2011年4月29日金曜日

中絶されてしまう子供たち(メッセージ58)

中絶について、先の通信では親の立場から見た考え方や心構えをお話させていただきましたが、今回は、中絶されてしまう子供の視点から見たこの世界のシステムなどについてお話したいと思います。
先に注意しておきますが、決して親がいい加減な考えを持っていても構わないという意味ではなく、この世界のシステムとして、どの様な作用があるのかを説明するものであるという事をご理解いただきたいと思います。

さて、中絶されてしまう子供についてですが、これらの子供達はまだ人間として生きて成長するには経験が足りないために、産まれる前の状態で、人の手により堕胎されてしまうという苦痛の中から、自分自身の命の大切さを学んでおります。
以前に家畜として生きる動物達のお話メッセージ54をさせていただきましたが、その経験だけでは自身の命の尊さを理解するにはまだ足りない部分も多いため、人間として命を宿しながらも早くに命を絶たれてしまうという経験をしているのです。
要するに、この様な命に宿る霊はまだ未熟であり、始めて人間として生を受けたような方々ばかりなのです。
場合によっては何度も繰り返す方もおられるようです。
もちろん、この様な経験をしなくても充分に学んでいる霊もおりますので、全ての方が経験するわけではございませんが。

全ての経験は霊的成熟のために存在しており、それぞれの霊の成長に合わせて肉体や環境が形作られておりますので、どの様な経験をするようになるのかは皆様の考え方次第なのです。
それらの事をご理解いただいたうえで、命が宿ったり失われたりする事について、皆様ご自身でよく考えてみていただきたいと思います。

(2008年1月28日)





このメッセージは、管理人がメッセージ57に対して中絶に関する質問をしましたので、その質問への回答を補足するような位置づけの内容となっております。
ですから、メッセージ57とメッセージ58の内容を合わせて考えることによって、更に関連するこれまでのメッセージを参考にしながら、身体に宿って産まれることについての理解を深めていただければと思います。
なお、メッセージ中にも重ねて注意を促しておりますが、上記の内容が決して中絶を推奨しているわけではないという前提について、改めてここに明記しておきたいと思います。
その点については既にメッセージ57で強調しておりますので、詳細な内容については繰り返しませんが、ぜひメッセージ57の内容を再度熟読していただきたいと思います。

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