2011年5月4日水曜日

物質面に偏った性教育を施すと(メッセージ70)

男性と女性という二つの性が存在している理由の基本的な部分は、以前の通信メッセージ19で簡単にご説明させていただきましたが、どうやら、教育をする上で何か勘違いをされておられる方が大勢おられるようなので、改めてご説明させていただきます。

現在の日本の教育現場では、とんでもなく物質面に偏った性教育を子供達に施しておられるようですが、それではとてもではありませんが本来の性の意味については理解する事が叶わないでしょう。
それどころか、自身の行動に対する責任を放棄し、好き勝手に自堕落な生活を送る大人が蔓延する未来をせっせとこしらえているという、いわば国家の腐敗を招いている行為としか思えないことをしているのです。
これでは子供達が余りにも不憫です。
大人には、子供に対する責任があるにもかかわらずそれを怠り、自身と同じ堕落した大人予備軍をこさえているのですから。
子供達にも自由に選択できる権利があるのですよ。
それを侵害しておいて、それが本当に教育者のする事なのでしょうか?
判断するための材料が最初から偏っていたのでは、到底、偏りのない価値観の持ち主は育たないでしょう。
偏りなく情報を伝え、それらの情報を基に自身で取捨選択できる判断力を養えるように導くのが、教職に携わっておられる方の成す事なのではないのですか?
最初から決め付けた内容を子供達に教え込むのが教師の勤めではないのですよ。

余りにも酷い現状につい口調が厳しくなってしまいましたが、本来なら、性交渉の仕組みを詳しく説明するのではなく、男女の持って生まれた資質や考え方の違い、そして違うからこそ互いの足りない部分を補う事が出来、協力し合えばより多くの事が成せるなど、もっと精神的な部分を教育するのが大切なのではないのですか?
それともう一つ、どうせ仕組みを教えるのなら、『なぜ赤子は男女の営みにより命を授かるのか?』と言ったことを共に考える方がよいのでは?
人の命を左右できる権限を持つ事がいかに重大な責任を伴う事であるのか理解できれば、自然と性交渉に対する責任感が生じるのではないのでしょうか?
安易に快楽だけを求めて性交渉を行なうのがいかに重大な事なのかを知ることになるのですから。

性別の違いによる優劣などは無いにもかかわらず、皆様の世界ではよく『これだから女性(男性)は駄目なんだ!』との言葉を耳にするのですが、これはどういったことなのでしょうね?
お互いに相手を見下し、自分達のほうが優れていると思い込んでいるのではないのでしょうか?
なぜ男女で違う資質を持っているのですか? なぜ男女は互いを求めるように気持ちが動くのでしょうか? なぜ男性と女性という種別がこの世の仕組みとして存在しているのでしょうか?
そこのところをよく考えてみる必要がありますね。
男女共に互いを尊重しあうことが出来るように精神面の教育するのが本来の性教育であって、性交渉がどのように営まれているのかを詳しく教えるのが教育とは言えないでしょう。
むしろ、それらの行為に伴う責任や、遊び感覚の性交渉から生じるあらゆる問題や病気など、弊害の部分をきちんと教え、幸せな男女の営みが如何なるものなのかは、ご両親がしっかりと子供に伝えてゆくのがよいのでしょうね。
何しろ、子供はご両親にとっての幸せな男女の営みを通して授かった、大切な宝とも言える命なのですから。
そして、性だけを教えるのではなく、人間一人ひとりの命について考えてみるのも必要でしょうね。
男性、あるいは女性という前に、皆一人の人間なのですから。

どのようなことを教育する時も同じことが言えるのですが、子ども自身が自分で考え、答えを導き出せるようにフォローするのが大人の勤めであって、決して一つの考え方を植えつけるのが正しいとは言えないのです。
皆様が代わりに子供達の人生の責任を負うことは出来ないのですから。
責任の持てない事柄に対して口を挟むのは教育とは言えないのです。
教育する上で重要なのは、いかにして子供達の自立心を促してゆくのか、そして、自立して生きてゆける方法を自身で見つけ出せるように、自分の力で考えて決断する事の重要性をきちんと教えてゆく事なのですから。
自身で責任を負うからこそ自由に生きてゆくことが出来るということをきちんと学ばなければ、彼らの未来は苦難に満ちたものとなり、前に進む事が出来なくなってしまうでしょう。
これらの事を子供達に伝えてゆくのは大人の責任なのです。

(2008年3月12日)





近頃の学校教育における性教育の異常さは、一部のマスメディアでも重大な問題として取り上げられておりましたが、やはり霊界側の認識も同様であるようです。
もっとも、霊的知識に対する理解が深まれば、そういった学校教育における性教育は物的身体への執着を過剰に煽り、精神的な発育が十分ではない子供たちに対して悪戯に性欲を刺激するだけの、教育の名に当たらない愚かな行為であることに気がつくでしょう。
ただし、ここで気をつけていただきたいのは、私は闇雲に頑なに性行為を否定する禁欲主義者とは見解を異にする――という点です。
性欲を含めた人間の物的欲求に対する私の基本的な見解は、既にメッセージ14で概要を述べており、それに対する霊界側の肯定的な回答も得ておりますので、ぜひ今回のメッセージと合わせてお読みいただき、子供に対してどの様な性教育を施すのがよい方法なのか、じっくりと考えを深めていただければと思います。

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