2011年5月11日水曜日

改めて『高級と低級』や『聖と邪』(メッセージ87)

繰り返しになってしまうのですが、改めましてお話しておいた方が良いと思われますので、ご説明させていただきます。

皆様はよく、『高級霊』や『聖霊』と『低級霊』や『邪霊』などの色分けをして、霊言や通信について語っておられますが、何を基準に『高級と低級』、『聖と邪』を識別しておられるのでしょうか?
そして、何を根拠に『高級霊や聖霊』からの通信であると判断しているのでしょうか?
内容をよく吟味することなく、表面的な言葉の響きに惑わされてはいないでしょうか?

そもそも、霊には『高級』も『低級』もなく、『成熟』か『未熟』かという表現が最も近いと思われ、確信している霊的知識の幅により成熟度が決まります。

未熟な霊というものは、知らない事が多いため、自身が行なった行為の結果を想像してみることができないのです。
だからこそ、多くの過ちを犯し、自らを追い詰めてしまうのです。
ですが、それらの経験を重ねるうちに、今までは知らなかった事も徐々に理解できるようになるのです。
それらを繰り返す事で成熟度が増し、広い視野で物事を見通せるだけの目を養えるので、今まで価値を見出してきたものに価値があるように思えなくなってゆくのです。
その結果、過ちを犯す回数が減るのです。
これが成長であり、全ての霊が辿る道程なのです。

これらの事からもわかりますように、確かに未熟な霊は過ちを犯しやすいのですが、必ずしも邪な動機から行動しているとは限りません。
純粋に善い事であるとの思いから活動している場合も少なくありません。
ですから、例え未熟であると思われる霊からの通信であっても、その中に霊的真理が含まれている事は充分考えられ、それらの通信をよく読みこむ事で見えてくるものもあるのです。
それとは逆に、例え成熟している霊からの通信と思われるものであったとしても、鵜呑みにしてしまうのはとても危険なのです。
確かに霊的知識をより深く理解しているでしょうが、『完璧』というわけではありません。
時には失敗もしますし、知らない知識もまだ沢山あるのです。
ですから、例え成熟しているとはいえ、まだ学んでいる最中であるということを皆様も理解しておく必要があるのです。

『成熟』であろうが『未熟』であろうが『絶対』ということはないのですから、必ずご自身の経験と知識を基に通信の内容を照らし合わせ、納得のゆくまで吟味し、決断を下すようにしてください。
ご自身を導くのは、あくまでもあなた方ご自身なのですから、周りに惑わされる事のないように気をつけましょう。

(2008年10月5日)





今回のメッセージは、前回のメッセージとも関連があり、なおかつ以前ご紹介したメッセージの内容を繰り返し強調しております。
同様のメッセージが繰り返してもたらされる場合、その内容が基本的かつ重要だと霊界で認識しており、しかも霊界から見て現代の人間に欠けていると感じる要素について、注意を促す為に度々強調する事例が見られるようです。
一見、霊的知識をよく学ばれている様に思われる方でも、上記の指摘について異なる認識を示されている方も見受けられますので、メッセージをご覧の皆様には、ぜひ関連するメッセージも併せて熟読された上で、ご自分なりの結論を導き出していただければと思います。
たとえ結果としてその答えが誤っていたとしても、盲目的に他人の意見を鵜呑みにするよりは、後々の霊的成長に大きく寄与することになるのですから。

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