあまりに、『現地の皆様のご意向を充分に酌んで事を運ぶ』という配慮に欠けてしまい、私どものやり方を押し付けてしまっていたように思います。
その事に関して、大変申し訳なく思っております。

私どもが目指していた未来は、全ての国々が等しく参加し、共に世界の一員として、この世界を形作ってゆける世界秩序を気付き上げることにありました。
一部の方々による偏った支配意識は、やがて世界を歪ませ、秩序は崩壊し、いずれは立ち行かなくなってしまう事が目に見えて明らかであったからです。
そして、それを欧米諸国の皆様に認めていただくには、近代化した国の実現が必要であると考え、アジアに対する政策を推し進めた結果、世界の変化とともに大東亜戦争に突入し、アジア各国の皆様にも日本国民の皆様にも、多大な被害をもたらす結果となってしまいました事、大変申し訳なく、この場をお借りいたしましてお詫びさせていただきたいと思います。

この世界の中の一員として生を受けた以上、皆等しく尊い命である事は明らかであります。
世界中の皆様がそのような考えを常識としてとらえ、平和で安定した日々を送れる世界を一日も早く実現できるよう、私どもも精一杯尽力してゆく所存でございますので、どうか皆様も諦めることなく努力し続けてください。
いつか必ず、その努力が実を結び、大輪の花を咲かせ、大勢の皆様の笑顔で溢れる日が訪れることでしょう。

最後に台湾の皆様へ一言お伝えしたいと思います。
統治時代を経る事により、台湾の皆様の人生に大変大きな影響を与えてしまう事となりました上に、最後まで責任を持つ事も出来ず、大変申し訳なく思っております。
皆様、様々な思いを抱いておられる事でしょう。
ですが、そのような中にあっても、日本国を慕い、愛情を抱いていただいている事にとても深い感銘を受けました。
台湾国民(※)の皆様と日本国民が、今後良い関係を築き、共に良きパートナーとして協力してゆける日が一日も早く訪れますように、私どもも非力ながらご支援申し上げてゆく所存にございます。
どうぞ、諦めることなく、皆様ご自身が信じた道を歩んでください。
明けない夜はありません。
そして、夜明け前が一番暗いものなのです。
今、台湾の皆様は大変苦しい状況に置かれておりますが、必ず、日は昇る事を忘れないで下さい。
誠実な行いには誠実な結果が訪れ、不実な行いには不実な結果が訪れるのです。
どうかそのことを忘れないで下さい。
皆様の上に常に平穏と癒しがありますように。

長い時間お付き合いいただきまして、まことに有難うございました。

※ 私どもは、世界情勢がどうあろうと、台湾を一国として考えております。
  そのため、『台湾国民』と表現させていただきました。

(2009年4月28日)





この度、歴代の天皇陛下を名乗る霊より、台湾国民の皆様に向けてのメッセージを頂くことになった経緯を、簡単にご説明致します。

先日、NHKにて放送された番組『JAPANデビュー』において、台湾の近代史を取り扱った放送がありましたが、その内容が「日本は当時の台湾に対してとても酷いことをした」という偏った視点のみから描かれており、近代の日台関係を著しく歪めてしまっている——との批判が上がっていることに関係します。
これまでの日本が辿った歴史的な経緯や、周辺諸国との関係から、日本の近代史は今なお『歴史問題と称した政治問題』として扱われており、国内でもなかなか見解の一致を見ない繊細なテーマだと思います。
またNHKは、日本の近代史について、「日本は当時のアジア諸国に対してとても酷いことをした」という一方的な視点で描いた番組を、従来より度々放送して来ましたが、今回は番組に出演し、日本の統治時代の経験についてのインタビューを受けた台湾人の方々ご自身から、「放送された番組は『日本人に酷い扱いを受けた』旨の部分のみを放送し、私たちが最も訴えたかった部分は放送されなかった」と、怒りの声が上がりました。
その様な流れを受けて、他局で行われた台湾追跡取材において、実は日本統治時代を懐かしんでいる台湾人の方がかなりおられるという実態が明確に捉えられておりました。

実際に日本統治時代を振り返る台湾のご老人の声を耳にするにつれて、以前【日韓併合に際して抱いた思い】で、朝鮮半島の人々に対して特別の思い入れがあることを表明した明治天皇様ですから、台湾人の皆様に対しても何か特別の思いをもたれているのではないかと推察し、台湾人の皆様に対してメッセージがあればお伺いしたいとお願い致しました。

その要望を受けてもたらされたのが上記のメッセージです。

当初は管理人も想定していなかったのですが、明治天皇様を始めとして、大正天皇様、昭和天皇様の連名でメッセージを頂けましたことは嬉しい驚きでありました。
特に、大正天皇様はこれまでメッセージの発信を控えておられましたので、この様な形で大正天皇様のご意向の断片でもお伝えできることは、誠に喜ばしい限りでございます。

なお、繰り返しお断りしておきますが、上記のメッセージは歴代の天皇陛下を名乗る霊が、霊媒Mを通じてもたらしたメッセージであり、私たち(霊媒Mと管理人)には、その正体が本当に歴代の天皇陛下の霊であるのか、あるいは天皇を騙る別の霊であるのかについて、詮索するつもりはございません。
上記メッセージの送り主が天皇陛下の霊でなくとも一向に構わない——という立場は従来通りであります。
とはいえ、既にメッセージの内容をご覧の皆様には、メッセージの送り主がどの様な存在であるのかについて、大まかには想像して頂けるのではないかと思います。
何よりも重要なのは、メッセージの内容そのものですので、ぜひメッセージを熟読された上で、送り主の意図を汲み取って頂ければと思います。

2011年6月19日日曜日

日韓併合に際して抱いた思い(明治天皇と名乗る霊からのメッセージ)

平成の時代にお暮らしの皆様に是非お伝えしておきたい事がございましたので、このような形でお話させていただきます失礼をお許し下さい。

日韓併合時について語る時、今の日本では一部の方々から『朝鮮半島への侵略や植民地支配』をしたとして、責任を問う声が上がっているようでございますが、実際のところは全く違う目的で行なわれたものでございました。

最初は同盟国として大韓帝国と共同戦線を張り、大陸の脅威に対抗するつもりでございましたが、その願いは叶わず、『併合』と言う形をとる結果となったのです。
彼らに早急に必要だったのは、『安定した生活環境と教育』でした。
あまりにも貧しく、一般市民の皆様は自らの生活で手一杯であり、とても国防の方まで思い至らない状態でしたので、他国の脅威の中にあって国を護り抜くのは大変難しい状態だったのです。

併合当時、私が思い描いていた構想は、朝鮮民族の皆様に充分に教育が行き届き、一般市民の皆様が国というものを意識して考えるだけの生活のゆとりと心構えが出来たところで、主権を復活させ、大韓帝国を同盟国として共に大陸の脅威に対抗するパートナーとして付き合ってゆくつもりでおりました。
ですから、決して、侵略や植民地支配が目的では無かったのです。
そのことを是非ともご理解いただきたく、不躾ではございますが、このような形でお話をさせていただきました。

ですが、なかなか世の中というものは思い描いた通りには運ばないものですね。
当時の決断が結局のところ、今日本でお暮らしの皆様を苦しめる結果となってしまったのですから。
大変に申し訳なく、深くお詫び申し上げます。
今の皆様にどれ程お役に立てるのかは定かではございませんが、及ばずながらも日本の皆様に向けまして、私に出来うる限りの力を注ぎ、この心豊かな日本の皆様を護り続けてゆきたいと思っております。
そして、かつては日本国民として共に暮らしておりました、大韓民国、そして朝鮮民主主義人民共和国の皆様も日本国民同様、私に取りましては我が子も同然の貴い命であると認識しております。
ですから、今は難しくとも、いずれ、未来の子等が共に手を取り合い、良い関係を築いてゆけるようになれる日を思い描きながら、お話を終わらせていただきたいと思います。

私事にお付き合いいただきました事に、とても感謝しております。
皆様が常に慈愛と平和の中にあり、心穏やかに過ごす事ができますように。
誠に、有難うございました。

(2009年1月9日)





こちらは【明治神宮について】でご紹介したように、霊媒Mとの間に道をつけられた『明治天皇と名乗る霊』より、後日賜ったメッセージとなります。
以前、『昭和天皇と名乗る霊』より賜ったメッセージ【平成の時代を生きる日本国民の皆様へ】を拝読した時にも感じましたが、歴代の天皇を名乗る霊が共に『現代の日本の手足を縛っている厄介な歴史問題』に関心をお持ちなのには、それなりの理由があるような気が致します。
このメッセージについては、日韓併合に肯定的・否定的双方の立場に立っておられる方にとって、心揺さぶられるものがあるのではないでしょうか。
国家の政策というものは、国家の指導者一人の思いによって自由に動かせるほど生やさしいものではありませんので、日韓併合に関しても明治天皇の思いのままに進められたわけではないでしょう。
しかし、少なくとも明治天皇ご自身に『朝鮮半島への侵略や植民地支配』の意図はなく、かつて一時期は日本国民であった朝鮮民族の皆様に対しても、日本国民に対するのと同様に特別の思い入れをもたれており、その思いは当時から現在に至っても揺らぐことはないのだという、明治天皇霊の深く広い慈愛の心が感じられるのではないでしょうか。

現在の日本国民にとって朝鮮民族の方は『厄介な隣人』という印象が強く、また『日本人拉致事件』や『竹島問題』を始めとして、「相手が日本でなければとっくに戦争になっている」とも言われる実害をもたらしている当事者なのですが、この『厄介な隣人』に対応するに際しても、「理不尽な行為には断固とした処置」を心がけつつも、明治天皇霊の思いを心の内に留めつつ、常に冷静に対処したいものです。

なお、これまでにも度々申し上げておりますが、『明治天皇を名乗る霊』の正体が本当に明治天皇であるのかについて、私たち(管理人と霊媒M)には追及するつもりがないことをお断りしておきます。
送られたメッセージの内容から送り主の“人となり”を想像すれば、それがどの様な相手であるのか見当をつけることが出来るでしょう。
このメッセージのご覧の皆様には、メッセージの送り主がどの様な存在に感じられましたでしょうか。

2011年6月17日金曜日

今の日本国に生きる皆様へ(靖國の英霊の皆様からのメッセージ2)

皆様にこのような形でお話をさせていただけます事にとても感謝をしております。
これからお話させていただきます事は、心を落ち着かせて、よく考えながらお読みいただきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

最近の日本の様子を観察しておりますと、『政府が悪い。官僚が悪い。』という声が所々から聞こえてまいりますが、その『政府や官僚』に対して責任を追及するだけでは、状況が変わる事はありません。
それに、責任を追及する以上、皆様ご自身にも責任が求められる事となり、皆様の発言の通りに事が運ばれた結果、後に何か不具合が生じた場合は、『皆様ご自身がリスクを背負う覚悟』が無ければなりません。
『その覚悟が無いのであれば、意見を述べる資格はない』ものと私どもは考えております。

皆様は『国家』という枠組みに護られ、その恩恵を受けているのですから、当然の事ながらその国の法は守らなければなりません。
法を守らない方が大勢現れた時のことを考えてみてください。
秩序は乱れ、国はあっと言う間に破綻してしまいます。
責任を取らず、権利だけを要求するという事は我侭な行為であり、秩序を乱すだけの無法者と何ら変わる事は無いということを、皆様には是非ご理解いただきたいものです。

今現在、困っておられる方々に対する援助は、確かに必要不可欠であると思われますし、それらの制度を政府なり役人なりに要求するのは正当な事でしょうが、不安材料を全て消し去って欲しいというのは、少々過ぎた要求のように思います。
不安というものは、皆様ご自身の心の問題なので、政府や役人が何を実行したところで、皆様の考えが改められなければ消える事は無いのです。

この国を形作っているのは、国民の皆様お一人お一人の御力であり、大変な時こそ協力してゆく精神が必要であるのにもかかわらず、誰かに責任を押し付けて、ご自身だけ被害者のように振舞うのはいかがなものでしょうか?
そのような考え方でいると、心ある方々も呆れてしまい、いつか見放されてしまいます。
求めるのであれば、ご自身で出来うる限りの努力が必要であり、その努力は必ず報われる時がやってきます。
無理をする必要はありませんが、出来る事はご自身ですることが大切です。
そのことを忘れないで下さい。
『千里の道も一歩から』ですよ。

皆様ご自身が暮らしやすく安心できる国を作りたいのであれば、積極的に政治に参加してゆかねばなりませんし、政治に参加するという事は、政府や役人と同じ様に自ら責任を負う覚悟が必要なのです。
政治家や役人だけが知っている情報を開示する事を求める声も聞かれますが、それらの情報を求める事にも責任が伴い、いわゆる権力者だけに責任を押し付けるということはできなくなります。
果たして皆様にはその覚悟がおありでしょうか?
その覚悟がおありであれば、どんどん政府や役所に意見を述べ、大いに政治に参加してください。
そうなる事で、日本国は国として一回り大きく成長する事でしょう。

皆様は一人ではないのです。
困った事があっても、必ずどこかに助けとなるものがあるはずです。
大切なのは、諦めずに捜し求め続ける姿勢なのです。
そのことをどうか忘れないで下さい。

それともう一つ、今の皆様の生活があるのは、例え、過ちや足りないところがあるにしても、政府や官僚の働きがあるから護られているということを忘れてはなりません。
足りない部分を指摘し、正してゆく事は確かに必要な事ですが、正しい行いには正当な評価をして労う事も必要な事であり、そのような積み重ねが、国民の皆様と政府や官僚の皆様を強く結びつけ、国政や行政サービスなどを円滑に実行するための潤滑剤の役割を果たしてゆくのです。

皆様ご自身も、批判ばかりで理解を全く示してくれない方よりも、きちんと評価して理解しようと努力してくれる方のほうが親近感が湧いて、親切にしたくなるでしょう?
政治家や官僚の皆様も人間ですから、認められれば嬉しいですし、『これからも日本国民の皆様の為に尽力してゆこう』という思いが湧いて来るというものです。
まずは、皆様ご自身の考え方を改め、足りないところを指摘するばかりではなく、努力している部分に関しては、感謝と支援の気持ちをもって接する必要があるでしょう。

私どもの話にお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます。
これからもこの日本国のために誠心誠意尽くしてゆくつもりでおります。
同じ日本国民の一員として共にこの国を守り立ててゆきましょう。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

(2009年5月7日)





靖國の英霊の皆様からのメッセージは、【皆さんに知っておいて頂きたいこと】に続いて二度目となります。
前回のメッセージとは打って変わって、今回は霊界の住人としての立場から見た、日本国民の皆様へ向けてのアドバイスといった内容となっております。
以前【靖国神社と千鳥ヶ淵(日本のパワースポット)】で取り上げましたように、英霊に限らず、靖国神社に集う霊は皆「日本の行く末を慮っている」と言う点を、この場でも改めて強調しておきたいと思います。
日本や日本国民の皆様の現在、そして将来について強い関心を示しているのですから、霊界から見た『現在の日本国民の皆様に足りない点や、今後も日本が繁栄し続ける為に役立つアドバイス』を皆様に伝えようと、彼らなりに様々な方法を試みておられるようです。
縁あって、霊媒Mを通じてこの様なメッセージを日本国民の皆様にお届けできるのも、英霊を始めとした靖國神社に集う霊の皆様の働きかけや、霊界の住人の皆様の普段からの尽力の賜物と言えるでしょう。
もちろん、メッセージを受け取る側の日本国民の皆様の中にも、『政府や官僚への責任追及に明け暮れても、問題の根本的解決には繋がらない。では、どうすればよいのか?』と、現在の日本を取り巻く問題への解決策を真剣に求め、聞く耳を持っておられる方の数がそれだけ増えているからこそ、問題解決のヒントとなるアドバイスが霊界からもたらされるのです。
幾ら英霊や霊界の住人が働きかけても、今を生きる人間の側に聞く耳がなければその思いは届かず、また実際に行動を起こして世の中を動かしてゆくのも、現在人間として生活している私たちなのです。
メッセージは国民の皆様にとって少々厳しい内容となっておりますが、「日本が今後も繁栄し続けるという目的を共有した同志からの腹を割った忠告」と真摯に受け止めて頂き、是非この機会に考えを深めてみてはいかがでしょうか。

2011年6月16日木曜日

皆さんに知っておいて頂きたいこと(靖國の英霊からのメッセージ1)

このような形で皆さんに直接お話できる機会が得られたことに感謝しています。
これからお話しする事は、皆様にぜひとも知っておいていただきたい私の素直な気持ちですので、どうか心穏やかにしてお付き合い下さい。

皆さんが暮らしている平成という時代を観察していると、『日本は敗戦したが、私が護りたかった大切なもの、日本人の魂とも言える精神は護られている』と確信しています。
なぜなら、今の日本は戦後六十年程の間にとても豊かな国へと成長したからです。
表面的には、他国の干渉を許し、日本にとって不利益になっているように見えるかもしれませんが、そのような状態でありながらも、今の日本を保っているという事は大変な事なのです。
もし他の国々がこのような状態に置かれていたとしたならば、戦後六十年程経った今、果たしてどれ程の国々が、この世界の中にあって大きな影響力を保ちながらも一国としてあり続ける事が出来るでしょうか?
国防に対して無防備といってもいいほどの今の日本の状態で、このように豊かに繁栄し、日本としてあり続けるのは並大抵の事ではないのです。
もし、日本人としての魂を失ってしまっていたのなら、今の日本という国は植民地と同等のとても苦しい状況にあるか、あるいは存在してはいないかもしれないのです。
そう考えたとき、『日本を確かに護りぬいた』と確信できるのです。
そして、今も私達は靖国から皆さんを護り続けていることを忘れないで下さい。

さて、皆様が大東亜戦争について語るときに、どうも暗い影のようなものを感じるのですが、何か大きな勘違いをされているのではないのでしょうか?
確かに、戦争などしなくても国として保てるのであれば、無い方が良いに決まっています。
ですが、もしも決断しなければ、大切な家族や友人、恋人など愛する人たちを護れないという状況に陥ったとしたら、皆さんも当時の私と同じ決断をするのではないのでしょうか?
戦う事で大切な人たちが暮らす日本を護る事に繋がると思えばこそ、私は誇りを持って、胸を張って出撃したのです。
死ぬ事がわかっていたのですから当然恐怖も感じていましたが、恐怖心よりも『愛する人たちが安心して暮らせる未来を護りたい』という思いのほうが勝っていたのです。
それなのに、なぜか『戦争の犠牲になった』というような暗く重い印象で語り継がれているのは、とても悲しく、せっかく護りぬいた日本に暮らしている人たちの中にそのような認識の人がいるのは、とても残念でなりません。
もちろん、全ての人が私と同じ思いで出撃したわけではないのでしょうが、同じ様な思いを抱いていた人も少なからずいたのです。

それともう一つ、これは是非日本の皆様に知っておいていただきたい事ですから、冷静に理性を働かせてお付き合い下さい。
戦争当時、私達兵士が心掛けていたのは、命の重みを忘れない事です。
例え敵兵でも、その命には敬意を表すという精神を大切に戦ってまいりました。
当然戦闘状態にあるのですから、相手の兵士の命を奪う事になります。
ですが、だからこそ、敬意を払って戦う必要があったのです。
そうでなければ、ただの虐殺になってしまうからです。
命を奪う事の重みを理解し、己の負う責任を認識する必要があったのです。
そして、戦争で戦う事の意味をよく噛み締め、『未来の日本国民には私と同じ思いを抱くことなく平和に暮らして欲しい』とよく考えたものです。
今の日本では、『日本軍が如何に残虐であったか』ということを盛んに宣伝し、日本を貶めようとしている動きがあるようですが、それは全くの事実無根であります。
多くの日本の皆さんが心に抱く『命に対する思い』というものを冷静に考えてみれば明らかなのではないのでしょうか?
それらの精神は遠い過去から今の皆様へと脈々と受け継がれているものであり、私たちの時代にも当然受け継がれていたのですから。
ですから、皆さんも日本国民であることに誇りを持ち、胸を張って生きてください。
そして、日本国民として恥じる事のない行動を心がけ、より豊かで安定した未来のために決断する事を恐れずに邁進していってください。

今はまだ、多くのしがらみや周辺諸国との関係などの問題が山積みで、戦時中の本当の日本の姿が明かされていない状態ではありますが、いずれ明らかになる事でしょう。
偽りをいつまでも通し続ける事はできませんが、事実はどんなに時が経とうとも事実として在り続けるのですから。
当時の天皇陛下や首相がどの様な御心で日本を見つめ、どこを目指していたのか、明らかになる日も近い事でしょう。
そして私達、当時の日本軍兵士が、どの様な思いを抱いて戦争で戦っていたのかを理解される日が一日も早く来る事を願いつつ、お話を終わらせていただこうと思います。

長い時間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

(2009年1月7日)





今年(2009年)の元日に明治神宮を訪れたことは、既に【明治神宮について】で述べましたが、以前より付き合いのある『東条英機と名乗る霊』のお招きに預かり、1月3日に靖國神社を訪れました。
今回の靖国参拝に当たっては幾つかの目的がありました。
第一が東条霊を始め、靖國に祀られている英霊の皆様へのご挨拶、それから「ぜひ靖國神社のお守りを授かるように」との霊界からのアドバイスに従うことでした。
無事に英霊の皆様にご挨拶申し上げ、お守りを授かってから遊就館へと向かいました。
遊就館の展示物は以前訪れた時に一通り観覧しておりましたので、今回は同行した霊媒Mを通じて、遊就館に集う英霊の皆様の様子を伺ったり、可能であれば実際に英霊の皆様と会話を交わしてみたいと考えておりました。
ところが、実は霊界において私たちの想像を絶する事態が進行していたことを、霊媒Mを通して知らされたのです。
既に【覡としての天皇の役目】で述べたように、昨年私たちは昭和天皇陵を訪れたのですが、その時に『昭和天皇と名乗る霊』が霊媒Mとの間に“道をつけて”おりました。
そして、この度昭和天皇霊が霊媒Mを仲介として靖國神社を訪れ、靖國の英霊の皆様に向けて直々にお言葉を述べられたとのことでした。
英霊のご遺影が展示されている展示室に辿り着く頃には、英霊の皆様が「天皇陛下万歳!」を唱えられており、霊媒Mには少々騒々しいくらいに感じられたようです。
その結果、私たちと共に活動されている霊団には所属しておられない英霊の皆様の中から、「天皇陛下が活動に協力されている方々なのですから、ぜひ私たちも協力させて頂きたい」とのありがたい申し出を頂き、新たに500名に及ぶ英霊の皆様の支援を得られることとなりました。
その日はそのまま家路についたのですが、新たにご協力頂ける英霊の皆様のうち、代表者10名の方が霊媒Mに帯同して来られたことを帰りの電車の中で告げられましたので、帰宅後そのまま英霊の皆様を相手に降霊会を行いました。
英霊の皆様が普段どの様に過ごしておられるのか、また霊媒の目を通じて覗いた21世紀の日本についての感想など、様々なお話を伺いました。
今回届けられたメッセージは、降霊会の際に英霊の皆様が述べられたご意見を、後日文章の形にまとめて頂いたものです。

英霊の皆様は、現在の日本国民の皆様が『大東亜戦争』について、とかくネガティブな印象を抱きがちな点に疑問を感じていたようです。
霊媒Mによると、『大切な人の未来を守る為に、堂々と胸を張って出撃したんだ。別に恥じることなどない』と、胸を張って述べておられる方のイメージを受け取ったそうです。
もちろん、全ての英霊の皆様がその思いを共有する訳ではないかも知れませんが、少なくとも霊媒Mを通じて上記の心情を述べられた英霊の方がいらっしゃる——ぜひその点を抑えて頂いた上で、『大東亜戦争』とその時代を生きた方々について思いを深める参考にして頂ければと思います。

2011年6月15日水曜日

平成の時代を生きる日本の皆様へ(昭和天皇と名乗る霊からのメッセージ2)

この様なかたちで、今を生きる日本の皆様に私の言葉をお届けする機会を与えていただけた事に感謝致します。
どうぞ、お気を楽にしてお付き合い下さい。

まず、戦犯として裁かれ、命を失われた方々についてでございますが、彼らは皆、日本の未来を思い精一杯生きた結果裁かれる事となり、大変申し訳なく思っております。
戦時中に起きたあらゆる出来事の全責任は私にあるのです。
どうぞ、彼らを責めないでいただきたいと思います。

戦時中に被害に遭い亡くなられた皆様や、そのご家族の方々には大変申し訳なく、戦時中の過ちの責任を負う覚悟で戦後公務に励んでまいりましたが、辛い思いをしておられる皆様のお気持ちを考えますと、今の自身のあり方に疑問が生じ、『何か他に出来る事があるのではないのか?』と、常に疑問を投げかけながら生きてまいりました。
肉体を離れました今でも『皆様に対する責任が果たせたのか?』との思いが湧くばかりでございます。
一日も早く皆様のお気持ちが安らぎ、心穏やかに暮らしてゆけるように願うばかりでございます。

私ども歴代の天皇は、常に今上天皇に力添えをしております。
ですから、皆様と直接お会いする事は叶いませんが、常に皆様を見守っております。
どのような状況になろうとも、己が描く未来を信じて諦めないでいただきたいと思います。
この日本という国を形作っているのは国民である皆様であり、政治家などの一部の権力者の力によるものではないのです。
この国は皆様そのものであり、私に取りましても深い慈愛を抱く国であります。
どうぞこの豊かで実り溢れる国を皆様の御力で守り続けてください。
そして、その豊かな実りを多くの皆様と分かち合える日が一日も早く訪れますようにお祈りしております。

今という瞬間瞬間を大切に、未来へと導く糧として精一杯励んでください。
いつか必ず、この国に皆様の心からの笑顔が溢れる日が訪れることでしょう。
そしてその笑顔はいずれ世界へと広がってゆくのです。
思いやりと感謝する気持ちを忘れずに。
『ありがとう』という思いは、人の心を結びつけ、絆を深く、強くするものです。
その絆の繋がりが広がる事で、世界は一つの共同体として機能し、皆様が安心して暮らしてゆける社会へと変化してゆくものなのです。

私もかつて、この慈愛溢れる日本という国に暮らし、皆様と同じ時を共有できた喜びを糧として、今後も皆様のお役に立てますように尽力してゆく所存にございます。
お話にお付き合いいただきまして、まことにありがとうございました。

(2008年12月21日)





これは、【覡としての天皇の役目】でも解説しましたように、『東条英機と名乗る霊』からの「天皇陛下(=昭和天皇)にお会いしたい」との強い要望を受けて、霊媒Mが両者の再会の仲立ちをした件がきっかけとなり、『昭和天皇と名乗る霊』から賜った日本国民の皆様へ向けてのメッセージです。

ここで一点だけ補足を致しますが、既に東条霊からのメッセージである【大東亜戦争を経験して】で言及しているように、今回初めて接触した『昭和天皇と名乗る霊』の正体について、私たち(霊媒Mと管理人)は敢えて追及するつもりはありませんし、それが『昭和天皇の名を騙る別の霊』であったとしても一向に構わないという立場に変わりはありません。
ですから、このメッセージの内容、あるいは送り主についての判断は読者の皆様にゆだねたいと思います。

一言だけ申し上げれば、管理人も霊媒Mを通じて昭和天皇霊と会話を交わしましたが、東条霊とは明らかに個性の異なる、高い知性を備えた存在を実感しました。

また、武蔵野陵を訪れた際に、管理人は風邪気味で時折咳き込んでいたのですが、昭和天皇霊にご心配いただき、風邪の症状を軽減していただくという経験をしました。
霊媒Mを通じて「今治療をした」と言われたのですが、治療前と後で何か特別な変化が起きたようには思えませんでした。
しかし、それ以降喉の痛みが心持ち和らぎ、咳が収まった事だけは、私が実際に体験した事実としてここに明記しておきたいと思います。

2011年6月14日火曜日

覡としての天皇の役目(昭和天皇と名乗る霊からのメッセージ1)

今日は簡単にではございますが、天皇が覡(かんなぎ)として果たしている霊的な役目についてお話したいと思います。

今までにもメッセージ中に、天皇が覡役として霊界から注がれているエネルギーを地上界のあらゆる物質に馴染むようにその身を通して変換している事をお話させていただきましたが、それ以外にも、もう一つ果たしている役目があるのです。
それは、この世界でバランスを保てない程に崩れてしまった霊と物質の均衡を保つために、過ぎたエネルギーその身に受け、自らの体内において昇華するというものです。
ですから、天皇が体調を崩すという事は、この世界の霊と物質との間に大きなズレが生じ、そのバランスが崩れ、世界が混乱しているということになります。

ここでご注意いただきたいのが、決してバランスを崩す結果となった原因をすべて取り除き、治める訳ではないという事なのです。
急激な乱れにより、収拾不可能なまでに崩れてしまったバランスを収拾可能な状態する為に、膨らみ過ぎた部分のみを吸収、昇華しているのです。
ですから、最終的な問題解決は皆様の手にゆだねられていると言えるのです。

なお現在、霊界において拠点開放作業中のバチカンで活動しているローマ教皇も同じ役目を果たしてゆく事になります。
ですから、決して天皇が特別というわけではない事を肝に銘じておきましょう。

それから、大切な事がもう一つあるのですが、それは『何故、覡は男性である必要があるのか?』ということなのです。
身体のつくりの違いからお分かりになるように、男性と女性では持ち合わせている性質が異なります。
男性は力強く理性的です。
それに対し、女性は柔らかく情が深いものです。
男性が動であるなら女性は静、男性が外なら女性は内といった具合に、その特質にあった役割分担というものが存在するのです。
だからこその身体の違いであり性質の違いなのです。
男性は家の外で家を守るのに適しており、女性は家の中を守るのに適しているのです。
担っている役割が違うだけなので、どちらかが劣っているというわけではありません。

そして、天皇が担っている覡という役割は、内で守り育てるというよりは、外で常に変化し続ける仕組みに対応しつつバランスを守るといった役目に分類されるのです。
だからこそ、天皇は男性である必要があるのです。

ここでお話している事は、あくまでも基本的な性質の違いについての説明でございますので、全ての方がここでお話している通りに活動しなければいけないというものではございませんのでご注意いただきたいと思います。
世の中には、男性的な女性も居れば女性的な男性も居るものなのですから、その時々で臨機応変に対応する必要がございます。
全てを同じ型に嵌めて考える必要はございません。

これらの事を踏まえた上で、天皇という存在にについてぜひ考えを深めてみてください。
この知識が皆様にとりまして成長の糧としてお役に立てましたならば幸いでございます。
ありがとうございました。

(2008年12月21日)





既に【大東亜戦争を経験して】などでご紹介しているように、私たち(霊媒Mと管理人)は『東条英機と名乗る霊』との接触を続けておりますが、この度東条霊からの強い要望がきっかけとなって、東条霊と昭和天皇霊の再会を支援することとなりました。
「天皇陛下(=昭和天皇)にお会いしたい」との東条霊の強い願望が引き金となったのか、この時より『昭和天皇と名乗る霊』が霊媒Mに接触して参りました。
昭和天皇霊も東条霊を始め、大東亜戦争によって命を絶たれた霊に直接言葉をかけたいとの意向を示されましたので、霊媒Mを仲介役として両者の再会が叶うこととなりました。
再会の場所として選ばれたのは昭和天皇のお墓である武蔵野陵なのですが、何故この場所でなくてはならなかったのかという点についての解説は、この場では割愛させていただき、「様々な状況を鑑みて、一番手っ取り早く再会出来る手段をとった」とだけ申し上げておきます。

なお、現在霊媒Mと霊界通信を行っている霊団には、大東亜戦争の際に亡くなられた霊も数多く含まれており(東条霊も同じ霊団で活動しているとのこと)、今回の昭和天皇霊との再会には約三千もの霊が参集したのだそうです。

2011年6月13日月曜日

日本人の選択(戦争で亡くなられた方のメッセージ)

日本国民の皆様に是非ともお願いしたいことがございます。
かつては日本でも戦争が行われていた時代がございましたが、皆様には同じ過ちを繰り返さないようにしていただきたいのです。
私達と同じ悲しみを抱く人達がこれ以上増えないようにと、出来うる限りの努力をしているのですが、世界中の人々が平和に過ごせる日が来るのは、まだ先になりそうです。
どんなに私達が力を尽くしても、皆様が平和を望んで努力しなければ、私達がお届けしているエネルギーも、世界中に広がってゆかないのです。
戦争は、悲しみや苦しみ、怒りや憎しみを生み、人々の心を貧しくしてしまいます。
日本の皆様は私達が戦災で逝ってから六十数年の間戦争をしていません。
ですから、平和に暮らせることが如何に素晴らしいか、よくご存じのことと思います。
それに、豊かであることの素晴らしさもお分かりのことと思います。
今はまだ、物質面の豊かさに目が向きがちの人の方が多いかもしれませんが、心が満たされて豊かな状態がどの様なものであるのか、お気づきの方も少なからずおられるのではないでしょうか。
日本国民の皆様は、そのような心が満たされた幸せな状態を周辺諸国の方々と分かち合い、共有出来るだけの技術も度量も十分に備わっております。
後は、国民の大多数の方がその事実に気付き、実践してゆく方向に向かうことが出来れば、少しずつ戦争をする国が減り、共に豊かさを共有出来る道を模索するようになるでしょう。
そうなった時、人々は悲しみの涙ではなく、喜びの涙を流すようになるのです。
そのための第一歩を踏み出すのは、皆様日本人なのです。
その記念すべき日が一日も早く訪れる様に、これからも努めてまいります。
皆様の世界が愛と慈しみで満ち溢れる日を夢見て尽力してゆく覚悟でございますので、皆様も諦めずに世界の平和にとって最善の方法を模索してみてください。

(2008年3月20日)





社会の中から戦争の実体験を積まれた方々の数が減少し、もはや戦争の影に対して、昔話か海を隔てた彼方の国で繰り広げられている、半ば物語かゲームのような非現実的な印象しか湧かない——そんな、戦争を知らない人々が社会の大多数を占めるこの国にとっては、今では当たり前となってしまった「見せ掛けの平和」という日常的な光景に対して、むしろ疎ましさを感じておられる方も少なくないのではないかと思います。
また、平和という言葉の持つイメージを悪用して、自らの偏向した政治的意図を覆い隠す格好の隠れ蓑として使用する団体によって、「平和」という言葉自体に胡散臭さがつきまとうようになってしまいました。
そこで、改めて原点に戻って、「平和とは一体何なのか?」について、この場をお借りして少々考えてみたいと思います。
辞書によると「戦争もなく世の中が穏やかであること・さま(大辞林より)」とされておりますが、私が思うに、平和とはその場にある存在の間で調和が取れている状態を意味するのでしょう。
調和が取れているとは、特定の秩序が保たれているということで、お互いが価値観を共有している状態と言い換えることが出来ます。
大まかな流れとしては、米ソ冷戦終結後、世界は経済成長と物質的繁栄という共通の価値観によって融合が進み、かつては戦乱と貧困に喘いでいた地域の人々も、(個々の地域差はあるにせよ)以前と比べれば現在の方が物質的に豊かになった——そう実感されている方々がかなりおられると思います。
しかし、物質に満たされるだけでは足りない何かがある……そして、必要以上の物質的欲求を追求することで、反ってネガティブな結果をもたらしてしまう——そういった行き過ぎた行動が招く好ましくない経験を通して新たな学びを得る——私たちは今、そんな、世界的に思い悩み沈滞する時期の入り口に立っていると言えるでしょう。
これまで世界を束ねてきた価値観ではうまくいかない——という結果を得たのですから、新たに世界の人々が共有できる価値観を掲げ、実践を通して理解と協力を得ていかなくてはなりません。
その、世界を束ねる新たな価値観を掲げるのは日本なのではないか——と、私は最近特に強く感じます。
世界的に日本文化に対する関心が深まり、様々な日本文化の側面に触れることによって、日本的価値観が世界中に浸透してゆくのです。
では、なぜ日本的価値観が世界を束ねる(世界で共有される)様になるといえるのでしょうか。
それは、現時点における日本に対する世界各国の関心の高まりと、戦後六十年余を経てようやく自己主張をする素振りを見せ始めた日本国民の姿を、半ば傍観者的な視点から観察していて、何となくその様な気がする——程度の予感でしかありません。
しかし、これまでの歴史を振り返ってみて、どちらかと言えば海外からもたらされた文化や情報を一方的に取り入れるだけだった日本が、今や世界各国に対して静かな、しかし押し止めようのない圧倒的な影響力を及ぼしつつある様子を見ていると、現在の日本と世界の関係がすべてを表している——と言えるような気がします。
そして、【メッセージを地上に送る理由2】を参考にすれば、世界の中でもバチカンを軸とした欧州諸国から、いち早く日本と価値観を共有する動きが明らかになるのでしょう。
基本的にはその様な方向性で、霊界からの組織的な働きかけは既に始まっております。
とはいえ、そういった霊界からの働きかけをどの様に受け止めて、どの様なリアクションを起こすのか——それは私たち、今を生きる人間の判断と行動にかかっております。
私たちにとっての平和が一体どのような状態で、それは望ましい状態なのか?
もし望ましいのであれば、その状態を導き出すには何をどの様にすればよいのか?
それらの事柄について、ご覧の皆さま各々で考えを深めていただければと思います。

2011年6月12日日曜日

全世界から悲しみをなくすこと(戦争被害者の霊からのメッセージ)

とても微弱で細かいイメージまでは伝わってこなかったので、『このことは果たして文章に残しておく必要があるのだろうか?』とずっと悩んでおりましたが、どうにも気になって仕方がないので、戦争の被害でお亡くなりになられた方々の意思であると思い、書き記しておく事にしました。

先日、『南京の真実』の第一部の上映会が開催されましたので観に行ったのですが、その映画の中で、空襲や原爆の被害に遭われ、お亡くなりになられた方々の写真が映し出された時、被害に遭われた皆様の感情が流れ込んできたのです。
それはとても不思議なことに、純粋に『悲しい』というものであり、彼らの纏うエネルギーはとても澄んでいて、嫌なものを感じさせるものは何一つなかったのです。
『恨み』や『憎しみ』、『苦しい』や『痛い』などの重苦しい感情は一切伝わってこなかったのです。
それがなぜなのかは分かりませんが、本当に『悲しい』という思い一色でした。
これが何を意味しているのかとても気になっているのですが、私にはよく分かりません。
しかし、一つの考えを訴えてくる方がおられるので、その内容を書き記しておきたいと思います。


戦争被害に遭われた方々の思いを感じる時、私はこう思うのです。
日本は今後、どのようなことがあろうとも、怒りに我を忘れ、憎しみに支配される事なく、必ず平和な道を自ら選び取る事だろうと。
なぜなら、大変苦しい時代を生き、そして被害に遭われ亡くなられた方々の唯一の望みは『全世界から悲しみを無くすこと』であるからなのです。
なぜ彼らが『悲しい』という思いを抱き続けているのか、皆様にはお分かりになりますか?
未だに世界から戦争による被害が無くならないからなのです。
彼らは、同じ経験をしている人々を見ると、自身の経験と重なり合い、悲しくて悲しくて仕方がなくなるのです。
戦争だけではありません、平気で人を欺き、命を奪う事件が横行しております。
それらの命を軽んじる行為は、彼らにとって悲しみ以外の何ものでもありません。
彼らは常に平和を願い、その強い思いをエネルギーと変え、世界中を包み込もうと必死の思いで尽力しているのです。
この世界から戦争や殺人を無くしたいと思っているのです。
彼らは復讐したいのではなく、この世界から悲しみを消し去ってしまいたいのでしょう。
そのようなエネルギーを発している日本という地は、とても暖かく優しさに満ちているのです。
だからこそ、日本は戦いではなく平和に繋がる道を選び取ってゆくのだろうと私は思うのです。
ですから何も心配してはおりません。
思いの力はとても大きいものです。
どうかこの慈愛に満ちた暖かなエネルギー溢れた地を大事になさってください。
皆様はこの暖かな優しい慈愛に満ちた大地に根付き、今を生きているのですから。


どなたが送ってこられたメッセージなのかは分からないのですが、この日本という地は、優しく暖かな力に包まれ、またそれらの力を世界中に向けて発しているとの事なのです。
日本に霊界と地上界を繋ぐ拠点があることを考えば納得のゆく話ではあるのですが、皆様はどうお考えになるでしょうか?

(2008年3月13日)





このメッセージが送られた経緯については、既に霊媒Mに説明していただきましたが、管理人が始めてこのメッセージに眼を通した時、「このメッセージの送り主は戦争被害者本人の霊ではない」と思いました。
元々霊媒M宛にメッセージを送る通信霊は、一連のメッセージをご覧いただければお分かりの様に、少なくとも私たち人間に宿る霊よりは成熟度が高いと思われる霊からの通信が主ですから、人間と比べれば感情的な起伏は少なく、常に冷静で落ち着いているとの印象が強いのは事実です。
また、同時期に【東条英機と名乗る霊からのメッセージ】を受けており、その霊もメッセージの内容からある程度の霊性の高さが伺えるのですが、同時に「あぁ、本当にこの霊が経験したのかも知れない……」と思わせる側面が垣間見えるのです。
ところが、上記のメッセージについてはその様な印象が一切感じられませんでしたので、このメッセージに対する判断は一時保留にしておりました。
その後、【日本人の選択】のメッセージが送られ、こちらの方が明確な印象でしたので、その時点で『日本人の選択』を『戦争被害者からのメッセージ』として公開するつもりだったのです。
それがつい先日になって、「どちらのメッセージも一般に公開された方が良いのでは?」との霊媒Mの助言を得て、この度皆様にお披露目することとなりました。

2011年6月5日日曜日

何故、名を明かしたのか?(東条英機と名乗る霊からのメッセージ3)

以前、お送りさせていただきました【大東亜戦争を経験して】において、何故、名を明かしたのかをご説明しておく必要があると思いましたので、お話させていただきたいと思います。

まず第一に、地上界で経験した個人的な事柄に関して言及したメッセージであったために、誰が経験した内容であるのかを明かす事で、皆様が理解する助けになればという狙いがございました。
余りにも個人的な事柄に限定した経験談であるため、どのような立場の人間が語ったものであるのかを明確にする事で、焦点を絞り、メッセージの意図を明らかにする必要があると思ったのです。

ですが、基本的な姿勢といたしましては、これまでにお送りしてまいりました一連の通信と同様に、表面的な事柄に拘るのではなく、通信内容をよく吟味した上で、皆様方ご自身の考えに基づいて判断していただき、『真理』を理解する助けとなればと思っております。
ですから、『東条英機』からの通信であるということよりも、戦争を経験してきた者が霊界へと赴いた後に地上界を見つめた時、どのように意識が変化し、今『皆様に対して何を伝えようとしているのか?』といったところに注目し、言葉の裏側にある『真理』に辿り着けるように熟考してみてください。
そこには必ず、皆様にとりましてもとても大切な『真実』が隠されているのです。

これらの事柄を考慮に入れ、よく吟味し、是非、皆様方なりの答えを導き出してみてください。
お付き合いくださり、まことにありがとうございました。

(2008年10月4日)





このメッセージについては、当サイトでご紹介している霊界通信の基本的姿勢である【霊界より、このメッセージを読まれる方へのお願い】との関係で、東条英機を名乗る霊が敢えて自らの生前の氏名を明らかにした理由について述べております。
特に、東条霊は当サイト掲載の霊界通信と浅からぬ関係を持っておりますので、通信霊の名を名乗る/名乗らないといった点についての姿勢の揺らぎについて、説明の必要を感じたのではないでしょうか。
いずれにしても、通信の送り主がどのような存在であるかに惑わされるよりも、ご自身の霊的成長を促す糧となる内容の通信であるか否か、通信からどのような教訓を読み取ってご自身の生活に活かしていくか——といった点に注目した方が、結果として私たちの身になるでしょう。

2011年6月4日土曜日

個人の存在意義 (東条英機と名乗る霊からのメッセージ補足)

皆様はどうやら、個人の影響力を軽視する傾向にあるようですね。
『一人だけでは余りにも無力である』と、考える方が大勢おられるようです。
ですが本当にそうなのでしょうか?
街も国も、この世界に存在するあらゆる団体は皆、個人の集合体であり、個々の人々の働きがあるからこそ成り立っているのですよ。
何のために皆様は集団で国家を築いてきたのでしょうか?
それは個人の存在を否定するようなものではなく、秩序を保ち安全に暮らしてゆけるようにするためではないのでしょうか?
むしろ個人の権限を尊重するために、ある程度の枠組みを作り、その中で暮らしているのではないのでしょうか?
それがいつの間にか、団体を守る為に個人をなおざりにしている傾向は確かに見受けられますが、そうなってしまったのは皆様が未熟なために、自身で作り上げたシステムを上手く扱う事が出来ずに振り回されてしまっているからなのですよ。
これは大変重要な事なのでよく覚えておいていただきたいのですが、団体は個人がいるからこそ成り立ち、個人もまた団体の中にあるからこそ安心して暮らしてゆけるのです。
どちらが主でも僕でもなく、互いに必要としているからこそ、そのシステムが存在しているのです。
このように考えると、皆様個人の行動や言動は国にとって大きな影響力があるのは当然のことなのですよ。
皆様は国を運営している一員なのですから、その皆様が何を思い何を目指して生きるのかは、国家にとっても大変重要な問題なのです。
皆様の考え方一つで国を繁栄させることもできれば、滅亡させる事もできるくらいの影響力があるのです。
最初に働きかけたのが例え一人であったとしても、そこに共感する人達が集まり大きな力となれば、どのような事でも可能なのですから。
個人の力が集まり団体が出来るのですから、その事を考えれば個人の力は無限大ともいえるのです。
団体になっても個人が消滅してしまうのではなく、むしろ個人が互いを尊重しながら、より大きな力を生むという相乗効果があるのです。
何かの活動を始める時、必ず発案者がいるはずです。
その時点では個人の力は確かに小さいかもしれませんが、共感する人が現れる事で団体に発展し、個人の力が寄り集まって大きな力へと成長するのです。
もしかしたら、あなたの働きかけが国を動かすほどの活動へと発展するかもしれない事を考えれば、個人が持つ影響力は未知数といえるのです。

(2008年3月19日)





このメッセージは東条英機と名乗る霊から直接送られて来た通信ではないのですが、「先に送られた東条英機と名乗る霊からのメッセージの補足として付け加える様に」との霊界側の指示がありましたので、こちらでの公開となります。
一見気がつき難い『個人が社会に及ぼす影響力の大きさ』については、実際に経験を通さなくてはなかなか理解に苦しむ側面があると思います。
しかし、それまでは世間の大半の人々が知る由もなかった、とある個人の言動や行動が、やり方次第で世間の注目と関心を浴び、いずれ社会を動かす原動力となりうるのです。
プライベートな事情により詳細は申し上げられませんが、かつて私もその様な活動に携わる一員として、実際に私たちの起こした些細なアクションの積み重ねが、次第に国家/政府の方針に影響を与える過程の一部始終を垣間見、また実際に働きかけたと言う貴重な体験があります。
ですから、個人が大衆に与える影響力の大きさは侮れないと、自らの体験を通して実感しているのですが、現実問題としてその様な経験を積まれた方は限られるでしょうから、上記の認識に対して皆様の共感と理解を得るのは難しいかも知れません。
ですが、たとえば普段のご自分の身の回りで、ご家庭で、学校で、職場で、または知人との集まりの場で、ご自身の意見や働きかけが周囲の方々の心を動かした——その様な体験はありませんでしょうか?
世間や社会となりますと、影響力を及ぼす対象の人数が桁違いに増えますが、個人が周囲の方々へ影響を及ぼす基本的な仕組みには共通性があります。
ただ、その問題の影響を受ける関係者が家族なのか、ご近所さんなのか、学校の同級生なのか、職場の同僚なのか、あるいは国家レベルなのかの違いでしかありません。
ですから、社会や国家の枠組みで解決しなくてはならない大きな問題に対しても、単に「政府/役人が悪い」と安易な責任転嫁と愚痴に逃避するのではなく、ご自身の問題として考え、解決策を模索する姿勢を心がけていただければと思います。
「私たちの国は私たちが作り上げる」という国民一人ひとりの主体的な姿勢を見せることこそが、私たちの明日をより暮らしやすい環境へ導く糧となるのですから。

2011年6月3日金曜日

未来に歴史を残してゆく皆様へ(東条英機と名乗る霊からのメッセージ2)

歴史が皆様を作るのではなく、皆様が歴史を作るのです。
そして、国をどのように作り上げてゆくのかも、皆様の選択にかかっているのです。
大東亜戦争の影響で、今の日本国が非難されている光景を目の当りに致しますと、大変心苦しいものがございます。
私どもの犯した過ちは、このようなメッセージをお伝えしたところで、とても償いきれるものではございませんが、せめて今の皆様のお役に立つことが出来ればと思い、このような形でお伝えさせていただいております。

諸外国の皆様に、日本国がどのような国であるのかをお伝えしているのは皆様ご自身であり、身近にお付き合いしている方の態度や言動などで、その方の背後にある祖国を判断しているものなのです。
ですから、皆様お一人お一人がどのような態度で周りの方々とお付き合いしているのかは、大変重要なことと言えるでしょう。
礼節を重んじれば相手の方も信頼に値すると判断し、礼を尽くしてお付き合いしていただけるでしょう。
どのような時も礼を尽くしていれば、最初はお付き合いの難しい相手でも、必ず思いが通じる時が訪れます。
短気を起こせば、己を追い詰める事にもなりかねません。
礼節を重んじるためには、相手の方をよく知っておく必要がございます。
相手の文化に応じた礼を尽くさなければ意味は無いでしょう。
大東亜戦争を振り返った時、私はいつもこう思うのです。
『あの時、皆でもっと諸外国のことを学び、礼を重んじながら冷静に和解の道を探る事が出来ていたならば』と。
軍部が暴走していたのは事実であったとしても、それは言い訳にしかならないでしょう。
私達は相手を知らなさ過ぎたのです。
違う文化や環境の中で生まれ育ち、教育を受けてきたのですから、考え方が違っていて当然であるのに、その事を見過ごして、己の感覚で諸外国と付き合おうとしていたのです。
表面的なものであれば見れば分かる事ですが、内面的なものは相手が心を許し明かしてくれなければ分からないものです。
当時の私達はその事に気付かなかったのです。
皆様には、私達と同じ過ちを繰り返さないで欲しいと願うばかりです。

今日本国が抱えている問題は、皆様が誰に対しても広い心で接し、常に礼節を重んじていれば解決する事でしょう。
皆、人柄で相手を判断しているものです。
ならば、『日本国民は信頼に値する人々である』と、諸外国の方々に思っていただけるようなお付き合いを心掛ければよいのです。
そうすれば誰が真実を語り、誰が偽りを語っているのかおのずと知れるものです。
大々的に宣伝せずとも、必ず明らかになる時は来ます。
どのような時も礼節を重んじる事を忘れないで下さい。
特に、政治に関わっておられる方々ならば尚のことです。
皆様は日本国民の代表であり、首相や大臣の態度や発言ともなれば、日本国民の意向そのものであると諸外国の方々に思われても不思議ではないのですから。

皆様が必ずや和平の道を選び取るであろう事を信じ、これからも私の持ちうる全ての力を注ぎ、日本国のために努めてまいりたいと思います。
お付き合いくださり、まことにありがとうございました。

(2008年3月11日)





こちらは、東条英機と名乗る霊からの通信の続編になります。
この通信に対する私たち(霊媒M&管理人)の基本的な立場は【大東亜戦争を経験して】で述べておりますので、ここではメッセージの内容について、気になる点を幾つか指摘しておきたいと思います。
まず、『あの時、皆でもっと諸外国のことを学び、礼を重んじながら冷静に和解の道を探る事が出来ていたならば』と反省の弁が述べられておりますが、現代の日本がこの過ちを繰り返しているという事実に、一体どのくらいの日本国民が気づいているでしょうか。
こう言ってしまうと、いかにも「日本は他の国々に対してもっと譲歩すべき」といっている様に思われる方もおられるかも知れませんが、その言葉の真意はむしろ逆であると、ここで敢えて強調しておきたいと思います。
諸外国のことを学ぶ——というのは、曇りなき眼でその国の実情を見極めるという意味で、礼を重んじながら冷静に和解の道を探る——とは、根拠のない先入観に基づいて偏った判断をせずに、基本的には自分にとっても相手にとっても好ましい解決策を探ることを意味します。
当座の騒動さえ収まるなら、自分が一方的に譲歩しても構わない——などといった、かつての(そして現在の)日本政府の外交政策に有りがちな基本姿勢によく見られる傾向とは、一見似ているようでも実は全く異なっている点に注意しなくてはなりません。
これは言葉を変えれば、「お互いに利害の共通点を探りましょう」と言っているのであって、いわば価値観の共有化であります。
これは私の個人的な認識とも非常に近いものがあり、とても共感出来る考え方だと思います。
実は、この日本にも既に同様の発想を日本の外交政策に反映させようとした試みがあります。
それが、麻生太郎元外相が提唱した「自由と繁栄の弧」という外交政策です。
日本が「自由と繁栄の弧」を強力に推進することによって、国家間関係の在りようを根本的に改めるだけの可能性を秘めていると思います。
それは日本にとって長期的に有効な安全保障政策として機能するばかりではなく、やがて世界が戦争の惨禍を退ける(その達成には多大なる時間が必要だけれども)為の、小さくとも偉大な一歩となることでしょう。
ただし、その為にはまず日本国民の過半数が「自由と繁栄の弧」という外交政策の価値を認識し、政府に対してその遂行を支持し、支援しなくてはならないでしょう。
日本が民主主義国家であるという意味について、私たちはもう少し考えを深める必要があります。
本当の意味で民主主義国家を動かしているのは、一部の強大な影響力を持った指導者などではなく、個々としては殆ど無力と思われがちな一般庶民——日本国民の意思以外にはないのですから。

2011年6月2日木曜日

大東亜戦争を経験して(東条英機と名乗る霊からのメッセージ1)

私の刑が執行されてから、もう六十年の時が流れました。
処刑台に登ったときの感覚は今でもよく覚えております。
『ここで、抵抗すれば後の世に禍根を残す事になるだろう。日本国が後に平和を取り戻し発展するためであれば、喜んでこの身を捧げようではないか』と覚悟を決め、心穏やかに逝くつもりでございましたが、刑が執行される時間が近付くにつれ恐ろしさが込上げ、どのように鎮めようと思っても抑えることが難しく、面に出す事は極力無いようにと努めておりましたが、心の中では葛藤が続いておりました。
処刑台へと移動する際などは体中が細かく震え、死への恐怖と後の日本国及び愛する者達に対する想いの間で揺れ動いておりました。
最期の瞬間までそれらの葛藤は続いていたのです。
死後の世界を知らない私にとりましては、『御仏の御許に行けるのだ』といくら言い聞かせてみても、実際にこの目で確かめるまでは半信半疑だったのです。
刑が執行されてから息を引き取るまで、皆、十分程時間がかかったようですが、実のことを申し上げますと、床が抜け首が絞まった瞬間に、皆、気を失っていたのです。
霊魂と身体が完全に分断されるまでの時間が十分程だったのでしょうね。
ですから、痛みや苦しみを感じる事は殆どなかったのです。
肉体から離れ、周りの様子を窺いますと、先に逝かれた大勢の同胞の方々が迎えに来ておりました。
そして、『御勤め、お疲れ様でございました』と、皆で敬礼し出迎えてくれたのでした。
これは何よりも嬉しい瞬間でございました。
戦争を止めることは叶わず敗北、日本国民に甚大なる被害をもたらしてしまったのも、多くの兵士を死なせてしまったのも、時代の流れとは申しましても、私の力が及ばなかった側面も多くあるのですが、彼らは私の苦しい胸のうちを察してくれていたのです。
そして私は、『これからも日本国のためにあろう。そして、霊魂となってもこの力を惜しみなく注ごう』と、固く決意したのでした。
それから六十年が過ぎ、充分に癒され、発展を遂げた今の日本国を拝見しておりますと、この国の礎として果てることが出来たことをとても嬉しく思います。
そして今、事実を客観的に見つめ直し、戦後の日本国から世界の中の日本国へと変化を遂げる時期が近づいております。
その為には、怒りではなく許しの精神で諸外国に向き合う必要があるのです。
その為には皆様日本国民が、近代日本史に対して冷静に見つめ直し、同じ認識を共有される必要があります。
そのようになれば、諸外国に対し大々的な宣伝をせずとも自然と浸透してゆくものです。
短気を起こしては、相手の思う壺、日本国は滅びに向かうでしょう。
許し協調してゆく精神は、己も相手も同時に生かしてゆくことが出来るのです。
私達の生きた時代は、まだ近代化して間もなく、諸外国との付き合いも手探りの状態でしたが、今の日本国は充分に成熟し、諸外国と協調しながら生きてゆけるだけの力と経験と知識を蓄えております。
後は、それらのものを皆様が『どのように活かしてゆくか?』という問題なのです。

後、これだけは是非伝えておきたいのですが、方法は違えど、皆、日本国を想い、故郷や家族、友など、それぞれに愛するものたちを守るべく戦いに身を置いていたという事を忘れないでいただきたいと思うのです。
良かれと思って成した事ではありましたが、無知ゆえに視野が狭く、周りが見えていなかったのです。
このことは、身体を離れ、客観的に物事を観察できるようになってみれば、皆様にもよくお分かりになることでしょう。

戦争はあくまでも、戦っている双方の責任であり、どちらか一国が断罪されるようなものではないのです。
それが戦争なのです。
ですが、現実には皆、己の正義のためと戦いに身を投じてしまいがちです。
立場が違えば正義も逆転するものです。
これではいつまでたっても、憎しみが増すばかりで、和平の道は開かれないでしょう。
だからこそ、日本国の皆様には、戦いの道ではなく、和平の道へと進んでいただきたいと思うのです。
多くの悲しみを乗り越え、驚異的な速さで焼け野原から復興を遂げ、六十数年間戦争をすることなく今までを過ごしてきたのですから。
今の世界情勢を見れば、確かに安全であるとは言いがたいため、ある程度の備えは仕方のない決断なのでしょうが、それらの力を行使する事は即ち、行動に伴う責任が生じるということなのです。
今の日本国は科学も進歩し、優秀な機器類も多く生み出されておりますから、私どもの時代よりも一人ひとりが背負う責任は大きなものとなるでしょう。
それらのことも、冷静に考えてみるのがよろしいでしょう。
今はまだ、怒りに感情が支配されている方も大勢おられますが、時が経ち少し落ち着いてきた頃に、改めてこれらのことについて深く考えてみていただきたいと思います。
私のような思いをされる方が後の世に出ることはとても悲しい事ですから。

このような形で、日本国の皆様に私の言葉をお伝えできた事に深く感謝しております。
これからも、この国の発展と平和のために力を注いでゆく所存でございます。
お付き合いくださり、まことにありがとうございました。

(2008年3月9日)





このメッセージを受けて(霊媒Mのコメント)

これらのメッセージを霊媒としての能力もまだ拙い私が受け止め、こうして文章として形に出来ました事をとても嬉しく思います。
尚、メッセージは言葉としてではなくイメージで送られてくるため、通信霊ご自身が伝えてくるニュアンスを私なりに表現しておりますので、生前のご本人とは違う言葉使いをしていたり、雰囲気が違うように感じたりする事もあるかと思われますが、私の知識の限界であり、的確な表現が出来ていない箇所がありますことをどうかご了承くださいませ。

(2008年3月9日)





このメッセージについて、若干の補足説明を加えておきたいと思います。
この日、私たち(霊媒Mと管理人)は連れ立って、とある場所を訪れました。
それは『南京の真実』という映画の上映会だったのですが、その映画を拝見した日の夜に、霊媒Mが東条英機と名乗る霊から受けた通信をまとめたのが、こちらのメッセージです。
実を申しますと、霊媒Mと東条英機を名乗る霊との接触はこれが初めてではありません。
やはり今年(2008年)の元日に、とある理由から私たちは靖国神社を参拝したのですが、その数日前にも霊媒Mは東条英機と名乗る霊からの通信を受けております。
ですが、その時と比べれば、今回はある程度まとまった形で通信を受け取ることが出来ました。
メッセージにもありますが、日本国の皆さまにこのメッセージをご覧いただくのは東条と名乗る霊自身の意向であり、また通信を受けた私たちも皆さまにごらんいただきたいと思いました。
ただし、今回のメッセージについては一つ注意していただきたい点がございます。
既に【霊界より、このメッセージを読まれる方へのお願い】を始めとして、霊が自ら名乗ることによる弊害について言及してまいりましたが、その基本的な姿勢はこのメッセージについても同様であります。
霊が名乗るままに『東条英機と名乗る霊からのメッセージ』と記しておりますが、私たちは通信の送り主である霊が東条英機の霊であるかどうかについて追及するつもりはありませんし、仮にその霊が東条英機を騙る別の霊であったとしても、一向に構わないという立場です。
以前、霊界通信におけるさにわの重要性について触れましたが、本来は通信の送り主が誰かということよりも送られてきた通信の内容が重視されるべきであるにもかかわらず、送り主が誰かといった点に惑わされてしまうケースが少なくない様に見受けられます。
ですから、霊が名乗った名前に惑わされることなく、通信の内容を十分に吟味した上で、読者の皆さまがそれぞれに判断なさればよろしいかと思います。
ちなみに私の個人的な印象を申し上げますと、一般的には東条英機という人物に対する世間の評価には厳しいものがあるように思いますが、以前『東條英機宣誓供述書』を読んだ時の感想は、「東条英機という人は時の宰相でそれなりの責任はあるが、少々悪く言われ過ぎだ」というものでした。
実際に、あの時代に誰が国家の舵取りを任されようと、殆ど何も出来ずに東条と同じ道を辿ったことでしょう。
少なくとも、東京裁判の宣誓供述書に垣間見る東条は、現代を生きる日本国民よりも余程日本の事を考えていたということは言えると思います。
そして、東条は自分自身が時の宰相であったという責任については明確に認識し、個人的には納得のいかない点もあっただろうけれども、天下の大罪人との立場を甘んじて受け入れたのです。
その東条が死後六十年を経るとどの様な心境の変化があるのかと想像しますと、メッセージの送り主が東条英機であっても余り違和感は無いように思いますが、皆様はどのように思われますか。

2011年6月1日水曜日

霊媒として感じたこと

霊媒の立場から見た霊媒が陥りやすい危険性についてお話したいと思います。

私はまだ、霊媒としての能力を明確な形で発現し始めてから日は浅いのですが、急激に霊界からのメッセージが流れ込むようになったので、未熟な自分自身の意識と霊の意識が混ざってしまうといった経験を何回もしました。
それをそのまま口に出してしまうと、誤解が生じる結果となるし、自身の驕りの気持ちにも繋がるということを、後に、通信霊やさにわからの指摘を受けて気付くことが出来ました。
その度に、冷静に判断出来るように努めなければ危険であるとの認識を強めてきました。
それと同時に、さにわの存在の大きさも強く感じるようになりました。

霊媒は常に霊と繋がりを持った状態に置かれているので、霊の考えがまるで自分の考えであるかのように錯覚しやすいのだと思います。
その上に、通信霊が伝えようとしている事柄の10%も受け取れていないことも多いようなので、そこに、自分の未熟な考えが入り込んでしまったら、通信霊の意図とは違った形で、周りの方にメッセージが伝わる危険があると思うのです。
私たち霊媒はその危険性に対して常に気を配り、考慮していく必要があるのだと思います。
相談者などに対しても、メッセージを伝える前にその危険性について十分に説明し、鵜呑みにするのではなく、メッセージをもとに自分で考えて答えを出すことの重要性を伝えていくという責任を負っているのだと思います。

これはあくまでも私個人の経験から感じ取った事柄ですから、全ての霊媒の皆様に当てはまるとは言えませんが、こういった危険性も潜んでいる場合があるということについて考えてみていただけたらと思います。

(2007年12月16日)





これは、管理人の要請で霊媒Mに語っていただいたものです。
管理人自身は霊媒との直接の意見交換や、霊媒を通じた霊界との議論を通じて感じていた部分でもあるのですが、やはり霊媒の気持ちは理解できない部分もあると思いましたので、霊媒としての率直な気持ちを語っていただきました。
霊媒とはどのような存在かと言う認識を深める参考にもなりますし、現在霊媒として活躍されている方にとっても注意を促す内容となっておりますので、ぜひ霊媒に対する理解を深める材料として役立てていただければと思います。