2011年5月11日水曜日

霊界の構造について(メッセージ92)

今日は、霊界がどのような構造になっているのかを、簡単にではございますが、ご説明させていただきたいと思います。

霊として初めて誕生した際は、自我がまだ確立されておりませんから、壊れてしまわないように守護霊や補助霊に守られ、とても大切に扱われます。
皆様が、赤ちゃんに接する時と同じですね。
まだ自我がはっきりしていないのですから当然、万全な体制のもとで物質と赤ちゃん霊を融合させ、個として認識できるように学ぶために物質界で暮らすことになります。

自我が確立していない霊は、皆、最初は物に宿る事になります。
その中でも一番基本的な、物質を構成する一要素として留まる事になります。
この時点ではまだ、考えるという作業が出来ません。
遺伝子に組み込まれたとおりのエネルギー活動をするのみです。

物質は基本的に、そのうちに宿している霊が少なければ少ないほど、不完全で脆く寿命も短くなります。
それは、皆様の身体は一見変わりないように思えても、細胞が死滅と再生を繰り返して成り立っている事を考えてみればわかることと思います。
しかも、その細胞の中でも変異種が生まれることを考えてみれば、必ずしも決められた通りに事が運ぶわけではなく、失敗する場合もあるという事がわかると思います。

そのような訳ですから、遺伝子情報どおりのエネルギー活動を失敗することなく、寿命を全う出来るようになると成長したとみなされ、次は分霊をその身に宿し、統括霊として遺伝子に組み込まれたエネルギー活動をします。
この活動を繰り返し、徐々に統括霊としてその身に宿す分霊の数を増やしてゆきます。
そして、宿す分霊の数が一定数になったところで、初めて生物として物質界で暮らすことになります。

この成長段階に来てやっと、個としての感覚(自我)が、ほんの僅かではありますが芽生えてきます。
物質に宿っていた間は、定められた作業を忠実にこなせるようになることが課題でしたが、生物に宿るようになると、やっと自由意志が与えられ、自ら選択して活動することが可能になります。
これは何を意味しているのかといえば、物質として過ごした経験から霊的知識が増したために、自由意志が与えられても、その範囲内で自ら選択した結果から学べるほどに成長したからです。
この経験を繰り返す事で徐々に霊的知識が増し、より複雑な考えを持ち、自我をはっきりと確認できるように成長するのです。
それに伴い、霊が纏う身体も、より複雑なものへと変化してゆきます。
このように、気の遠くなるような時間と手間をかけて、多くの経験を積んでこられたのが今の皆様ですね。

これらの経験を繰り返して、物質を纏った状態において完成されるところまで成長して初めて、物質に霊を宿す方法を知る事になり、今度は純粋に霊として存在する世界で学ぶ事になります。
いくら肉体を纏うことなく霊として過ごすようになる事ができるようになったとしても、まだまだ知らない知識が沢山あります。
物質を纏っている間は、物質と融合した霊の状態を理解するために色々と学びますが、霊として過ごすようになると、今度は霊そのものの本質を理解するために学び続ける事になるのです。

学び続けて霊として完成されたもののみが霊を生み出す知識を得ることになります。
そうして、完成された霊が生み出した赤ちゃん霊がまた一から学び始める事になるのです。
このように霊の活動には無駄が無く、永遠に命が紡がれてゆくのです。
それはまるでメビウスの輪のようです。

その先があるのか、それともそこで終わりなのかは、まだ私どもの知識では確認できないほど深い知識を必要と致しますので、確認のしようがないのですが、全体の流れと致しましてはこのようなものであると思っていただいて結構であると判断しております。

簡単な説明ではありますが、この知識を基に霊という存在について皆様も是非考えてみてください。

これらの知識が皆様のお役に立てましたならば幸いでございます。

これからも霊的成長を目指して邁進していってください。
どうも、ありがとうございました。

(2008年10月15日)





今回のメッセージは、私たちはこれまでにどのような過程を辿って成長してきたのか、そしてこの先更に成熟するとどの様になるのか——といった、霊が成熟してゆく道程についての解説となっております。
以前、(メッセージ82)で『物体と霊体はお互いに協力関係を保っており、決して切り離して考えることが出来るものではない』と述べるなど、物質と霊のバランスを保つことが重要である点について取り上げました。
今回は更に踏み込んで、『まだ自我がはっきりしていないのですから当然、万全な体制のもとで物質と赤ちゃん霊を融合させ、個として認識できるように学ぶために物質界で暮らすことになります』と、自我が未熟な段階の霊が物質に宿る理由に触れております。
私たち人間を含めた地球上の生物は、物質に宿る霊の中でも、自由意志を行使できるようになった最も未熟な段階と言えるのではないでしょうか。
その中でも、他の動物に比べて人間は多少自由度が増した状態なのでしょう。
霊界の事情について取り上げている霊界通信は珍しくないと思いますが、例えばマイヤースの『永遠の大道』程度に知名度のある霊界通信でも、人間かもしくは人間に近い視点から認識できる範囲の霊界の様子を語っている物が多くを占めており、このメッセージの様に俯瞰的な視点から霊界の情報をもたらしている霊界通信は珍しいのではないでしょうか。
特に、物質に宿った状態での成熟を極めることにより、物質に霊を宿す方法を知り、その後肉体を纏わない霊としての成熟を極めることにより、ついに新たな霊を生み出す知識を得るまでの件は、大まかではありながら私たちの成長の行き着く先を示しており、とても興味深い物があります。

しかし、そこまで成熟を極めても『創造主』とは別個の存在なのでしょうから、霊界の奥深さ、そして果ての見えない成熟への階梯には、ただただ圧倒されるばかりです。

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