2011年7月4日月曜日

厳島神社における霊界事情(日本のパワースポット7)

今現在、厳島神社におられます神様についての現状を、皆様にご報告しておく必要があると思いましたので、お話させていただきたいと思います。

神様ご自身が悲鳴を上げてしまうほど土地の皆様の心が離れてしまい、厳島神社は文化遺産としての価値でしか判断されていないと感じておられるようです。
本来、神様が宿る土地というものは、神様と人間の領域の力のバランスが取れていて、初めて神様の御力に満たされ、その土地が繁栄するのですが、どうやら、厳島神社ではそのバランスが崩れてしまい、人間の領域としての力のほうが強く作用しているようです。
そのために、折角、神様が皆様に向けて御力を送っても、皆様ご自身がその御力を受ける器を有していないために上手く作用しないのです。
数年に一度、大規模修復をしなければならないほどの水害に遭うのも、そもそもの原因はそこのところにあるようです。
神様が、どんなに地元の皆様に御力を注ごうとも、人間の皆様の方は、どうやら神様との共存よりも観光収入に関心が向いているために、災害などの被害を小規模に抑えたり、あるいは災害そのものを抑えるほどの御力が発揮できないのです。

神様の御力は、決して皆様の欲望のみを叶えるためのものではありません。
全霊界の法則に基づいて活動しておられますので、いくら神様でも、人間の世界を自分の思うとおりに動かせるわけではないのです。
そこにはきちんとした秩序が存在し、成せる事柄もその秩序に沿っているため、皆様が神様に思い描くような万能性は無いのです。

それに、もし神様が皆様に求められたら全てを与えるような事をなさっておられたとしたら、皆様は努力する事を忘れ、たちまち堕落してしまう事でしょう。
だからこそ、この世界で活動しておられる神様は、皆様と協力してゆく事でその御力を存分に発揮できるようになっているのです。
皆様が努力をして初めて神様の御力が最大限に発揮されるのであって、決して、棚から牡丹餅という具合に、何もしなくても与えられるというものではないのです。
あくまでも、皆様が目的を達成するための手助けをするのが目的であり、完成された物や環境が与えられるわけでは無いということをよく覚えておくと良いでしょう。
そうして、手助けをしてゆくことで、自身の手で成し遂げる事の喜びや充実感という思いを皆様の心のうちに芽生えさせ、生き甲斐や喜びを皆様が感じ取れるようにして、自立心を育ててくださっているのです。

さて、少々話が逸れてしまいましたので、元に戻す事にいたしましょう。

厳島神社の神様は、どうやら、土地の皆様との心の繋がりが弱くなり、信頼関係が希薄になっているとお考えのようです。
本当は、もっと土地の皆様との信頼関係を強固なものとして、今後の発展の為に御力を注ぎたいと思っておられます。
ですが、神様から土地の皆様を見ますと、どうやら、厳島神社を建造物としての文化遺産というところにばかり注目し、神様の御住まいであるということがスッポリ抜け落ちてしまって、商売の事ばかりが頭の中を占めているように思えてしまうみたいです。
本当は、毎日でも、皆様と触れ合って共に喜びを分かち合い、苦難を分け合い、共に生きてゆきたいと思っておられるのに、どうやら人間の皆様方にはその気持ちが薄いようなのです。
神様がどんなに皆様のことを思い、慈しみの心で接していても、皆様がその御心を汲み取る努力を怠れば、その御力は激減し、皆様を充分に護り育てる事ができなくなってしまうのです。
人間の皆様はその事実を知り、反省する必要があるように思います。
神様は、皆様の都合の良い道具ではありません。

どうぞ是非、これらのことについてよく考えてみてください。
そしてご自身なりの答えを見出してみてください。
きっと、今までとは違う何かが見えてくるはずです。
そして、神様と上手にお付き合いする事ができるようになり、あなたの人生が開けてくる事でしょう。
あなたの心と神様の御心が重なる時、必ずあなたは本当の幸せの意味を知ることが出来るでしょう。

皆様の心のうちが常に平穏で喜びに満たされていますように。
最後までお付き合いくださり、まことにありがとうございました。

(2009年7月12日)





既に【真の平和とは?(広島における原爆被災者の皆様からのメッセージ)】でご紹介したように、霊媒Mと管理人は(2009年)5月の大型連休を利用して広島を訪ねたのですが、その際に厳島神社を訪れるという目的もありました。
当サイトの運営を開始してから一年半余り、これまでにも幾つかの神社を参詣して神様のお話を伺い、『日本のパワースポット』として紹介して参りましたが、今回の厳島神社の印象は私たちにとっても意外でした。
霊媒Mの言葉を借りると、「神社の鳥居の奥は神様の領域で、鳥居を潜ると清々しい雰囲気に包まれるものなのだけれど、厳島神社にはそれが感じられない」と困惑を示し、更に参道を進むと左肩に圧迫感を訴えるようになりました。
拝観料を徴収する神社の運営方針に不信感を覚えつつも、厳島の神様にご挨拶申し上げましたが、「ここは神社ではなくて客寄せのテーマパークと化している」というのが管理人の率直な感想でした。
これでは厳島の神様が本来の力を発揮できなくても当然です。
その為に必要な環境が整っていないのですから。
一瞬「かつて厳島におられた神様は既にこの地を去ってしまったのではないか?」という疑問が脳裡を過ぎりましたが、一応現在でもこの地に止まり続けているようです。
しかし、厳島の神様の思いとは余りにかけ離れた、日頃から神社に関わる方々のビジネス偏重姿勢には、ほとほと困り果てているといった風でした。
特に、厳島神社の宮司を始めとした神職の皆様には、「神社とは一体どの様な場所であり、どの様な役割を担っているのか」という、神様に仕える者としての基本的な心構えを思い出して頂き、「神社の形状をしたテーマパークを運営する」のではなく、由緒ある神様が鎮座するに相応しい厳島神社本来の姿を取り戻す為に尽力して頂ければと思います。
厳島神社に日頃から深く接する皆様の気持ちが神様から離れてゆけば、神様は本来の力を益々発揮しにくくなり、居心地が悪くなればいずれその地を離れてしまう可能性もあるのだという点に付いて、もう一度よく考えて頂きたいのです。





厳島神社の神様を悩ませている事情について、更に詳細な事情を伺って参りましたので、関心がございましたら併せてご覧下さい。
【銀の紐:神仏習合の弊害について】

(2014年2月1日追記)

16 件のコメント:

  1. いつも興味深く拝見させていただいております。

    自宅の近くの氏神さまが市杵島姫をお祀りしていて、時間のあるときに参拝しています。
    他の地域にもおなじ御祭神の神社(弁天様とか宗像神社)があると思うのですが、
    そちらを参拝することによって、離れた場所からでも(記事がかかれてから2年たっていますが)厳島神社の神様に力づけすることはできないのでしょうか?その地域の方々でないと効果はないのでしょうか?

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  2. 匿名様

    質問を承りました。
    しばらくお待ち下さい。

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  3. 宮島は、厳島神社よりは寧ろ、弥山の方が御神体(神奈備山)だと思うのですが、このサイトで仰っているのは、厳島神社の御祭神様(厳島三女神)の事だけでしょうか?

    個人的には、弥山には大地母神が居着き給うのではないかと感じています。
    (小生は、霊感は全くありません)

    また、厳島には白龍神が降るという説もありますし、弁財天との習合も行われました。

    結果、宮島には多くの神々がいらっしゃるのではないかと思います。

    世界遺産になり、世界中から多くの人が来るようになったのは、大地母神の働きではないかと思いますが、どうなのでしょうか?

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  4. Paul様

    質問を承りました。
    只今回答にお時間を頂いております。
    しばらくお待ち下さい。

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  5. 8月28日7:32投稿の匿名様

    日本の神様の回答が届いております。


    回答が遅くなってしまい、大変申し訳ございませんでした。
    ようやくお返事できる事になりましたので、どうぞよろしくお願いいたします。

    あなたのお気持ちは大変嬉しく、心が満たされるようです。
    本当にありがとうございます。
    神々へ思いを届けるのに物理的な距離はあまり関係がありませんから、遠方であっても神々を力づける事は可能です。
    ですから、きっとあなたの思いは厳島にも届く事でしょう。
    地域の方々と心が通い合うのが一番良い状態ですが、例え遠く離れていても、あなたから届けられたお気持ちは、神の力としてきちんと活かされてゆくことでしょう。

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  6. 8月28日7:32投稿の匿名です。

    ご返答ありがとうございました。
    こちらもほっとした気持ちになりました。

    また今の自分も、遠方でも自分のことを思ってくれる、
    知人や親族がいて、そのおかげがあって健やかに
    過ごせているのだろうな、というようなことを思いました。

    このブログの読者の皆様!
    厳島神社の神様に思いを!力を!届けましょう。



    ところで管理人様、【銀の紐を越えて】にも
    「最近のコメント」欄を追加していただけないでしょうか?
    お返事頂いたのに気づくのが遅くなってしまいましたし。

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  7. 匿名様

    私は東京在住ですが、一緒に、厳島の神々様の為にお祈りしましょう。
    カトリックと神道の二刀流ですが、厳島神社のお札を頂きました。

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  8. Paul様

    霊界の住人の皆様の回答を預かりました。



    お返事が遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。
    それでは早速回答させていただきたいと思います。

    神は祀られている全ての神社と繋がりができております。
    ですから、どこか一箇所でも繋がり方が不安定になると、神は違和感を覚えるのです。
    違和感の原因を探り、安定を取り戻すための一環として、神は人々に霊的な働きかけを行います。
    霊的な働かけのみでは限界があると感じた神が、人に分かりやすい形で情報を伝える手段として霊媒を活用されました。
    こちらの記事で問題とされておりますのは、宮島の人々と神の心が噛み合っていない状態に置かれているということなのです。
    心が噛み合っていない状態が問題なのですから、神が大勢おられたとしても、お一方でも、あまり関係がありません。
    噛み合わないものは噛み合わないのです。
    神の働かけを上手に活用する事で人々は繁栄するのです。
    どちらが欠けても繁栄は出来ません。
    厳島神社は霊と物質のバランスが崩れ、物質優位の状態が続いております。
    これは、神の働かけを人が上手に活用できていない状態という事です。
    とても不安定な状態ですから、バランスを正常に保つ働きが必要になるのです。
    大勢の人が集まり賑わいを見せるようになったからこそ、人は目先の事柄に心を奪われ、神と心を通わせる事の大切さを忘れてしまいがちになるのです。
    心が噛み合わない状態が長期間続くと、その土地での神の影響力が徐々に弱くなってしまいます。
    身体の抵抗力が弱くなったのと同じ様な状態ですから、何か事が起きた時に迅速に対応出来ずに症状が悪化しやすく、治癒するまでにも長い時間が必要になります。
    神の働きと地元の人々の努力の賜物として大勢の人々が宮島を訪れるようになりましたが、その影響で心が神から離れがちになってしまっているのならば、注意を促そうとするのは自然なことでしょう。
    神と人の心が通い合ってこその繁栄です。
    神と人が共同で守り、繁栄させてきた土地なのです。
    神と人の心がすれ違ったままだと、徐々に衰退してしまいます。
    その様な事になる前に、人々に気付いて欲しいとお考えなのでしょう。

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  9. ご回答ありがとうございます。
    東京にいても、自分の産土神である厳島神社の為に、お札を通して祈りたいと思います。

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  10. いつも心の寄り処であり、人生の指南書として有り難く拝読させていただいております。ありがとうございます。さて、厳島神社ございますが、大変深いご縁の下、2011年に参拝させていただく機会に恵まれました。参拝の数日前に事前に厳島神社をリサーチしておりましたら、宮島の鹿問題という項目が検索エンジンに引っ掛かり、拝見したところ、どうやら宮島が世界遺産に登録された辺りから街全体が観光としての宮島にスポットを当て始め、街全体の住人が鹿を疎んじて、山に鹿を返すという名目のもと、餌やりや鹿煎餅の販売を停止しているということで、様々な物議を醸しているようでございます。又、最近は鹿の虐待等も散見され、奈良の鹿の管理方法とは大きく異なるようでございます。鹿は神様のお使いと伺っております。このような状況はいささか悲しく感じられます。実際、厳島神社をねて直感的に感じたのはどことなく、神様が泣いておられるような印象を受けまして、今回のブログを拝見させていただき、とても府に落ちることごでこました。

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    1. 匿名様

      とある霊界の住人が以下の様に述べていました。
      「今後、神様との繋がりが強固になってゆく神社と、神様との繋がりが希薄になってゆく神社とに二極分化してゆく。
      そして、神様との繋がりが希薄になった神社の周囲に暮らす人々が、神様との繋がりが強い神社を攻撃する様になる」
      のだそうです。

      また、神様と神社の関係についてはこちらの記事も参考になります。
      『銀の紐』掲載記事【霊的な視点から見た神社の役割について】

      いずれにせよ、その神社を必要として守り続ける人々がいる限り、神様はその神社を通じて働きかけますが、人間が神社を必要としなくなれば、神様もその神社との繋がりを絶ってしまいます。
      また、神社の社殿を維持していても、神様との繋がりを蔑ろにすれば、神様はその神社から離れてゆきますし、神社の社殿を破壊されても、再建に向けて活動する人がいれば、神様との繋がりはより強固になるでしょう。

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    2. 早速のご返信有り難うございます。かなり市の行政にも問題があるとは言え、厳島神社が神様不在の状況に陥ってしまう事は恐ろしく寂しい限りでございます。 平清盛様も複雑なお気持ちとお察します。

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    3. 匿名様

      もちろん、今は厳島神社に神様はいらっしゃいます。
      但し、今後については何とも言えませんので、特に厳島神社の神職の方には、その点をよく考えて頂かなくてはなりません。
      同時に、厳島神社の地元に暮らす方々、厳島神社を参拝させる皆様にも、「神様のお社にお参りするのだ」と意識して頂きたいと思います。
      元々は人間が神様をその土地にお迎えしたのですから、その人間が後に神様を蔑ろにすれば、神様はいつまでもその場に留まる理由を失って離れてしまうでしょう。

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  11. 管理人様
    お世話になっています。このサイトを見てから立川の諏訪神社には二回ほどお詣りしましたが、柏手の音が自分でも驚くくらい冴えるのが不思議であります。何か御縁を感じます。

    さて、世間を戦慄させた神社関係者の犯罪ですが、亡くなった方々の私生活はさておき、当該神社に神様はもういらっしゃらない可能性が高いのでしょうか。隣の深川不動には頻繁にお詣りしていたのですが、先日その神社にもお詣りし、御守りも頂いたので残念至極です。もちろん霊感などは全くないので、特段感じたことはありませんでした。横浜にあるルーツの神社の例大祭は大変良かったと思いましたが。(非常に熱心に伝統を保持されている印象です。)

    不穏当な言い方ながら、この神社も神様が一新されていかれるのであれば救いがあるのではないか、と思う次第です。ご見解を伺えれば有り難く存じます。

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    1. 観音信者様

      最初に参考として、『銀の紐』にて掲載中の記事を上げておきましょう。

      https://inside-silvercord.blogspot.com/2010/01/blog-post_25.html

      https://inside-silvercord.blogspot.com/2014/01/blog-post_30.html

      https://inside-silvercord.blogspot.com/2014/05/blog-post_30.html

      神社とは、神の領域と人間の領域の接点であり、神様と人間の役割分担と共同作業によって維持・運営していく施設ですから、人間が神社の扱いをいい加減にしていれば、その神社は神様の目的に沿わない場所として見捨てられてしまいます。
      とはいえ、神様と共同作業をする人間とは、宮司などの神職だけではなく、氏子やその他の参拝者など、その神社に関わるあらゆる人間が、その神社を必要とするか、また維持するためにどの様な関わりを持っているかなどを、総合的に勘案して判断します。
      ですから、神職の方がトラブルを起こしたとしても、そのまま即座に神様が離れてしまうことはありません。
      そして神職の方がトラブルに対処できない場合は、氏子など周囲の関係者が、トラブルを解決して神社の維持に繋げてゆく努力が、より大きく問われてくるのではないでしょうか。
      ちょうど神様は、人間側の運営上のトラブルを、神社の関係者がどの様に解決するかを見守っている段階ではないでしょうか。
      当事者の方が真摯に、神様に教えを請い願えば、問題解決に繋がる何らかのヒントを与えてくれるかもしれません。
      今後関係者が事態の収束に尽力すれば、その過程で神様との繋がりを一層強めることも可能ですし、神社としてより多くの方の崇敬を集めることも可能となるでしょう。
      逆に、人間側の対処がいい加減であったり、無関心であったりすると、神様はそれ以上その場所に留まる理由を失って、いずれその場から立ち去ってしまうかもしれません。
      そして、神様が立ち去った神社は程なく廃れて、寂れ果ててしまうでしょう。

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    2. 管理人様
      ありがとうございます。
      リンクも熟読いたしました。この神社にはまだ神様がいらっしゃるということで、ほっとしております。ここで以下のことが言えるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

      1.「祟ってやる」などという言葉が遺されていますが、そのような浮遊霊的存在の所業は神様がお許しにならない。自分自身(の霊)に撥ね返っていくのが関の山。あるいは撥ね返った結果がこの事態なのかもしれませんが。

      2.今後は氏子さん達や参拝者の姿勢が重要な位置を占める。(というより、これまでもそうだった。)地域外からの一般参拝者としては、どのような貢献ができるかわからないが、真摯、敬虔な気持ちで参拝するのであれば神様との結びつきはできるし、御守りを持つことも同様である。浮遊霊的存在や、これまでの神職の方々の行いなどは気にする必要なし。

      3.ただし、肝試し的なふざけた気持ちで参拝すると、浮遊霊的存在の影響はあるかもしれない。

      興味本位の参拝者が一巡したと思われる時期に、行きたいという気持ちが起これば、お詣りしてお賽銭など差し上げてこようかと思います。御守りも大切に扱いたいと考えます。

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