2011年4月27日水曜日

自分と他人を比較することの無意味さ(メッセージ32)

御自身を、周りの方々と比較する事の無意味さについてお話しさせていただきたいと思います。

これらは全てに通じて言える事なのですが、あくまでもご自身の霊性向上の為に各々がそれぞれの立場で経験し学んでおりますので、他の方々と比べる事は出来ないものなのでございます。
成長度合いもいろいろでございますし、学ぶ内容もそれぞれ異なります。
置かれる環境や経験する事柄なども、個々の方々の成長を促す為に用意されたものなので、表面的な一側面を見て比べてしまうのは無意味なことと言えるでしょう。

物質において恵まれた境遇に居るように見えましても、決して羨む様なものでは無く、その経験を通して学んでいるのでございます。
物質に溺れてしまいますと、成長の停滞を招く結果となりますので、注意が必要でございます。
逆に例え貧しくとも蔑まれる様なものでは無く、やはりこれも、その経験から学んでいるのでございます。
貧しいことで卑屈な考えを持ってしまいますと、やはりこれも、成長の停滞を招く結果となりますので注意が必要でございます。

これらの事を踏まえた上でご自身と照らし合わせて考えてみてください。

(2007年12月21日)





こちらのメッセージは、メッセージ24と内容的に通じる部分があります。
人間は肉体に宿っているために、物質以外の存在を知覚する能力が制限されておりますので、どうしても物質的な側面や目に見える部分のみを、物事を考える際の判断材料にしがちになります。
物質的な側面を見ただけでは、人間は誰でも同じ人間にしか見えませんが、霊的な成長度や、地上界に誕生した目的が各自で異なっております。
成長に必要な経験を積む為――と言う目的は共通しているのですが、具体的にどのような経験が必要なのかと言う点になりますと、それこそ一人ひとりに違いがあるのです。
自分と他人とでは、今回の人生の中で積もうとしている経験の中身が違うのですから、他の人が現在置かれている状況を、表面的な物質的側面から見た判断のみで羨ましがっても、余り意味がないと言うことがお分かりいただけると思います。
貧困の中から学ぶ経験もあれば、豊かさを通して学ぶ経験もあります。
そのいずれか片方がよいと言うのではなく、両方の経験を積むことが成長にとって必要なのです。
どうかその点について十分考えを深めていただき、ご自身の成長に活かしていただきたいと思います。

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