2011年4月28日木曜日

本当に愛するということ(メッセージ45)

本当に愛するということについて、お話させていただきたいと思います。

地上界も含めて、霊界全体は深い愛の上に成り立っております。
この世界は、みな同じ法則の下に存在し、その深い愛に包まれております。
皆様が考えておられるよりも、もっと広く深い知識の基に成り立っております。
『それなら何故、大変な時に助けてくれないんだ!』と思われるかもしれませんが、ほんの一部分だけを切り取ってみて、判断を下してしまうのはとても危険な行為なのです。
厳しいように思われるかもしれませんが、例え皆様が苦しんでおられたとしても、広い視野で見た時に、皆様の成長に繋がると思えばこそ、遠くから見守りつつ必要と思われる援助のみをご提供し、救うことはしないのです。
救うという行為は、自己満足と驕りの表れであることを私どもは知っておりますので、援助に止め、基本的には皆様の自主性に任せているのです。
『可愛い子には旅をさせろ』ということわざからも分かりますように、愛しているからこそ、いろんな経験を通して学び、いずれは自立して、幸せをご自身の手で掴み取れるようになってほしいとの願いが込められているのです。
皆様の霊的成長は、私どもにとりましてもこの上ない喜びであり、全宇宙の創造主の願いでもあるのです。
皆様が自立してご自身の足でしっかりと歩んでゆけるようにとの願いを込めて、私どもも日々お役に立てるようにと励んでいるのでございます。

これらのことは、皆様のあらゆる人間関係におきましても、共通して言えることなのです。
例え相手の方が救済を求めていたとしても、皆様が全てを取り除いて(救ってあげて)しまっては意味が無いのです。
それでは、単なる自己満足に終わってしまいます。
皆様はあくまでも救済を求めておられる方の補助役として、お一人では難しいと思われる事柄に関してのみ援助し、ときに相談相手となり、共に考え、相手の方ご自身で答えを導き出せるようにお手伝いし、つかず離れずのお付き合いを心がける必要があります。

愛しているつもりになって何でも与えてしまう、いわば施しという行為は、ただの自己満足であり、相手の方を全く無視した行為なのです。
それらの思いは驕りの気持ちを招き、自らを貶める結果となってしまうのです。
それらのことに気付くことなく、己の持っている物を与え続け、相手の方を堕落させ依存心の塊にしていながら、善い事をしたつもりになり、己が愛情深く親切な人間だと勘違いされている方が非常に多いのです。
はっきりと言わせていただきますが、これらの行為は愛情や親切などというものではございません。
単なる自己満足と驕りの行為です。
本当に相手の方のことを思っておられるのなら、陰になり日向になり、相手の方が自立してゆけるように取り組むことが必要でしょう。
相手の方が必要としているものを提供するのは別に構わないのです。
ただ、そこで終わってしまっては、単なる自己満足になってしまいますので、その後自立してゆけるような援助もあわせて行ってゆく必要があるのです。
そうすることが、相手の方々のことを本当に思いやり、愛しているということなのです。
これらのことを考慮に入れ、本当の意味での愛を示してゆけるように努力してみてください。

(2007年12月28日)





このメッセージで取り上げられている『本当に愛する』意味を、私たち人間が理解し難い理由の一つとして、人間は目に見えて、耳で聞こえて、手で触れる対象にとかく関心を奪われがちであるのと対象的に、霊は人間の認識できない要因を含めた形で物事を観察して、判断することが出来る――という点の違いがあると思います。
霊媒などの特殊能力を備えた一部の方を除けば、肉体に備わっている五感のみを頼りにして、物事を判断する為の材料を入手するしかないのですから、その五感で認識できないものを判断材料にするには無理がある――ともいえます。
その際に重要になってくるのが、霊媒などの特殊能力であり、また霊媒を通じて送られてくる霊界通信ではないかと思います。
これまでにも度々強調しておりますように、霊界通信の取り扱いには注意を要するのですが、人間の五感を超えた視点から物事を見る能力と知識を備えた存在から見た、私たちの抱える問題に対する見解を知る機会は、人間だけでは気がつきにくい新たな視点を提供してくれると言う意味で、物事に対する考えを深めるよいきっかけになります。
ですから、決して鵜呑みにすると言う意味ではなく、有意義な人生を送るための参考資料として、霊界通信を活用していただければと思います。

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