2011年5月3日火曜日

肉体を失った後(メッセージ59)

今日は肉体を失った後の状態についてお話したいと思います。

皆様は勘違いをされておられるようですが、肉体を失ったからと言って劇的に変化するというものではなく、薄皮を一枚剥いだようなものであることをご理解いただきたいと思います。
霊の状態になったと申しましても、階段で1階から2階に上がる途中の踊り場にいるようなもので、皆様が今まで過ごしてきた世界が1階だとすれば、その成長に応じてまた1階に戻るか2階へと上がるのかを選択するために、ほんの一時、その踊り場にあたる場所で過ごす事になります。
その場所は、今皆様が生活しておられる地上よりほんの少しだけ精妙に出来ており、地上にいた時の肉体そのままで存在する事が出来ないために、薄皮のような肉体を脱ぎ捨てるのです。
そして、2階には踊り場よりほんの少し精妙な物質で出来た世界がありますので、2階へと上がる場合はまた薄皮のような肉体を脱ぎ捨て、より精妙な肉体を纏うのです。
1階に戻る場合は、またほんの少し荒い物質で出来た肉体を纏って産まれてまいります。

これらの事からも分かりますように、肉体を失ったからと言って、すぐに神や仏と呼ばれている存在と同じ境涯に行けるわけではなく、皆様がほんの少しの成長を遂げて行ける場所は、今過ごしておられる地上界よりほんの少しだけ成熟した世界に過ぎないことを、皆様は知らなければなりません。
それらの世界におきましては、肉体を失い霊体になったと申しましてもやはり物質を纏った状態であり、皆様が暮らしておられる地上界より精妙なために、五感で感じ取る事ができないというだけのことなのです。
どの境涯におきましても物質を纏っているということに変わりは無く、より精妙になるというだけなのです。
霊的に成熟してゆくということは、永遠に続いているように思える螺旋階段を一段ずつ上がっているようなものなのです。

(2008年2月3日)





メッセージ59-2


皆様が神や仏と呼ばれている存在について補足させていただきたいと思います。
以前、類魂団についてメッセージ47お話させていただいたのですが、類魂団にはそれぞれ統括霊がおりまして、その統括霊が類魂団を管理しているのです。
神や仏と皆様が呼ばれている存在はその統括霊にあたり、皆様が属している類魂団を管理している存在なのです。
ですから、当然のことながら皆様にとっての神や仏にも更に統括している霊が存在しており、神や仏が私どもを含めました霊的存在の創造主と言うわけではないのです。
その偉大な創造主の境涯に辿り着く事は至難の業であり、永遠に続く様に思える長い道程を越えて始めて辿り着ける場所であり、今の皆様や私どもでは到底想像もつかない存在なのです。
どの様な存在であるのかを想像する事さえ叶わないでしょう。
何故なら、皆様や私どもが存在している境涯で知りうる知識や経験などでは到底表現する事が出来ないほど、精妙で成熟した存在だからなのです。
皆様も私どもも創造主と一体でありながらも、その御業や知識を理解するのは到底不可能なことで、経験不足といえます。
皆様や私どもは、霊界全体から見ればほんの赤子や幼子に過ぎない存在なのですから、それも当然のことなのです。
これらの事をよく理解しないで、盲目的に聖書や経典などに書かれている内容を鵜呑みにしてしまうと、霊的成長を阻害する結果になりますので、それらの言葉が何を意味して書かれた物であるのかをよく考えながら読む必要があるのです。
そうしなければ、それらの言葉の背後にある真理を読み解くことは出来ないでしょう。
それでは、せっかくの知識も宝の持ち腐れになってしまうのです。
その様なことにならないためにもご自身で考える癖をお付けになり、疑問に思ったり気になったことに関しては納得ゆくまで考えてみましょう。

(2008年2月3日)





このメッセージは、既に地上界に降ろされている霊的知識の補足として、「死は人間の想像するような特殊で重大な現象ではない」ことを、あえて強調するような内容となっております。
また、メッセージ59-2では、人間が考える神とはどの様な存在か――そして盲目的に宗教の経典の内容を鵜呑みにすることの危険性を指摘しております。
ここで念のために補足をしておきますが、このメッセージの真意は決して特定の宗教やその経典を否定し、そしてそれらの宗教を信仰する方々を貶める所にあるのではありません。
むしろ、さまざまな宗教やその経典によって解釈の偏りや表現方法の違いはあるにせよ、何らかの共通した霊的知識のエッセンスが含まれており、私たちが今この様な形で皆さまにお届けしているメッセージも、同じ一つの霊的知識の体系の一部であります。
メッセージ33で新しい教科書についての説明を加えましたが、地上界に数多ある宗教の携える知識とは、現在よりも霊的知識に対する理解が不十分であった時代の人々にとっては重要な教科書であり、今なおその教科書を必要としている方々が少なくないからこそ、多くの方々の信仰を集めているのです。
しかし、私たち人間の中には、既にそういった宗教のもたらす知識に対する理解を十分深めており、より深い知識を求める方もおられるでしょう。
そういった方々の『魂の渇望』に霊界が反応し、より深い霊的知識がもたらされたのが、例えば『シルバーバーチの霊訓』であり、モーゼスの『霊訓』であり、マイヤースの『永遠の大道』であります。
そして今霊界では、上記の霊的知識を更に掘り下げた新たな教科書を地上界にもたらそうと、着々と準備を進めております。
それと同時に、既存の宗教の経典に対する人間の解釈の過ちと、本来の意味合いを解説する必要もあると考えているようです。
現時点(2008年2月6日)までに管理人が断片的に伺った霊界側の構想によると、今後霊的知識についての教科書的な位置づけになる文書を降ろし、それに続いて聖書の本来の意味合いについての解説書的な文書を降ろす予定なのだそうです。
ここで敢えて聖書が取り上げられる意味は、恐らくメッセージ33メッセージ44にあるように、バチカンの拠点が解放されることと大いに関係があるのではないかと思います。
この様な文書を書いている私自身も、どちらかといえば皆さまと同じ一読者の立場に近い位置におりますので、一体どのような知識が新たに降ろされてくるのか、今からとても楽しみです。

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