今回は、形に囚われ、安易に受け入れる事の危険性についてお話しさせていただきたいと思います。
どの様な場合でも言える事なのですが、ご自身にとって良いと思われるものを考えずに受け入れてしまいますと、弊害に見舞われる危険性があるのでございます。
これらの事をわかりやすくバラの花に例えて考えてみましょう。
バラの美しさに目を奪われ、良い香りに誘われて安易に手に取りますと、棘が指に刺さり怪我を負うことになります。
もしも、触れる前によく考え、観察する時間を設けていたならば、怪我を負うことも無かったでしょう。
この例えからも分かります様に、一見、ご自身にとって良いと思われる事柄、あるいは物の場合もあるでしょうが、それらの形に惑わされ、安易に鵜呑みにして受け入れてしまいますと“怪我を負う”ことになるのです。
下手をすれば命に関わる事もあるかもしれません。
そこで大切になってくるのが、冷静に考え、観察する時間なのです。
簡単に鵜呑みにするのではなく、少し距離をおいて考えてみる必要があるでしょう。
物的感覚を対象に説明させていただきましたので、“怪我”や“命”と表現させていただきましたが、霊的観点から申しますと“成長の停滞”と表現出来ると思われます。
今まで送らせていただきました通信に通じることでございますので、ご自身で納得出来るまでよく熟考してみてください。
(2007年12月18日)
メッセージ25-2
先の通信に加えておきたいことがございます。
“怪我”をした時点で気付くことが出来れば、痛い思いは致しましたが成長することができます。
これは“成長の停滞”とは異なり、遠回りしたのですが、“安易に鵜呑みにすると怪我をする”と気付いたので、成長することが出来たということになるのです。
その過程も又大切なものであり、今まで分からなかった事を経験を通して学んでいるのでございます。
しかしながら、何度“怪我”を負っても気付けない場合もございます。
これは正に“成長の停滞”に陥った状態なのでごさいます。
そこで、皆様にお伝えすることで、考えるきっかけにしていただければと思い通信させていただきました。
(2007年12月18日)
物的感覚における“怪我”と、霊的観点からみた“成長の停滞”では、メッセージにあるように厳密には異なりますので、霊的観点から見た“成長の停滞”についてのさらに詳しい説明が必要と感じ、以下の質問に対しての回答を得ました。
メッセージ25、25-2を受けた質問と回答
[質問]
“成長の停滞”が、その後の成長にどの様な影響を及ぼすのかについて、私たちに理解しやすい例えを用いて説明していただけるとありがたいのですが。
[回答]
母親のお腹で成長している赤子に例えることが出来ると思います。
母親のお腹の中で十分に成長出来なかった場合、産まれてから大変苦労することになります。
何らかの障害が表れることもあるでしょうし、未熟すぎて自力では生存出来ず、命を失うこともあるでしょう。
無事に成長出来たとしても、何らかの障害により、自己を上手く表現出来ないというトラブルに見舞われることになるのです。
これらの事から分かりますように、成長が停滞致しますと、自己表現がままならずコミュニケーションを図るのが難しくなるのです。
その結果自らの内に籠りがちになり、他の方々との接触を避けるようになるので、成長する為に必要な刺激を受ける事が出来なくなるのです。
ご自身でこの悪循環に気付かない限り、何度でも繰り返す事になるのです。
内に籠るといいましても、実際に“引きこもる”訳ではなく、“心のあり方”がそのようになってしまうという事なのです。
これらの事を踏まえた上で、ご自身と照らし合わせて考えていただければ幸いでございます。
(2007年12月18日)
生まれたての赤ちゃんに対して、周囲の人々が適度に接触をしてあげないと、最初はうるさいくらいに泣いていた赤ちゃんがだんだん泣かなくなり、遂には黙り込んでしまう――いわゆるサイレント・チルドレンと呼ばれる現象にも似ていると思います。
[回答]の場合は、赤ちゃんが母胎にある状態で十分に成長できなかった例えですが、サイレント・チルドレンの場合は、生誕後の育児方法を誤ってしまったために、赤ちゃんのコミュニケーション能力の成長が滞っている状態と例えられるのではないでしょうか。
メッセージ20で子育てをすることの重要性についての説明がありますので、『育てる側』と『育てられる側』双方の視点を比較しながら、こちらのメッセージも合わせて読まれると、さらに理解が深まると思います。
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