2011年5月11日水曜日

喜怒哀楽の感情について(メッセージ93)

繰り返しになってしまいますが、喜怒哀楽の感情にスポットをあててお話をしたいと思います。

喜怒哀楽の中でもとりわけ『負の感情』を抱く事に対しては嫌悪感すら覚えるという方が大勢おられますね。
とくに、宗教団体に属しておられる方々に多く見られる現象ですね。
怒りや悲しみ、苦しみや恨みなどの感情は確かに、強く心に抱き続けていて気分の好い感情ではありませんし、あなた方ご自身も周囲の方々も不幸に巻き込んでしまう大変危険な感情ではあります。
ですが、無理にご自身の感情を押さえ込んでしまったり無視し続けてしまう事で、周囲の方々が抱く『負の感情』にも鈍感になり、結果として正論を振りかざした挙句に周りの方々を追い詰めてしまったり、苦しめる事にもなりかねないのです。
ご自身の内に湧き上がる感情を無視し続けた結果、相手の気持ちを察し、思いやるということが出来なくなってしまうのです。

これでは、本末転倒というものなのではないのでしょうか?
皆様は、一体何のために『負の感情』を抑制しようと努めてきたのでしょうか?
それは、決して周囲の方々を追い詰め、苦しめるためではなかったはずです。
今一度、冷静に考えてみる必要があります。

感情というものは、自我を確立し強く保つ上で必要不可欠なものですし、周囲の方々の感情を理解するためには、ご自身が抱く感情に敏感でなければなりません。
あなた方ご自身が経験しているからこそ、周囲の方々の思いを察し、より適切な対応をする事が出来るのです。
ですから、皆様もご自身の感情を大切になさってください。
そのうえで、感情を抑制してしまうのではなく、上手に制御し、周囲の方々を理解するパートナーとして思いやってあげてください。
あなた方がその心のうちに抱いた『負の感情』はいつか必ず、大切な愛おしい誰かの気持ちを理解するための役に立つ事でしょう。

それに、ご自身がその心に抱く思いを許してあげる事が出来なければ、周囲の方々の過ちを許す事もできず、蔑み罵り続けてしまうかもしれません。
それでは、他者を思いやる事もできない、身勝手な暴君になってしまうのではありませんか?
そうなる事があなた方の望みではないのでしょう?

大切なのは『負の感情』を抱かなくなる事ではなく、どのような時にその気持ちが湧き上がり、何がその思いを治めるキッカケになったのか、その仕組みを理解し、制御する術を学ぶことなのですから。
怒りや悲しみ、苦しみや恨みなどの『負の感情』をその心に抱くのは『真理』を確信に導くために、とても大切な役割を果たしているということを良く知っておきましょう。

これらの知識が皆様のお役に立てましたなら幸いでございます。
どうも、ありがとうございました。

(2008年10月16日)





このテーマについては(メッセージ76)を始め、過去の通信で度々取り上げられておりますが、既にある程度霊的知識を学ばれている方でも、人間的な(特にネガティブな)感情表現に対して否定的な見解を示される方もおられるようです。
しかし、私たちがこの世界で積む全ての経験は、たとえどの様な些細な経験でも自身の霊的成長を促す貴重な要素であり、その経験から目を背けるよりも正面から受け止めて理解を深めることに意味があるのだ——という点にも着目していただければと思います。
感情を無理に抑えようとしても抑えきれるものではなく、むしろ感情を過度に抑制した為に肉体的・精神的な病を患ってしまう場合もあります。
ですから、激しい感情に振り回されてしまっている間は難しいとしても、その後気持ちが落ち着いた時にでも、何故激しい感情に囚われてしまったのかについて、冷静に思い返してみるとよいでしょう。
自分自身を冷静に振り返る習慣を身につけることによって、どの様な原因でどの様な感情が湧き上がり、そして感情の高ぶりがどの様な結果を招いてしまうかと言う、一連の事態の推移についての因果関係を見極めることが出来るようになるでしょう。
一度自分自身の感情が湧き上がる仕組みを理解できれば、他の人の感情の高ぶりについても自分自身の経験を参考に、想像して察することが出来るようになります。
相手の感情の動きを理解し察することが出来れば、無理に感情を抑えようとしなくても、自然と穏やかな対応が出来るようになります。
理解を深めて確信できるようになると、わざわざ意識しなくとも自然にそれらの一連の行いが出来るようになります。
それが当たり前になるのです。

たとえネガティブな感情に悩まされても、その感情を繰り返し経験することによって、感情をうまく制御する方法を理解できるようになるのだと言う点にこそ、注目していただけばと思います。

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