学ばれている皆様には、霊界では隠し事は出来ず、全ての感情は周りの方々に伝わってしまうと認識されているようですね。
言葉とは違った、もっと意思疎通が図り易い表現手法をとっているというのも、確かに一つの理由ではあるのですが、最も重要な要素としては、より多くの経験を積み、あらゆる感情をその心に抱き、克服している事が大切なのです。
これは皆様の暮らしておられる地上界でも同じなのではないのでしょうか?
より多くの経験を積み克服している事で、判断材料が限定されていても想像してみる事が容易くなるのではないのでしょうか?
ご自身が一度経験していることなのですから、例え僅かな情報からでも全体像を組み立てる事が容易になるのです。
皆様ご自身が経験している事柄に関しては、相手の方を観察する事で、ちょっとした仕草や言葉、表情、そして置かれている立場から想像してみる事が容易くなるのはよくご存知でしょう?
これは、どの境涯においても同じです。
ご自身が経験している事が何よりも重要なのです。
経験していない事を理解する事は出来ません。
皆様はまるで霊が万能であるかのように誤解しておられるようですが、この『霊的な部分』を成長させるために皆様は今、地上界において様々な経験をしておられるのでしょう?
皆様も霊的な存在であるという事を考えてみれば、例え霊の状態でも、その成長度合いがまちまちである事が理解できると思います。
何故そのような状態になるのかといえば、経験し克服できている事柄により、確信している『霊的真理』がそれぞれの霊によって異なっているからなのです。
ですから、より多くの経験を積み克服する事が出来れば、確信できる事柄も増えるため、他の方の思いを想像してみる事が容易くなるのです。
あくまでも、ご自身の経験をもって確信している事が重要なのです。
一部の霊界通信の中には、類魂の経験が己の経験と同等に考えられ、自身が経験せずとも類魂が経験していれば己の経験として成長できるような事柄をメッセージとして送ってきているものもございますが、それは未熟なために単なる知識を確信している知識と勘違いしているのです。
『賢者は書に学び、愚者は経験に学ぶ』という言葉がございますが、これは誤りであり、むしろ『愚者は書に学んだと満足し、賢者は経験に学ぶ』の方が正しいといえるでしょう。
『書』から学べるのはあくまでも『道標』であり、その道標を活かして経験する必要があるのです。
これらの現象は霊媒質の方ならば想像してみる事が容易いと思われます。
こういった方々は霊の思いに引き摺られ易く、実際にご自身が感じたり考えている事というわけではないのですが、思いが引き摺られてご自身の心から発せられた感情と混同してしまい易いのです。
一度、影響を与えている霊から離れてみればすぐに分かることです。
成長度合いが同じぐらいですと、この現象はより顕著に見られるようになります。
ですから、類魂が経験した事をあたかもご自身が経験し、理解したような気になってしまうのです。
例え霊媒質ではなくとも、自我の乏しい方は周りの状況に引き摺られ易く、惑わされやすいでしょう?
そのような訳でございますので、くれぐれも惑わされることがございませんようにお気をつけくださいませ。
あくまでもご自身が経験し克服する必要があるのです。
経験を重ねて確信する真理が増せば、ご自身の思いと他者との思いを混同する事はなくなります。
ですが、混同し勘違いする経験は最低でも一度はいたしますので、それらの通信霊が悪いわけではない事はよくご理解いただきたいと思います。
彼らは、自らの経験から語っているだけなのです。
確信している知識が浅いため、そのように誤解してしまっただけであり、良かれと思っての行動である事を知っておきましょう。
少々話が逸れてしまいましたので元に戻したいと思います。
要するに、霊にも無数の成長段階があり、確信している『霊的真理』の深さで意思の伝わり方も変わってくるのです。
霊になれば全ての感情を隠せなくなるのではなく、確信している真理の深さに応じて、相手を理解できる幅が増すのです。
より成熟した霊が未熟な霊の感情を見通すことは容易ですが、逆は無理です。
なぜなら、経験していない事柄を想像することはできないからです。
ですから、例え地上界を離れたからといって、いきなり全て、包み隠さず分かる様になる訳ではないのです。
くれぐれも勘違いなさいませんようにお願いいたします。
これらの知識が皆様のお役に立てましたならば幸いでございます。
どうぞこれからも霊的成長のために邁進していってください。
(2008年10月9日)
今回のメッセージは、以前(メッセージ37)や(メッセージ63)などで取り上げた、『実践経験を通して確信を深めること』がいかに重要であるかという点について、繰り返し強調する内容となっております。
また、他の霊界通信やスピリチュアル関連書籍をご覧になった方でしたら、類魂に関わる情報を入手されている場合もあると思いますが、このメッセージでは類魂に関する注目すべき情報が語られております。
それが『一部の霊界通信の中には、類魂の経験が己の経験と同等に考えられ、自身が経験せずとも類魂が経験していれば己の経験として成長できるような事柄をメッセージとして送ってきているものもございますが、それは未熟なために単なる知識を確信している知識と勘違いしているのです。』と、それ以降の部分となります。
この点については、管理人も当サイト内で度々取り上げているマイヤースの『永遠の大道』や『個人的存在の彼方』から情報を得ておりました。
「本当に類魂の経験を我が物に出来るのか?」という問いについて、私は「肉体をまとった今の状態では確認のしようがない」という理由から、判断を保留にしております。
とはいえ、漠然と「そんなこともあり得るのかなぁ」程度ではありますが、どちらかといえば肯定的な認識を持っておりました。
ですが、今回のメッセージを目の当たりにした時、マイヤースの類魂に関する情報に懐疑的な印象を抱いたのは事実です。
なぜなら、メッセージの指摘の方がマイヤースの情報よりも理に適っており、なおかつ私たちの経験から類似の事例を示すことが出来るからです。
ですから、上記指摘事項については、マイヤースの情報は信憑性に欠けると思います。
しかし、以前(メッセージ16)でも取り上げましたが、一部に疑わしい情報が混入していたからと言って、マイヤースが地上界にもたらした情報の重要性には変わりがありませんし、むしろ上記メッセージの指摘の裏付けにもなっている点にこそ、注意を傾けた方が、霊的知識の理解を深めることに繋がると思いますが、いかがでしょうか。
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