2011年5月14日土曜日

成功と幸せ(メッセージ97)

『信仰心を強く持ち、神(仏)の言葉に従っていれば、あなたは必ず成功を手にして幸せになれます。』などの触れ込みで信者を獲得し、じわじわとその精神を犯し懐柔してしまうという、何とも困った方法で多くの方を惑わせている団体等が数多く存在する昨今でございますが、皆様が『霊的真理』をもっとよく理解していたなら、このような策略にはまり込んでしまうことはないのです。

そもそも、幸せというものは、何かを手に入れたから得られるという性質のものでも無ければ、他者から与えてもらうものでもありません。
あくまでも『あなた方ご自身の心がどのように感じ取っているのか?』というのがポイントであります。
そう、心で感じるものなのです。
例え同じ物を手に入れたとしても、人によってその胸に抱く思いは様々なのです。
ですから、必ずしも成功を手にしたからといって『幸せになれるとは限らない』のです。
もしかしたら、手に入れる前に思っていた程の魅力が無いかもしれませんし、手に入れたなりの苦労が伴うかもしれないのですから。
それとは逆に、失敗だらけの人生だから『不幸であるとは限らない』ということも敢えて言及しておきましょう。
周りから見たら苦労だらけの不幸な人生を生きているように見える方でも、ご本人はこの上ないやりがいと喜びを感じ、幸せであると思っているかもしれません。

失敗してみる事で見えてくるものは沢山あります。
今まで当たり前であると思っていたものが、実はとても貴重で価値あるものであることに気付く機会が得られるかもしれませんよ。
逆に、今まで価値あるものと思っていたものに大した意味を見出さなくなるかもしれません。
人は失敗を繰り返して成長します。
『霊的真理』を確信するには避けては通れない道なのです。
そのことを理解していたならば、冒頭のような誘い文句に惑わされる事は無いのですが、人というのは欲望に忠実であるために、少しでも他者より優位に立ちたい、いい思いをしたいと思ってしまうのでしょう。
未熟ゆえの過ちといったところでしょうか。

どんなに物質的に成功し、裕福な生活をしていても、霊的成長とそれには何の繋がりもない事は、よく学ばれておられる皆様には既にお解かりのことでしょう?
大切なのは、『どれだけ物を得たか?』ということではなく、『経験から何を学び取り、どれだけご自身を理解する事ができたか?』ということなのですから、財力や権力などで人を判断するのは思慮が浅いというものです。
もっと冷静に物事を観察し、物事の流れや裏側を読み取れるだけの目を養う努力をしましょう。
その能力は、必ずいつか、あなた方ご自身の身を助ける事になるでしょう。

物質的な繁栄をチラつかせ、皆様の欲望を刺激する形の勧誘をするような団体は、まず 『霊的真理を理解している事はありえない』ということを良く覚えておきましょう。
『真理』を本当に理解している方は、どのような環境や状況下にあったとしても、必ずその中に『幸せと感じられる要素が含まれている』ということを充分に理解しているのですから、表面的なことで人の関心を惹く必要が無い事は了承済みなのです。

これらの知識が皆様の成長のお役に立てましたならば幸いでございます。
まことにありがとうございました。

(2008年11月7日)





メッセージにありますように、『成功』や『幸せ』は宗教団体に関われば手に入る訳ではなく、また『成功=幸せ』と言うわけでもありません。
しかし、その点に対する知識不足、理解不足の為に、聞こえのよい宣伝文句に乗せられて安易にその様な団体に関わり、結果として人生を大きく誤ってしまう方もおられるでしょう。
いわゆる『真理』や『霊的知識』は、日常生活を注意深く観察していれば幾らでも習得することが出来るのですが、そう認識できるまでに成熟されていない方の中には、宗教団体の大仰で格式張った儀式の中に、「とても素晴らしい知識が隠されているのではないか?」という錯覚を覚えてしまう場合もあるようです。
物事の本質は単純で普遍的なのですが、特殊で物珍しく感じられる物に惹かれてしまうのは、未熟さ故に表面的な部分に囚われてしまうからなのでしょう。
メッセージ85)で、『シルバーバーチ霊』が活躍していた当時のキリスト教会を指して、
彼らもまた、『特別意識』をもち、聖書に記されている『真理』に対して鈍感であり、『イエス』が語った内容をよく吟味する事も無く、都合のよいところだけを引き合いに出し、自らの思うとおりに多くの民を誘導しようとしていたのです。
と述べておりましたが、その他の宗教団体にしても、程度の違いはあれ概ね同様のことが言えるのです。
その点を十分認識された上で、ご自身にとって霊的真理を学ぶ為に適した手段を吟味していただければと思います。