2011年5月4日水曜日

霊的に成熟している人とは?(メッセージ68)

今日は少々いつもと違った趣のお話をさせていただきたいと思います。
箸休めみたいなものだと思って気軽にお付き合い下さい。

皆様は、霊的に成熟された方にどのような印象をお持ちですか?
威厳ある神々しい姿を思い浮かべる方もおられるのではないのでしょうか?
人それぞれに様々な印象を待たれている事と思いますが、実は、霊的成熟度が増せば増すほど誰に対しても腰が低く、穏やかで、優しく、礼儀正しい、一見すると『気のいいおじさん(おばさん)』といった雰囲気を持ち合わせており、ポカポカと暖かな春の陽だまりのような人柄となってゆくのです。
若い方なら『気のいいお兄さん(お姉さん)』といった感じになりますね。
この表現は適切ではないのかもしれませんが、常に隙だらけで、誰もが親しみを感じ、近付きやすい存在なのです。
それでいながら、何千年も生き続けている大木のような安定感があり、いざという時に動じない頼りになる存在、それが霊的に成熟した方なのです。
なぜ隙だらけの状態であり続けることが出来るのでしょうか?
以前の通信でもお話させていただきましたが、恐れというのは無知から生じるものなので、確信している霊的知識が増し、広い視野で物事を観察できる目を持ち合わせている方にとっては、恐れを感じる材料が少なく、心が安定した状態を保つ事が容易くなるため、常に警戒し肩肘を張る必要が無くなるのです。
ですから、常にリラックスした状態でいることが出来、心に余裕が生まれるのです。
ご自身が持ち合わせておられる能力の使いどころをよく心得ているので、普段は静かに過ごし、必要な時にだけ必要な分量の力を発揮するのです。
これは実はとても難しい事なのですよ。
ご自身の力量を把握しておく必要がありますから。
ご自身という存在を理解するということは、霊的真理を理解するということなのです。
皆様の世界も皆様ご自身も、霊界の縮図とも言える存在であり、皆様ご自身の謎が解明されるということは、霊界の仕組みも大まかにではありますが解明されるということなのですよ。
科学の発達は、霊界の仕組みを理解する上で大変重要なものであり、皆様が霊的成長を遂げるごとに新たな発見や技術開発が進み、霊界の理解を助ける役割を果たす事でしょう。
これらのことを考えると、成熟した方が増えれば増えるほど暮らしやすい社会になるといえますね。

霊的に成長するには、あらゆる経験を通して確信してゆくしか方法が無いため、大変地道で先の長い、根気の要る作業になってしまうのですが、それだけの時間を費やしても得るだけの価値はあるものと考えております。
なぜなら、私もかつては今の皆様と同じ経験を積み、苦しみや痛み、悲しみなどを感じながらも霊界の先輩方(守護霊や補助霊)に助けていただきながら必死の思いで過ごして来たのですが、まるで霧が晴れたかのように視野が開け、多くの知識が確信へと変化した時のあの感覚は今でもよく覚えておりますから。
知ることの喜び、そして、もっと知りたいと思う欲求、確信できたときの清々しい温かな気持ち、あの経験は私に取りましては大変貴重なものであり、今でも霊的な知識に対する探究心が尽きないのは、あの経験あってこそと思っております。
私に取りましては、新たな知識に触れ、確信できることは喜び以外の何ものでもありません。
皆様にも是非あの素晴らしい体験をし、喜びを感じていただけるお役に立てたらと思いまして、この活動に参加させていただきました。
私のような未熟者に、こうして皆様にお話出来る機会を設けていただけたことに、とても感謝しているのです。
私の持つ知識が、少しでも皆様の霊的成長のお役に立ち、喜びを感じていただけましたなら、とても嬉しく思います。
これからも、少しでもお役に立てますように努めてまいりたいと思っております。
私の他にも大勢の仲間達が、皆様の世界が喜びに満ち溢れ、笑顔で満たされる時を心待ちにしながらこの活動に参加しておりますので、これからもどうぞ気長にお付き合いくださいませ。

(2008年3月5日)





このメッセージは、通信霊が自ら“箸休め”と言っております様に、霊界側の事情について率直に語っていただいております。
なお、ここで一つ気をつけていただきたいのですが、通信霊が自身を“未熟者”と謙遜している部分がありますが、メッセージの内容に明白に表れているように、私たち人間から見れば成熟度の高い霊からの通信であることがお分かりいただけると思います。
もっとも、既にメッセージ9でも触れておりますように、そのメッセージが私たちの成長の糧となるのであれば、送り主が未熟なのか、成熟しているのかについては大した問題ではないのですが……。

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