2011年5月5日木曜日

中国とチベット(メッセージ73)

今皆様の世界では、中国でのオリンピック開催に伴い関心が集まる中で、チベットや東トルキスタン(ウイグル)における問題が大きく取り上げられ騒がれております。
日本のマスメディアは余り騒がないように自粛しておられるようですが、これは大きな問題です。
事実は知っておくべきですし、知る権利というものがあります。
得た情報の中から何を選び取るのかは個々の方々の問題ですが、報道関係者が情報を捻じ曲げたり、都合によって伝えないというのはいかがなものでしょうか?
何のためのマスメディアなのですか?
これらの問題は改善する必要があります。

少々話が逸れてしまいましたが本題に入りましょう。

今の世界の流れとして、中国政府に対し怒りを覚え、感情的に対応している方が多く見られます。
確かにチベットや東トルキスタンで行なわれている残虐非道な行為はそのままにしておくわけにはゆきません。
日々、尊い命が中国国民の快楽や欲求不満の捌け口として奪われ続けております。
彼らは他民族を自分たちと同じ人としてみていないのです。
これらの行為は放置しておくわけにはまいりません。
きちんと対処する必要があります。
しかし、感情に任せて中国を非難、孤立させるような事をしても、この問題は解決しません。
この問題に対処するためには表面的な活動をいくらしても成果は出ないでしょう。
下手をすれば、かえって彼らの行動に拍車をかける結果となり、被害が他の近隣諸国にまで広がる危険があるのです。
これらの問題に対処するには、もっと根本的な部分を解決しなければならないのです。
この『根本的な部分』とは何のことなのでしょうか?
今の中国政府には、周りの世界の状況を見渡せるだけの余裕がありません。
国内を治めるのに忙しくて、世界各国に合わせて足並みを揃えるといった余裕が持てないのです。
何故かと言えば、国民教育を一部の特権階級の人の都合の好いようにしてしまったからです。
国民の教育というのは、国が栄えるためには欠かせない事なのですが、彼らはそれを怠り、国民を思い通りに操る道具にしてきてしまいました。
十分な教育がなされていなければ、理論的に物事を考え、決断する作業が困難になります。
目先の事でしか物事を判断できなくなるのです。
しかし、それでは国は発展しないどころか、国民に足を引っ張られる一方になります。
国民の政府に対する依存体質が増すだけなのです。
当然、不満を感じたなら政府に責任を求めるようになります。
しかも、『理性的に判断できない=実力行使』という構図になるのは必然です。
その上に、爆発的な人口増加が拍車をかけてしまいました。
一つ何かが起これば、政府にとっては国民の数の多さは脅威となりえます。
それを抑えるのに必死になっているのが今の中国政府の姿でしょう。
国民の不満の矛先を政府から必死になってそらしているのです。
そもそも、物質に執着した未熟な状態では共産思想の実現は無理な事であり、官僚独裁になるのがオチなのですが、それを中国政府が身をもって実演している状態といえますね。
腐敗が進めば不満が起こり、立ち行かなくなるのは傍から見れば必然の事なのですが、内部にいる人たちにはそれが中々見えないものなのです。
だからこそ、今の状態を何とか維持し、このまま甘い夢を見ていたいと願ってしまうのでしょう。
大昔であればそれでも成り立っていたかもしれませんが、現代では外国の情報を簡単に入手できる状態にあるため、ごまかしも効かなくなってきているのです。
いくら制限をしたところで必ず抜け道が存在しているものですから、無駄な足掻きといえるのです。
これだけ世界に注目され騒がれるという事は、国民の我慢も限界に達している証拠であり、国として方向転換をする時期に来ているといえるでしょう。
一度今の体制を解体して新たに組み直す必要があるのですが、一度壊れてしまったならたちまち混乱に陥り、新たな体制を築き上げるには長い時間がかかる事でしょう。
どちらにしろ、中国の今の体制はもう長続きしません。
近いうちに自然に崩壊するでしょう。

まず皆様が成す事は、チベットや東トルキスタンなどに対する残虐行為を止めるように中国政府に働きかけてゆくことです。
そして、それらの国々の解放に向けた支援活動を地道に行う事です。
これらの行為は、一日も早く改める必要があるからです。
その際の注意として、『暴力には暴力を』では意味がないので、冷静に対処する必要があります。
突き放して孤立させてしまうのも危険です。
感情的な対応をしては今の中国政府の解体を早めてしまい、国民が暴走する恐れがあるので大変危険です。
中国は核保有国である事を忘れないようにしましょう。
中国政府が解体した場合のあらゆる可能性を考え、それなりの備えをしておく必要があるのです。
それから、中国政府が解体された後、『如何に混乱期を支えてゆくのか?』という問題があります。
難民が周辺諸国にあふれ出し、犯罪を犯す温床となる危険があるからです。
ろくに教育を受けていない方が大勢おられるのですから、まともな仕事をする事が出来ずに犯罪に手を染めてしまう方が大勢出ることでしょう。
これらの問題は核の問題と等しく重大な事といえるでしょう。
これらの問題が起きる事を想定し、如何に支えてゆくのかは大変重要な作業といえます。
それが、自国民の命を守り、安全を確保する唯一の方法なのですから。
そして、中国国民がそれらの苦難を乗り越えた後、新しい政府を立ち上げるとなった時に『如何に支援をしていくのか?』というところが課題となってまいります。
自立した国家として彼らが自分たちで運営できるようになるまで、最初のうちは支援してゆく必要があります。
そうしなければ、周辺諸国に依存するという体質をこしらえてしまいますから。

この問題は一見すると、中国に対するネガティブなイメージしか湧かないのですが、実は、同じ問題意識を共有できる国々の皆様が共に民族や宗教を超えて協力し合い、事を成し遂げる所に大変重要な意味があるのです。
この問題を通して協力し合った国々の皆様が学べる事は、『一つでも価値観が共有出来る事があれば、民族や宗教を超えて互いを尊重し協力し合える』という事実なのです。
これらの経験は、今後の人類にとっての霊的成長に大きく貢献する事でしょう。
実体験を通して確信出来る機会に遭遇するのですから。
どのような物事にも光と影の要素が含まれているとよく説明しておりますが、これらの問題もその一つの表れといえるのです。
ある一面から見れば人権無視の残酷なことでも、別の一面から見れば共に協調できる素晴らしさを感じられるということも含まれているのですから。

これらの知識を基に、チベットや東トルキスタンと中国の関係について思いを巡らせ、それらの問題に対処するには何に注意する必要があるのかを是非考えてみてください。
これらの知識が皆様のお役に立つことが出来ましたなら幸いでございます。
一日も早くこの世界が慈愛に満ち溢れ、幸せな笑顔で満たされる日が訪れますように。
これからも変わらず出来うる限りの力を注ぎ、皆様のお役に立てるように尽力してまいります。
お付き合いくださり、まことにありがとうございました。

(2008年4月6日)





冒頭、日本のマスメディアに対する厳しい指摘がありますが、要旨は既にメッセージ11で取り上げておりますので、ここでは繰り返しません。
またメッセージでは、この度のチベットにおける蛮行は中国人の未熟さが引き起こした事件と断じておりますが、同時に中国を追いつめるべきではないと周囲の反応に釘を刺しております。
そして、中国政府がこの先どの様に足掻いたところで、現在の共産党独裁体制は維持できないという前提に立った上で、中共独裁体制崩壊後の混乱をいかに最小限に止めるか――という部分に力点が置かれております。
また、霊的視点から物事を見ていないと気がつき難い点として、「実は、同じ問題意識を共有できる国々の皆様が共に民族や宗教を超えて協力し合い、事を成し遂げる所に大変重要な意味がある」という重要な指摘があります。
今後一時的な混乱が不可避な中国に対して、世界各国がどの様に連携して対処できるか――その辺りに、中国国内に留まらず周辺各国の混乱がどの程度小規模に食い止められるか、そしてその後世界各国の結束がより高められるのか……混乱する中国への対処が、私たちの将来の方向性に重大な影響を与えることになりそうです。
中国の威信を賭けたオリンピック開催を目前に控えて、世界各国を順番に巡る聖火リレーのイベントが行われておりますが、程度の違いこそあれ、軒並み中国のチベットに対する暴挙に抗議する妨害行動の目立つ聖火リレーと言えるでしょう。
それは一見、『中国に蹂躙されるチベット』という五十年来の問題に改めて世界の注目を集め、中国にチベット問題への対処法の再考を促すキッカケになり得るような気もします。
しかし、メッセージの指摘にあるように、逆に中国の過剰で頑なな反発を引き出すだけで、結果としてチベット問題の解決には繋がらないという認識は正しいと思います。
現在の中国は、周辺諸国が期待するような対応が、長期的に見ればむしろ彼ら自身にとっても好ましい選択であるという事実に気がつける程には、視野が広くもなく、思慮深くもない――一言でいえばそれだけ未熟なのです。
いわば、精神的には未熟なまま物欲と体力だけが極端に肥大した悪ガキに対して、周囲との良好な関係や秩序を守ることについてのメリットをどの様に認識してもらうか――という、世界レベルの子育てのような作業ですから、悪ガキ中国を躾ける側の周辺諸国には度量の広さと忍耐強さ、そして毅然とした芯の強さが求められるのです。
「では、具体的にはどうしたらいいの?」という疑問を持たれる方もおられるでしょうが、その部分について個人個人が考えを深めることこそが、私たち自身が一層の霊的成長を遂げるための一つのステップでもあるのです。

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