2011年5月6日金曜日

なぜ苦しみを経験するのか(霊的知識の教科書:3)

皆様は、なぜ苦しみと言う名の辛い日々を送る必要があるのでしょうか。
このことを理解するためには、まず、全ての物事そのものは善悪や優劣、上下などと単純に色分け出来る様なものではなく、それらの概念は皆様ご自身で作り上げている幻想であることを理解する必要があります。
つまり、皆様ご自身の考え方や心の在り方、そして無知ゆえの狭い視野が、苦しみや悲しみ、憎しみや妬みなどを生み出している元凶なのです。
とは申しましても、何も無知である事が罪なのだと言っている訳ではありません。
それに知らないと言う事は決して恥ずかしい事でもないのです。
知らなければ学べばよいのですから、劣等感などを感じる事など何もないのです。
今は成熟している方も、最初は何も知らずに生活し、その中で経験した出来事を通して学びを得、少しずづ視野を広げてきたのですから。
一番厄介なのは、少々の知識に触れたからと言って全てを悟った気になり、それで満足し、好奇心や向上心を失ってしまう事なのです。
この様な状態になると何も考えなくなり、ただ盲目的にもたらされた霊的知識を実践してしまうという、まるで自ら成長する事を放棄しているような状態に陥ってしまうのです。
この様な心の状態は大変危険で、驕りや欺瞞の巣窟になりかねません。
それではせっかくの知識も活かされる事なく、己のものとして確信も出来ないままに宝の持ち腐れと化してしまうのです。
この場を借りてはっきりと申し上げさせていただきますが、皆様や私どもの経験から得た知識や学びでは、とても霊界全てを把握する事は出来ません。
創造主の意図もこの世界を取り巻く法則も、全てを理解するに至るには、まだ経験が全然足りないのです。
にもかかわらず、真理の全体の内のほんの少しの知識に触れたからと言って、全てを知った気になるとは何と滑稽なことでしょう。
霊的知識は、知らないよりは知っていた方が必ず何かの助けとなるでしょうが、上手に活用するのではなく、ただ振り回されているようでは余り知っている意味が感じられません。
知識に振り回されてしまうと言う事は、己のものとしての確信が得られているわけではないということなのですが、その事を知らずにかえって苦しみや悲しみなどの感情を生み出し、周りの方々を不幸に巻き込む結果となることも多々ございますので、是非皆様にはご注意いただきたいと思います。




ここからは例えを使って、苦しみの正体について、皆様に解り易くご説明しようと思います。

一人の不幸を感じている少年がいたとしましょう。
彼は学校でいじめを受けて心に傷を負い、誰も信じられなくなり、自分の部屋から一歩も出られなくなってしまってから、3ヶ月が経ちました。
その間誰とも会話することなく、親に対してさえ信頼できなくなってしまい、一日中部屋に篭ったまま、インターネットやテレビゲームで心の苦しみを紛らわせていました。
それでも心が収まらない時は、親に対して暴力を振るってしまいました。
この少年にとっては死んでしまいたいと思うほど苦しい状態でしょう。
『本当はこんな事をしたいのではない!』と、心の中で悲鳴を上げているに違いありません。

さて、ここでは皆様には彼の不幸に同情するのではなく、冷静に彼の状況を考えてみていただきたいと思います。
彼は今、目の前の苦しみしか見つめていませんが、もっと広い視野でこの状況を観察してみましょう。
3ヶ月の間部屋に引きこもっていたにもかかわらず、彼の体は衰えることなくその機能を保っております。
暮らす場所も変わりなく提供され、食事も欠かすことなく用意されています。
汚れた服は、洗濯機に放り込んでおけば綺麗に洗濯され、清潔な状態で戻ってきます。
なぜでしょうか?
この間もご両親はずっと生活のために働き続け、少年が引きこもってからも彼を見捨てることなく、戸惑いながらも愛情を持って接してきたからではありませんか?
それは必ずしも少年が求めている形の愛情とは言えない、望んでいる愛情とは違ったものかもしれませんが、それでも彼は幸せな状態であると言えるのではないでしょうか?
この世界には色々な経験をしている方々がおられます。
少年が当たり前のように手にしている生活環境さえ、満足に得られない方も大勢おられるのです。
親がいないという方もおられるでしょう。
彼は苦しみばかりに囚われてしまい、当たり前のように整えられている生活環境やご両親がすぐ傍にいること、少年を支え続けている事など、それらは本当はご両親の愛情のもとに成り立っていることに気付けないのです。
物事には全て無数の側面があり、ある一面に注目すれば不幸に思える事柄でも、他の方面から見つめてみれば深い愛情に包まれ、幸福であることを知ることが出来るのです。

これは一つの例えなので全ての方に当てはまる訳ではありませんが、物事には多面性があるという意味では、苦しみの中にあっても必ず幸福を感じられるような要素も含まれているという事が分かると思います。
多くの経験を積み、広い視野で物事を観察し判断できるようになれば、この世界で起きる全ての出来事に対して、徐々に動じる事がなくなってゆくのです。
それは決して皆様が経験している事柄が軽く易しいものに変化したというわけではなく、物事に対するご自身の心の在り方や考え方が変化しただけなのです。

(2008年2月18日)

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