2011年4月27日水曜日

冷静に判断し実践することの大切さ(メッセージ37)

今回は、皆様ご自身で冷静に判断を下し、実践する事の大切さについてお話させていただきたいと思います。

これまでも通信を通して再三申し上げておりますので、今まで、通信にお付き合いいただき、熟考された皆様には概ねご理解いただけている事と思われますが、先の通信で皆様にお願い申し上げました事柄共々、大変大切で重要な要素を含んでおりますし、思い違いをされておられる方もいらっしゃる様でございますので、改めましてお話させていただきます。

何故、皆様ご自身で判断を下し、実践する事が大切なのかと申しますと、皆様一人ひとりが、それぞれに様々な成長する為の目的を持って地上界に誕生しているのでございますから、他の方が代わりに事を成したところで、当然の事ながら、ご自身の成長の目的達成には繋がらないという点が一つと、良いと言われる事柄を、ただ盲目的に従順に受け止めてしまったのでは、それらの事柄の背後に隠されております真理を見落とす危険性が増してまいりますし、そのような状態では考えていないのと同じでございますから、実践を通して学び、本当の意味で心から理解するという事が難しくなってしまうという事なのでございます。

それらの事柄の結果、弊害として考えられますのは、責任の放棄なのでございます。
ご自身で考えもせず、決定も下せないという事は、無意識のうちにご自身の行動に責任を持つという事を放棄し、何か事が起きた際の為の逃げ道を作り、他の方に責任を押し付けてしまっているだけなのでございます。
そのような無責任なことでは、なかなか気付きの機会も得る事が出来ませんし、成長を停滞させてしまう結果となってしまいますので注意が必要でございます。

実のところ、文字を追い、読んだ内容や、人づてに聞いた事柄など、理解したつもりになるのは、基本的な国語力さえあれば、大変簡単な事なのでございますが、実感するに至るまでには、それはそれは長い道のりがあるのでございます。
こればかりは、ご自身の経験をもってのみ学べる事でございますから、他人任せで無責任な考え方をしているうちは、何時まで経っても実感出来ず、気付きも得られず、同じ事を何度も繰り返す結果に至るのでございます。
これらの悪循環に陥っておられる方が見受けられますので、この通信に触れることで、ご自身で考えるきっかけとなることが出来たならば幸いでございます。

とはいえ、なかなか気付けない状態に暫く留まった後で気付く事により見えてくる事柄というものもございまして、何事も程度問題ですので、一概に“この状態は良い”や“この状態は悪い”などと決め付けてしまうことは出来ないのでございますが。

皆様が霊界と呼んでおられます世界におきましても同じ事が言えるのでございますが、その世界で起きている現象や事柄はすべて、皆様が学び成長する為に必要なエッセンスが含まれているのでございます。
そこから、真理を読み解けるか否かは、皆様の読解力、洞察力、判断力、決断力、行動力に掛かっているのでございます。
これらの事を踏まえた上で、皆様に考えてみていただきたく通信させていただきました。
長いことお付き合いいただきまして真に有難うございました。

(2007年12月25日)





こちらのメッセージも、これまでのメッセージで取り上げられた重要な点について、再度強調するような位置づけのメッセージとなっております。
これは私も自分自身の経験を通して実感するのですが、同じ事柄を理解する場合でも、言葉として理解するのと、経験を通して理解するのとでは、理解の深みに大きな差が生じてまいります。
言葉で理解する状態は、その知識を全く得ていない状態よりはマシであっても、経験を通して五感から感じ取ると言う裏付けを得た知識に比べれば、ほとんど何もわかっていないのとそれ程変わらないと言って差し支えのない状態なのです。
しかし、知識を言葉で理解しただけの状態で良しとされる方が、かなり見受けられるように思います。
かつては、私もその中の一人でした。
私の場合は、周囲から見れば『人生の挫折』とも見えるのではないかと思われる時間をもち、その時に様々な事柄について考える時間が持てましたので、そういった時間を利用して無意識のうちに『自分で考える』ことを実践した結果、上記のような結論に至りました。
経験を通して理解を深める――と、言葉で表すのは簡単なようですが、それを実践するのはなかなか難しいものがあります。
しかし、日頃から意識して生活を送っていれば、きっとそのうちに『あ、こういうことなのか!』と、ご理解いただける時が訪れるでしょう。
そういった気づきこそ、まさに実践を通して初めて本当の意味が理解できることなのですから。

助けを必要とされる方への援助をされる方へ(メッセージ36)

改めまして皆様にお願いしたい事がございます。

これから助けを必要とされている方々の援助を考えておられる方、あるいは今現在、援助活動に携っておられる方々にお願いしたいのでございますが、それが如何なるものなのかと申しますと、あくまでも援助を必要とされているご本人が自主的に求めておられる中で、問題解決してゆく為の“適度な援助”が必要なのであるという事なのでございます。
“過分な援助”はご本人が成長する機会を失ってしまい、繰り返す結果に結びついてしまう危険性がございますので、十分に気を付けながらお付き合いしてゆく必要があるでしょう。

過分な援助と申しますのは、ご本人が置かれている立場について“自ら考え、決断する間も無い”ままに問題の全てを取り除き、環境を整えてしまうという、いわば“施し”の様な状態の事なのでございます。

これらの事柄は、今まで送らせていただきました通信を通して何度もお伝えしている事柄ではございますが、思い違いをされている方々も多い様でございますので、改めましてお伝えする必要があると判断致しました為、こうして通信をさせていただいております。

答えを“与えてあげる”、あるいは“教えてあげる”ことや、問題そのものを“取り除いてあげる”などの“施し”では意味が無く、それでは悩んでいるご本人が成長出来ないのと同時に、皆様ご自身が『私が助けてあげたから問題が解決したんだ!』と思うだけの自己満足に終わる危険性が大きいのでございます。
問題を解決出来るのは、あくまでもその問題を抱えておられるご本人だけなのでありますから、周りにおられる方々が“~してあげる”などという事は決して出来るようなものでは無く、かえって、そのような考えを持っておりますと、援助を試みておられる皆様ご自身が、『あまりにも可哀想だから施してあげる』などの“驕りの気持ちを抱く”などの弊害が生じてまいります。
そうなりますと、援助を試みておられる皆様“ご自身の成長の停滞”に繋がってしまう危険性がございますので、気を付けて謙虚に経験から学んでゆく姿勢というものが大切になってまいります。

周りの方々に関心を払い、『皆様のお役に立ちたい!』と思うことは、とても健全で自然な心の動きなのでございますが、どのような事柄でも“バランス”が重要でございまして、これらの場合に関しましても、相手の方の状態を考慮しつつも“付かず離れず適度なお付き合い”をしてゆくことが大切なのでございます。
これらの事柄を実践してゆく為には、“施しと援助の違い”を理解する必要が生じてまいりますと同時に、“施しの気持ちは驕りから生じ”ている危険性が含まれていることを肝に銘じておく必要がございます。
これらの事柄に加えて、因果につきましてもある程度理解しておく必要が生じてまいります。

援助と申しますのは、悩んでおられるご本人がご自分で出来る事はしていただき、出来ない部分に関しましては手を差し伸べ、倒れてしまわない様に支えてゆく事でございまして、あくまでも、ご本人が主軸となり、事を運んでゆく必要があるのでございます。
共に考え、ご本人に決断していただくことが重要になってまいりますし、それに加えまして、皆様ご自身の“自立を促しつつ支えてゆく”という姿勢が大切になるかと思われます。

因果に関しましては、簡単に申しますと、ご自身が成されました事柄につきましては、“それ相応の責任が生じますよ”という事でございまして、それが良い事であれ悪い事であれ、前世あるいは今生に置きまして成した事柄に対しまして、それらの意味を学ぶのに適した環境に置かれるという事なのでございます。
ご自身で気付かない限り、そこからは一歩も踏み出す事も逃げ出す事も叶いませんので、例え、周りの方々が原因を取り除いたとしても、その効果は一時だけのもので、またすぐに似たような状況に陥り、同じ悩みを抱え続ける事になるのでございます。

これらの事を踏まえた上で皆様を援助してゆく必要があるかと思います。
分かり易く説明致しますと、明日食べる物も無いという方々に対し、食料をお渡ししながら、それと同時に、いずれはご自身で食料を手に入れる事が出来るようになる為の術をお伝えし、徐々に実践してゆけるように促してゆくという活動に例えられると思います。(注――ODAなどの国際支援のあり方についても考えさせられる内容だと思います)

先ほども述べさせていただきましたが、今までお届けさせていただきました通信と重複する内容が多く含まれますのは、これらの事柄に対しましては思い違いをされる方が多く、それらの知識を基に活動された結果、良かれと思って成した事柄が、相手の方の成長を阻害するというケースが見受けられる為なのでございます。
そして、なかなか気付けないまま、繰り返す日々を送られておられる方々が気付く事が出来るきっかけとしてお役に立てたらと思いましたので通信させていただきました。
これらの事柄に関しまして、ご自身の洞察力を持って冷静に熟考し、判断していただければ幸いでございます。

(2007年12月24日)





一連のメッセージの中には、悩みや問題を抱えている人だけではなく、そういった方々の問題解決を援助する方々へ向けたメッセージも見られます。
このメッセージも援助をする側の方々に対して、悩みを抱える方々の成長を促すための援助の姿勢についての説明がされております。
『自分で考えること』の重要性について、随所で強調されていることは既に述べましたが、助けを必要とする人々に対して『(将来的に)自立を促す援助』のあり方が重要である点も同様に、私たちが常日頃から気をつけたい事柄です。
この点が原因となって、日常生活における様々な問題や、国家レベル・国際レベルの紛争に発展するケースも見受けられますので、関連するメッセージと読み比べつつ、理解を深めたいですね。

霊界通信を読む際の姿勢(メッセージ35)

私どもが皆様にお届けさせていただいております通信を読む際に、ご注意いただきたいことがございます。

先ほどの通信でお伝えさせていただきました事情のほかにも、ご理解いただきたいことがございます。
それは何かと申しますと、私どもも霊におきましては成長途上であり、現段階で知りうる限りの知識しかお伝え出来ないという事なのでございます。
地上界を含めまして、無限と思えるほどの霊界全体を把握致しますのはとても難しく、多くの経験を通し成長する必要がございますので、それはそれは長い道のりなのでございます。
無限に続いているのではないのかと思えるほどに遠い先に、真理の全てを理解する事が可能になる知識が蓄積されているのでございます。
私どもが生活しております世界も、霊界に置きましては、ほんの入り口に位置しているものなのでございますから、真理の一端が表れてはいるものの、より成熟された方々から申しますと足りていない部分が沢山あるのでございます。
そのように、霊界全体に置きましては幼子のような私どもが、霊的赤子とも言える皆様にお伝えできる事柄は、真理と申しましても全体のほんの一部分に過ぎないのでございますから、それらの事をご理解いただいた上で、ご自身の霊性を基に判断をしていただく必要が生じてまいります。

私どもも、更に成熟された方々の指導のもとに活動しているのでございますが、皆様の元に私どもの通信が届く際に、こちらでお伝え致しました内容の30%ほどしか伝わっておりませんように、私どもの元に、より成熟された方々から通信が届く際にも、同じように大まかな形でしか内容が伝わらないのでございます。
私どもも、より深く理解出来るように日々勤め、謙虚に受け止めつつ、常に努力しているのでございますが、理解が難しい箇所も多々ございまして、私どもなりの解釈を基に皆様にお伝えしておりますので、皆様も洞察力を働かせて冷静に観察、熟考していただけましたなら幸いでございます。

以上の事柄を是非皆様にご理解いただいた上で、この通信を読んでいただけたらと思いましたのでお伝えさせていただきました。

(2007年12月24日)





このメッセージはメッセージ6をもとに、更に詳しい説明を加えた内容となっております。
また、マイヤースの『永遠の大道』にも、マイヤース自身が同様の告白をしている部分がありますので、参考にされてはいかがでしょうか。

霊界通信の難しさ(メッセージ34)

この通信を読まれている方々にお伝えしたい事がございます。
それは、先の通信でもお伝え致しました様に、皆様に通信をお届けする際に、多くの霊が共同で働く必要があり、新たに訓練を必要と致します霊が大勢いる為に、通信の内容も伝わり難く、表現もより直接的で拙さを感じるものが多くなってしまうということなのでございます。
こちらでは地上界に通信させていただく際には、伝える予定のメッセージを100%の形でお届けしているのでございますが、不慣れな方々が訓練を兼ねた形で働いておりますので、皆様の元に届く際には10%にも満たないことが多々ございます。
今、私がお伝えしております内容も、ある程度熟練された方々が働いておられるにもかかわらず、地上界の霊媒の方(霊媒M)が不慣れという事もございまして、30%程度しか皆様には伝わっていないのでございます。
例え、そちらの霊媒の方が熟練されたと致しましても、通常で50%ほど、上手くゆきましても60%が精々でございましょう。
そのような状況でも、万々歳といった感じでございますから、80%も伝わることがございましたら、こちらと致しましては大成功といったところなのでございます。
霊界の霊媒及び通信霊や、その他にも大勢の霊達がこのプロジェクトに参加し、訓練を行い、尚且つ地上界の霊媒の方の訓練も兼ねているものでございますから、通信の内容が理解し辛いものになってしまうのは、ある意味仕方の無いことなのでございます。

そのような理由で、皆様にはご不便をお掛けする事になってしまいますが、同時に、洞察力を磨く良い機会にもなっておりますので、拙い文章の中から真理を読み解けるように、皆様も霊媒やさにわの方々共々努力していただけましたなら幸いでございます。

これからも大勢の霊達が、この通信で皆様に対しご助力してゆく経験を通して、皆様と共に成長する為に邁進してゆく覚悟でございますので、拙い通信が送られてまいりましても、『読んでも無意味だ』とお考えになるのではなくて、一通り目を通していただければと思っております。

ある程度慣れてまいりますと、又、新たな霊が訓練の為に参加致しますので、このような事が繰り返される事になると思われますが、どうか辛抱強くお付き合いいただきたいと思っております。
そちらの霊媒の方が徐々に慣れてきておりますので、最初の頃のような大雑把な内容ではなく、もう少し分かりやすい形になるとは思います。

以上のことをお願い致したく、通信させていただきました。

(2007年12月23日)





このメッセージでは、霊界通信の難しさと、特に現在の霊界側の事情(メッセージ33)から、一連のメッセージが地上界へ伝わるまでの裏事情について、率直に説明されております。
霊界通信の難しさについてはマイヤースの『永遠の大道』も参考になるでしょう。

メッセージを地上に送る理由2(メッセージ33)

何故、今の時期に皆様にこのような通信を送らせていただいているのかと申しますと、バチカンでの拠点開放に伴い、キリスト教圏(主にヨーロッパ諸国)において多くの霊が皆様への通信に携わるようになる為、新たに学ぶ必要のある霊が大勢いるという事情がございます。
今その為の訓練をこの通信を通して、霊界において行っている最中なのでございます。

霊界から地上界に通信すると一言で申しましても、そのシステムはとても複雑で、なかなか上手い具合に伝わることは無いのでございます。
それに、霊界と一言で申しましても、成長度合いが様々でございまして、無限と思えるほどの段階があるのでございます。
霊的により成熟してまいりますと、直接地上界の皆様に通信を送ることは大変困難になります。
そこで、霊界におきましても霊媒を何段階にも通し、皆様に通信しているのでございます。
私どもの通信におきましても、地上界の霊媒の方を合わせて六人の霊媒を通じて通信しております。
つまり、霊界に五人の霊媒がいることになるのでございます。
その他にも、元となるメッセージを送る為の技術を新たに学ぶ霊が大勢いるのでございます。
この事からも分かりますように、一つのメッセージをお伝えする為には多くの霊が協力し合いながら働いているのでございます。
そして、ようやく地上界の霊媒の方に伝わり、皆様に私どもがお送りした通信が届けられるのでございます。

これを分かりやすく説明させていただきますと、世界中に繋がっておりますインターネットに例える事が出来ると思われます。
それぞれに拠点となる場所があり、その拠点が互いに繋がりあっていることで世界中に繋がっているのがインターネットでございますから、各拠点を霊媒と考えていただきますと分かりやすいかと思われます。
そして、その拠点から皆様のもとへデータが送られてくるのですから、そのデータを霊界からの通信と置き換えていただければイメージ出来るのではないでしょうか?
厳密に申し上げれば異なる部分は沢山あるのですが、大まかにはそのように理解していただいて宜しいかと思われます。

更にもう一つ理由がございまして、日本におけるスピリチュアリズムに対する関心の高まりに伴い、学び、更なる知識を求めておられる方々が徐々に増えつつありますので、過去に試みられました通信で伝えられた知識よりも、さらに詳しい知識を伝える目的もあるのでございます。
そして、生活における実践を行うためのきっかけとしていただける様に、という目的もございます。

この通信において、さにわ役をお願いしている方との問答メッセージ8でもお話しさせていただいたのですが、霊界の地上界に対する働きかけは新たな段階に入り、皆様に実践していただく重要性をお伝えすることで、各々が考える時間を設け、霊性向上することに目を向け、生活の中で役立てていただけることが私どもの願いなのでございます。

とはいえ、地道にコツコツと学ぶ事が大切でございますから、ご自身が良いと思われることに対して考えをめぐらせ、実現しようと努力する中で少しずつ成長してゆくのは、皆様にとりましては大切な事なのでございます。
そのような経験を通して成長致しますと、“何が必要で、何が必要ではないのか”が徐々に変化してまいります。
そのような訳で、無理をなさることはございません。
今、ご自身が関心を持っておられる事を実践なされば良いのです。
もしそれが悪行であったならば、その事柄に対しての因果が生じ、今生で解消出来なければ、来世におきましても解消するための環境に置かれ、苦境の中で学ぶことになります。
出来ればそのようなことは無い方が良いのですが、それらの経験を通してでなければ学び取れない方もいらっしゃいますので、仕方の無いことなのでございます。

それらの悪行の被害に遭われる方々は大変お気の毒なのでございますが、これも前世、あるいは今生における因果の元に生じている結果なのでございます。
そのことに気付き、因果を解消する必要があるのす。
これは大変重要な事柄でございますので、苦境に置かれている皆様は是非よく考えて、何に気付く必要があるのか思いをめぐらせてみてください。
皆様が苦難に対して積極的に立ち向かう姿勢を見せますと、皆様の守護霊がその心の動きに応じてより活発に働きかけられる様になりますので、勇気と希望が持てる様になってまいります。

もし、関心事が善行と呼ばれるものであったならば、その方法には注意が必要でございます。
以前の通信でもお伝えいたしましたが、例えそれが人助けの為であったとしても“救ってあげる”のでは意味が無いのでございます。
問題を抱えておられるご本人にとりましては、“過分な援助ではなく、適度な援助”が必要なのです。
その方ご自身が気付き、解決してゆく必要があるからなのです。
援助される方が問題を全て取り除いてしまっては、ご本人は気付きの為の大切な機会を失ってしまい、成長する為にまた同じようなことを繰り返すことになりかねないのでございます。
そのような訳で、あくまでも援助を求めておられるご本人がお一人では難しいと思われる事柄に対してのみ援助し、時には相談相手になり、共に考えてゆくという姿勢が求められると思います。
これらの事に注意して活動されたならば、あなた方ご自身も、援助を受けた方も共に成長してゆけるのでございます。
是非これらの事柄について考えてみていただければと思います。

これらの事情がございまして、このような通信を送らせていただいております。
これからも、皆様が生活してゆく中で大切と思われる事柄を少しずつお伝えしてゆきたいと思っております。
これらの知識が少しでも皆様の成長の糧としてお役に立てれば幸いでございます。

(2007年12月23日)





このメッセージは、これまでに送られてきたメッセージのまとめとして、再度重要な点についての念押しのような内容となっております。
また、メッセージ13で若干触れている、バチカンに関連する霊界の動向についても説明されております。
日本におけるスピリチュアリズムに対する関心の高まりについては、現在私たちが手に取ることのできるスピリチュアリズム関連書籍は、代表的ともいえる『シルバーバーチの霊訓』でも、そのメッセージが地上にもたらされてからかなりの時間が経過しております。
その間に、私たち人間のスピリチュアリズムに対する理解が深まっているので、より詳しい霊的知識が地上界にもたらされる必要があると、霊界では考えているようです。
現実問題として、シルバーバーチを初めとしたスピリチュアリズム関連書籍の多くがキリスト教圏で記された影響なのか、内容にキリスト教的な色彩が強すぎる面があり、そのために誤解を招きやすい表現が見受けられます。
その原典をさらに日本語に翻訳したものを私たちが読んでいるのですから、私たちは何重もの偏ったフィルターを通して霊界通信を覗いていることになります。
ここであえて強調しておきたいのですが、決して既存の霊的知識(スピリチュアリズム関連書籍)が間違っているのではなく、霊的知識を学ぶ側の人間の理解が深まっているので、いわば成長とともに小学生用の教科書から中学生用の教科書へ教材を替えるのと同じように、私たちの理解の程度に合った新たな霊的知識の教科書が必要となったと言うことなのです。
そこで、現在霊界では、霊媒Mを通じて新たな霊的知識の教科書を地上界に下ろす為の準備をしているのだそうです。
現在霊媒Mが、一連のメッセージの受信を通じて霊媒としての訓練を行なっている背景には、その様な今後の目的を成し遂げるために必要な霊媒能力を身につけると言う意味もあるようです。
私は一応さにわ役を引き受けているのですが、実は霊媒能力に対する関心は余り高くはない方だと思っております。
基本的に、霊媒能力は肉体から開放されれば誰もが持ち合わせており、それが封印されているのは地上生活では必要のない能力だと考えているからです。
ですから、霊媒が霊界からのメッセージを受け取った事実そのものよりも、むしろ霊界からもたらされたとされるメッセージの内容に注目しております。
上でも触れましたが、既に霊界から『今後地上界に新たな教科書をもたらす』と告げられた件についても、実際に送られたメッセージを確認するまでは安易に信用するつもりはありません。
その意味では、私もこのメッセージをご覧になる皆さまと同じ視点から一連のメッセージを捉えていると、ご理解いただければよろしいのではないでしょうか。

自分と他人を比較することの無意味さ(メッセージ32)

御自身を、周りの方々と比較する事の無意味さについてお話しさせていただきたいと思います。

これらは全てに通じて言える事なのですが、あくまでもご自身の霊性向上の為に各々がそれぞれの立場で経験し学んでおりますので、他の方々と比べる事は出来ないものなのでございます。
成長度合いもいろいろでございますし、学ぶ内容もそれぞれ異なります。
置かれる環境や経験する事柄なども、個々の方々の成長を促す為に用意されたものなので、表面的な一側面を見て比べてしまうのは無意味なことと言えるでしょう。

物質において恵まれた境遇に居るように見えましても、決して羨む様なものでは無く、その経験を通して学んでいるのでございます。
物質に溺れてしまいますと、成長の停滞を招く結果となりますので、注意が必要でございます。
逆に例え貧しくとも蔑まれる様なものでは無く、やはりこれも、その経験から学んでいるのでございます。
貧しいことで卑屈な考えを持ってしまいますと、やはりこれも、成長の停滞を招く結果となりますので注意が必要でございます。

これらの事を踏まえた上でご自身と照らし合わせて考えてみてください。

(2007年12月21日)





こちらのメッセージは、メッセージ24と内容的に通じる部分があります。
人間は肉体に宿っているために、物質以外の存在を知覚する能力が制限されておりますので、どうしても物質的な側面や目に見える部分のみを、物事を考える際の判断材料にしがちになります。
物質的な側面を見ただけでは、人間は誰でも同じ人間にしか見えませんが、霊的な成長度や、地上界に誕生した目的が各自で異なっております。
成長に必要な経験を積む為――と言う目的は共通しているのですが、具体的にどのような経験が必要なのかと言う点になりますと、それこそ一人ひとりに違いがあるのです。
自分と他人とでは、今回の人生の中で積もうとしている経験の中身が違うのですから、他の人が現在置かれている状況を、表面的な物質的側面から見た判断のみで羨ましがっても、余り意味がないと言うことがお分かりいただけると思います。
貧困の中から学ぶ経験もあれば、豊かさを通して学ぶ経験もあります。
そのいずれか片方がよいと言うのではなく、両方の経験を積むことが成長にとって必要なのです。
どうかその点について十分考えを深めていただき、ご自身の成長に活かしていただきたいと思います。

自分の考えや思いを理解し、表現する事の大切さ(メッセージ31)

今回は、御自身の思いや考えを理解し、表現することの大切さについてお話ししたいと思います。

周りの方々とのトラブルを避けるために、御自身の思いに蓋をして無理に相手に合わせている方も多いのではないでしょうか?
その結果『どうせ望んだところで何も得られる訳では無い』と、考える事すら苦痛になり、ただ周りの状況に身を任せてしまっておられる方も多いと思われます。
御自身で納得された結果、選ばれた答えであれば何も問題無いのでございますが、諦めの気持ちから半ば投げやりに身を任せてしまったのでは、苦しいばかりでそれらの経験から学ぶことが難しくなってしまいます。
それらが要因となり、思い通りにならない不満が溜まり、他の方々に対し恨みや妬みの気持ちを抱きやすくなってしまうのです。
これでは、御自身が苦しいだけで成長出来ないばかりで無く、周りの方々を巻き込み傷付けかねないどころか、下手をすれば命そのものを奪い取る結果を招いてしまう危険性が生じてしまいます。

このような悲劇を回避する為にも、日頃から御自身の思いや考えを意識して上手に伝える術を学び、実践してゆけるように心掛ける必要がございます。
それに加えて、ある程度で妥協することも学ぶ必要がございますが、これは何度も経験する中で御自分なりの良い加減を知ることが必要になってまいりますので、どうぞ実践を通して皆様なりの答えを導き出してみてください。

これらの事を実践出来るようになってまいりますと、御自身が苦しむ事も周りの方々が不快な思いをされる事も徐々に減ってまいります。
その結果、気持ち良く日々を過ごせるようになるのでございます。
御自身の心の声に素直になり、現時点では叶えるのが難しいと思われる事柄であったとしても、今の状態でも成せる事を考え、一歩一歩前に進み、御自身の理想に近づく努力をなさってみてください。

(2007年12月20日)





このメッセージの内容を要約すると、嫌なものを我慢するのではなく、自分に素直になりましょう――その結果、他の方との間でトラブルになりそうな場合は、やり方を工夫しましょう――と言うことだと思います。
ただし、なぜそうした方がよいのかと言う点について理解しておかないと、その経験が自身の成長に結びつきにくくなりますので、同時にメッセージの意味についてよく考えてみたほうが良さそうです。