2011年4月26日火曜日

情に流されることの危険性(メッセージ30)

情に流されることの危険性についてお話しさせていただきたいと思います。

周りの方々に関心を払い、思いやる気持ちを持つのはとても大切な事なのですが、“行き過ぎると弊害が生じ”てまいります。
苦境に立たされている方々は、その経験を通して学んでいるのでございます。
ですから、問題を抱えておられる“ご本人が、考え努力する”間も無いままに“過分な援助”がなされてしまいますと、“成長する機会を失って”しまうのでございます。

今まで送らせていただきました通信でも再三申し上げているのですが、あくまでも“経験を通して学ぶ”ことが目的でございますので、適度な援助は宜しいのですが“救ってあげる”のでは意味が無いのです。
“自立を促しつつ援助”する事が重要なのです。

これらの事柄について皆様でよく考えていただければ幸いでございます。

(2007年12月19日)





『自立を促しつつ援助する』のは、メッセージ20の子育てに通じる姿勢なのですが、裏を返せば子育てにおいて情の影響が強すぎると、上記のような問題が発生するともいえるでしょう。
逆に無情であることも問題であって、要は自分自身の情を適度にコントロールする術を身につけるのが一番近道なのだと思います。
とはいえ、それを実践を通して身につけるのは口で言うほど楽ではありませんが、皆様方各々で自分にあった方法を考え、試行錯誤を繰り返したその先に、成長への道が繋がっているのだと思います。

なぜ人は地上に誕生する必要があるのか(メッセージ29)

人は何故地上に誕生する必要があるのかについて、ご説明させていただきたいと思います。

皆様の中には、ご自身が地上界に誕生した意味が理解出来ずに、悩んでおられる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
その為にご自身の存在意義を見失い、精神が病んでしまったり、自暴自棄になるなど、ご自身を追いつめてしまってはいませんか?
あるいは、自殺を考えている方もおられるかもしれません。
その苦しみは“十分に努力され”ているにもかかわらず、“まだ足りない”と考えて“無理”をしている為に感じられるものなのかもしれません。
あるいは、ご自身の思いを“無理に抑え込んでいる”のではありませんか?
それらの不安を解消するには、ご自身が今何を一番望んでいるのか、何が嫌なのかを考えてみると良いかもしれません。
そして、その旨を援助していただけそうな方に伝え、問題解決の為に助力していただければ、少しずつ快方へと向かってゆく事でしょう。
ご自身の心の声に耳を傾けて、素直になられると大分楽になるのではないでしょうか?

とは言え、なかなか援助していただける方に出会えなかったり、分かっていても思うようにならないという方も、多くおられるのではないでしょうか?
そこで、少しでも皆様の悩みを解消するお役に立てればと思い、霊的観点から見た“皆様が地上界に誕生する意味”をお話しさせていただくことにいたしました。

人は皆、霊的成長を遂げる為に地上界に生まれてまいります。
地上界における成長の必要が無い方は、決して産まれてはまいりません。
無意味に誕生する事は無いのでございます。
地上界に産まれ学びたいと考えている霊は大勢いるのです。
皆様は地上で生活を送ることで成長する機会を得ているのです。
人の生涯には、必ず生活を通して何らかの気付きがあるものなのです。

これらの事からもわかりますように、人は皆それぞれの立場から学んでいるのでございます。
いろいろな立場や境遇の方がおられるのは、学ぶ内容がそれぞれに異なっているからなのです。
一見、恵まれているように思われる方々でも、その中から学ぶことがごさいますので、安易に羨むのは無意味なことなのです。
むしろ、苦境に立たされたほうが多くの事柄に気付き易いのです。

これらの知識が、皆様のお悩みを解消するお役に立てれば幸いでございます。

(2007年12月19日)





メッセージに自殺についての言及がありましたので、ここで付け加えておきたいと思います。
人間は誰でも、ある目的を持って地上界に生まれます。
その目的とは何かというと、あなたの本体(霊)が今後の成長に役立つ経験、それも地上界でなければ積めない貴重な経験を積む為です。
しかし、地上界に生まれるためには、あなたの本体(霊)が肉体をまとわなくてはならず、肉体をまとうことによって様々な制約を受けることになってしまいます。
霊のままであれば難なくこなせた様な事柄であっても、肉体をまとってしまうとその事柄をこなすのが難しくなってしまうのです。
そうすると、一度は貴重な経験を積むつもりで地上界に生まれても、途中で挫けたり諦めてしまいそうになることもありますよね?
そんな時のために、地上に生まれる人間一人ひとりに、必ず『守護霊』と呼ばれるパートナーが付き添っています。
あなたが、本来の目的である地上界での経験をちゃんとつめるように、お手伝いをしてくれるのです。
もしかしたら今のあなたには感じられないかも知れませんが、あなたの守護霊はあなたがより有意義な地上生活を送れるように、常に働きかけております。
では、なぜあなたがそれを感じられないかというと、一つは肉体をまとっているために感覚が鈍ってしまうこと、それからもう一つは、あなたの守護霊に対する関心が薄いために、守護霊からの働きかけがうまくあなたに届かないのです。
ですから、自殺を考えてしまう前に、あなたの隣で今も様々な働きかけを行なっている守護霊を強く意識して、祈ってください。
「私の悩み事を解決する為のヒントを与えてください。その為に勇気と力を貸してください」と、あなたの守護霊に向かって祈ってください。
あなたが守護霊を強く意識することによって、守護霊の働きかけがあなたに届きやすくなります。
あなたの守護霊は、きっと今のあなたが抱える困難を克服する為に必要な、知恵と勇気を与えてくれることでしょう。


身体や精神を健康に保つことの大切さ(メッセージ28)

今回は、身体と精神を健康に保つ事の大切さについて、お話しさせていただきたいと思います。

以前、五感についての通信メッセージ14でもお話しさせていただきましたが、肉体が傷つきますと霊体からの信号を受ける事が困難な状態になります。
その結果、霊体の意識に関わり無く、肉体の機能のみにより活動する結果になってしまうのでございます。

精神的に病んだ場合も同様に霊体からの信号を受け難くなります。
その際厄介なのが、他の霊からの干渉を受けやすくなっている事なのでございます。

それがどのような弊害をもたらすのかと申しますと、霊体の意識としては成長に繋がる活動をしたくても、身体や精神が言うことを聞かない為に成長が遅れてしまうという事なのです。
もう一度地上界での経験を積む必要性が出てきます。
本来ならば学び終えているはずの経験を繰り返す事になってしまうのです。

そのような事にならない為にも、身体と精神を健康に保つ必要があるのです。

肉体の場合は一度失った機能を元に戻す事は、今の地上界におきましては大変難しいのですが、精神につきましては自我を強く保つ事で他の霊からの干渉が無くなり、改善することが可能でございます。

そこで注意していただきたい点がひとつだけございます。
前世からのカルマにより何らかの障害が生じている場合は、カルマが解消されるまで改善することはございません。
その経験を通して学ぶ必要があるのです。
この事をよくご理解いただきたいと思います。

これらの事を踏まえた上で、ご自身の健康に気を付けていただけたらと思います。

(2007年12月19日)





このメッセージも、メッセージ19メッセージ20と同様に、私たちの日頃の生活に密接な関係のある、精神と肉体の健康を維持することの重要性についてです。
一度失った肉体的機能の回復は困難でも、精神的傷害は『自我を強く保つ』ことによって回復可能との事ですので、その点についてのさらに詳しい説明を求めました。
また、カルマについての言及もありましたので、その点を加味した以下の質問に対して回答を得ました。





メッセージ28を受けた質問と回答


[質問]

一度失ってしまったら回復の難しい肉体の機能と比べて、精神的な傷害は『自我を強く保つ』ことで改善できるとのことですが、『自我』とは人間にとってどの様なものなのか、そして『自我を強く保つ』とは、具体的に何をどのようにすれば良いのかについて、もう少し詳しく教えていただきたいのですが。
また、カルマについて言及されておりますが、自分自身が現在置かれている状態が、どのようなカルマの影響を受けているのかを知る方法がありましたら、合わせて教えていただけますか。
自分自身がどの様なカルマの影響を受けているかを知る手がかりがあれば、そこからカルマを解消する方法を導きだせるでしょうし、その方法を実践することによってカルマが解消され、その人の成長に繋がると思うのですが、いかがでしょうか。


[回答]

自我について判りやすく説明致しますと、多くの方々の中にありながら“己をはっきりと認識”出来る状態のことなのでございます。
周り状況や意向に流され、その事に疑問も抱かず、ただ、繰り返す状態の方々があまりにも多いのでございます。
例え賛同される場合であったとしても、ただ流されるのではなく、“ご自分の考えに基づいて判断”しているのかがポイントになってまいります。
“ご自分の考えに基づいて判断”している事が、“自我を強く保つ”事に繋がるのでございます。

カルマについてでございますが、基本的にはご自身の置かれている状況を“よく観察する”ことで見えてまいります。
はっきりとした事が分かる訳ではございませんが、大まかな輪郭は見えてまいります。
それらの情報を基に、ご自身でよく考えてみる必要があるのです。
ただ教えて貰うだけでは意味が無いのです。
少ない判断材料の中から、ご自身で答えを導き出す事が重要なのです。

(2007年12月19日)





一連のメッセージの中で『自分で考えること』の重要性については、繰り返し強調されておりますが、ここで『自分で考える』ことが『自我を強く保つ』ことに繋がるとの指摘がありました。
メッセージ28で、精神的な病んでしまった場合についても触れられておりますが、精神的な病を抱える人が多い――そして更に増加しつつある――と言われる現代を生きる私たちにとって、とても重要な指摘ではないかと思います。
また、カルマについては観察力が問われてくる点が上げられておりますが、少なくとも現在の私たちが前世からのカルマについて詳しく知る術はなさそうです。
しかし、裏を返せば、現在の私たちにとっては、自分の抱えているカルマを余り気にする必要がない――だからおぼろげな輪郭だけで十分――ともいえますので、カルマを気にするよりも『今日これからを前向きに生きる』方が重要なのでしょうね。

霊媒の皆さまへのお願い(メッセージ27)

霊媒として活動されている皆様にお願いがございます。

まず霊媒の皆様の役割についてご説明させていただきたいと思います。
霊媒と申しますのは、あくまでも“霊からの通信を受け”皆様に分かるように“通訳する”為の存在なのでございます。
それらの通信を通して、皆様に考えるきっかけを提供するのが霊媒の役割であり、決して“救ってあげる”ために居るわけではないのです。
成長する為のヒントを伝えることで、“自立心を芽生えさせ”考えていただくのが目的なのです。

さて、そこで問題になってまいりますのは、霊からの通信は霊媒の皆様に伝えられた時点で、一割にも満たない場合が多いという事なのでございます。
それに加え、霊媒自身の意識と霊の意識が混ざりあい、混乱しやすくなるのです。
その結果、霊からの通信と霊媒自身の考えが織り交ぜられた形で、皆様に伝わってしまう危険性があるのでございます。

そこで皆様にお願いしたいのですが、どうか“心から信頼”出来る“さにわ”を探して、共に活動していただきたいのです。
さにわとは、霊媒の皆様が受けた通信を“冷静な判断力と洞察力”をもって、そのメッセージの背後にある“真理を読み解く”助けとなる方々の事なのです。

この事から分かりますように、“霊媒”と“さにわ”が“協力する”ことで、霊が伝えようとしている事柄が“より正確に”伝わりやすくなるのです。

これらの事柄についてよくお考えになり、実践していただけたら幸いでございます。

(2007年12月19日)





霊界通信における『さにわ』の重要性については、メッセージ8を受けた質問と回答で補足説明しておりますが、改めて通信霊からの言及がありましたので、現在さにわを伴わずに活動されている霊媒の方が、これからさにわを見つける際に参考になるアドバイスをいただければと思い、以下の質問に対して回答を得ました。





メッセージ27を受けた質問と回答

[質問]

メッセージの中では、『安易にメッセージの内容を鵜呑みにしない』で、『メッセージが示す意味について自分で良く考える』ことの重要性を度々強調されています。
これは霊界通信に接する全ての人に取って、常に心がけておきたい姿勢だと思いますが、同時に霊界通信に置けるさにわの役割でもあります。
そこで伺いたいのですが、現在信頼出来るさにわを伴わずに活動されている霊媒の方が、これからさにわ役の方を見つける際に、気をつけなくてはならない事柄がありましたら教えていただきたいのですが。
『さにわは(霊媒と同様に)誰にでも務まる役目ではない』と言われる方もおられますが、いかがでしょうか。


[回答]

さにわを探す際に気を付けなければならないのは、スピリチュアリズムに対する基礎的な知識に加え、地上界におけるあらゆるシステムや現在起きている様々な問題に対する、ある程度の知識を合わせて兼ね備えているということでございます。
これはとても重要な事なのです。
知識に基づいて物事を考え、判断を下しておりますので、どちらか一方に知識が偏っておりますと、考えるための判断材料も偏ってしまいます。
送られてきた内容をより正確なかたちで判断することが難しくなるのです。

この一点だけ気を付けていただければと思います。

(2007年12月19日)





さにわに求められるのが、スピリチュアリズムに対する基礎知識という点には余り違和感はないと思いますが、それに加えて、地上界の仕組みや現在起きている出来事に対する知識の必要性を強調している点には、注目する必要があると思います。
これから“さにわ”を探される霊媒の皆さま、ぜひこの点を十分考慮していただいた上で、信頼できるさにわを見つけていただきたいと思います。

外国人との付き合い方(メッセージ26)

外国の方々と上手にお付き合いする方法について、お話しさせていただきたいと思います。

まず注意しなければならないのは、生活習慣や宗教的信条など、成長過程で触れてきた文化に違いがあるということなのです。
触れてきた文化が違うということは、常識としている事柄(主に社会のルールやマナーなど)に違いがあるということなのです。
これらの点に注意してお付き合いしてゆく必要があるのです。

相手の方の祖国に対して興味がある場合は、自然に尊重することが出来るので問題無いのですが、関心が無い場合は、自らの考え方を無意識のうちに当たり前と思い、疑うこと無く押し通そうとする傾向にありますので、どうしても争いが生じ易くなるのです。

争いを防ぐ為には、相手の祖国のことを理解し、尊重出来るように努力してゆく必要があるのです。
互いに尊重出来るようになった時に初めて平和が訪れるのです。

これらの事柄は、性別について触れた通信にも通じる面がございますので、合わせてご覧になり、皆様ご自身で考えて答えを導き出していただければと思います。

(2007年12月18日)





基本的な考え方としてはメッセージの通りなのでしょうが、現在欧州諸国で問題となっている『多文化主義』についても言及した方が、私たちの理解がより深まるだろうと考え、以下の質問に対しての回答を得ました。





メッセージ26を受けた質問と回答

[質問]

外国人とのつき合い方に関連して、伺いたいことがあります。
欧州諸国では、これまで『多文化主義』を掲げて、海外からの移民を強制的に自国に同化させてしまうのではなく、生まれつき身に付いている習慣・風俗のままで生活することを許容していきましょう――と言う風潮が支配的でした。
しかし、移民はその国に馴染むのではなく、移民だけで小さなコミュニティを作って固まってしまい、移住先の国に対して理解を深めようとしなかった為、最近欧州各国に置いて、元々の国民と移民との間で感情的対立の溝が深まっております。
この様に、一方が『外国人は異なる習慣・風俗の元に生活して来たのだ』と理解していても、もう一方が自分と相手の違いを認識して理解を深めなければ、外国人同士の付き合いはなかなかうまく行かないと思います。
そこで、自分自身は外国人と仲良くなりたいと思って行動していても、相手の外国人にその点を上手く理解してもらえない為に、良好なコミュニケーションが取れない場合の対処法について、アドバイスを頂きたいのですが。
それに関連して、一見、自分は『考え方の違う人に対する理解をしている』と思っている人でも、実は相手の意見を尊重していないという場合もあると思いますので、その点も絡めたアドバイスを頂ければありがたいです。


[回答]

重要なのは相手の方に“安心して信頼”していだだくことなのです。
“安心して付き合える”と思っていただくことで寛容に考えられるようになり、自然に相手の方を尊重出来るようになるのです。
そうなる為には、こちらが先ず相手の方に対して寛容な気持ちで付き合ってゆく必要があるのです。
そこで注意していただきたいのですが、一朝一夕に解決出来る訳ではございませんので、苛立ちを覚えることもあるかと思われますが、辛抱強く対処してゆく必要があるのです。
その際、相手の方の意見を“丸呑み”するということではございませんので、その点にご注意いただきたいと思います。
それらの過程をへることにより、双方がそれぞれに成長する機会を得ているのです。

これらの事柄は特別永住者の方メッセージ15や法律についての通信メッセージ23と関連がございますので、合わせてご覧になりますとより一層理解が深まる事と思われます。

理解しているようでも実際は出来ていない場合についてでございますが、繰り返し経験することで学ぶよりほか無いのでございます。
良好な関係を築けず悩むことで気付いてゆく必要があるのです。
それらの経験を通して学んでゆくなかで、本当に理解することがどの様なことであるのかを知ってゆくのです。

これらの事柄について皆様でよく考えてみていただきたいと思います。

(2007年12月18日)





[質問]の最後の部分について、若干解説しますと、一見移民に寛容であるようにみえる欧州の『多文化主義』は、実は異なる文化を尊重するのではなく、「私たちは異なる文化を受け入れる度量があるのだぞ」と諸国に対して見せ付けるのが目的の、ある意味驕りの上に成り立っているのではないかと感じておりました。
それで「一見、自分は~」云々の質問を追加したのですが、それに対する回答が「理解しているようでも実際はできていない場合について~」云々の部分となります。
現在、欧州諸国では、行き過ぎた『多文化主義の弊害』のゆり戻しとして、移民を排斥するような風潮も強まってきておりますが、私たち日本人が外国人との良好な関係を築く為の参考にもなりますので、ぜひこのメッセージ26に加えて、メッセージ15メッセージ23も合わせてごらんいただきたいと思います。

形に囚われ、安易に受け入れることの危険性(メッセージ25)

今回は、形に囚われ、安易に受け入れる事の危険性についてお話しさせていただきたいと思います。

どの様な場合でも言える事なのですが、ご自身にとって良いと思われるものを考えずに受け入れてしまいますと、弊害に見舞われる危険性があるのでございます。

これらの事をわかりやすくバラの花に例えて考えてみましょう。
バラの美しさに目を奪われ、良い香りに誘われて安易に手に取りますと、棘が指に刺さり怪我を負うことになります。
もしも、触れる前によく考え、観察する時間を設けていたならば、怪我を負うことも無かったでしょう。

この例えからも分かります様に、一見、ご自身にとって良いと思われる事柄、あるいは物の場合もあるでしょうが、それらの形に惑わされ、安易に鵜呑みにして受け入れてしまいますと“怪我を負う”ことになるのです。
下手をすれば命に関わる事もあるかもしれません。

そこで大切になってくるのが、冷静に考え、観察する時間なのです。
簡単に鵜呑みにするのではなく、少し距離をおいて考えてみる必要があるでしょう。

物的感覚を対象に説明させていただきましたので、“怪我”や“命”と表現させていただきましたが、霊的観点から申しますと“成長の停滞”と表現出来ると思われます。

今まで送らせていただきました通信に通じることでございますので、ご自身で納得出来るまでよく熟考してみてください。

(2007年12月18日)





メッセージ25-2

先の通信に加えておきたいことがございます。

“怪我”をした時点で気付くことが出来れば、痛い思いは致しましたが成長することができます。
これは“成長の停滞”とは異なり、遠回りしたのですが、“安易に鵜呑みにすると怪我をする”と気付いたので、成長することが出来たということになるのです。
その過程も又大切なものであり、今まで分からなかった事を経験を通して学んでいるのでございます。

しかしながら、何度“怪我”を負っても気付けない場合もございます。
これは正に“成長の停滞”に陥った状態なのでごさいます。
そこで、皆様にお伝えすることで、考えるきっかけにしていただければと思い通信させていただきました。

(2007年12月18日)





物的感覚における“怪我”と、霊的観点からみた“成長の停滞”では、メッセージにあるように厳密には異なりますので、霊的観点から見た“成長の停滞”についてのさらに詳しい説明が必要と感じ、以下の質問に対しての回答を得ました。





メッセージ25、25-2を受けた質問と回答

[質問]

“成長の停滞”が、その後の成長にどの様な影響を及ぼすのかについて、私たちに理解しやすい例えを用いて説明していただけるとありがたいのですが。


[回答]

母親のお腹で成長している赤子に例えることが出来ると思います。
母親のお腹の中で十分に成長出来なかった場合、産まれてから大変苦労することになります。
何らかの障害が表れることもあるでしょうし、未熟すぎて自力では生存出来ず、命を失うこともあるでしょう。
無事に成長出来たとしても、何らかの障害により、自己を上手く表現出来ないというトラブルに見舞われることになるのです。

これらの事から分かりますように、成長が停滞致しますと、自己表現がままならずコミュニケーションを図るのが難しくなるのです。
その結果自らの内に籠りがちになり、他の方々との接触を避けるようになるので、成長する為に必要な刺激を受ける事が出来なくなるのです。
ご自身でこの悪循環に気付かない限り、何度でも繰り返す事になるのです。

内に籠るといいましても、実際に“引きこもる”訳ではなく、“心のあり方”がそのようになってしまうという事なのです。

これらの事を踏まえた上で、ご自身と照らし合わせて考えていただければ幸いでございます。

(2007年12月18日)





生まれたての赤ちゃんに対して、周囲の人々が適度に接触をしてあげないと、最初はうるさいくらいに泣いていた赤ちゃんがだんだん泣かなくなり、遂には黙り込んでしまう――いわゆるサイレント・チルドレンと呼ばれる現象にも似ていると思います。
[回答]の場合は、赤ちゃんが母胎にある状態で十分に成長できなかった例えですが、サイレント・チルドレンの場合は、生誕後の育児方法を誤ってしまったために、赤ちゃんのコミュニケーション能力の成長が滞っている状態と例えられるのではないでしょうか。
メッセージ20で子育てをすることの重要性についての説明がありますので、『育てる側』と『育てられる側』双方の視点を比較しながら、こちらのメッセージも合わせて読まれると、さらに理解が深まると思います。

人間関係を良好に保つ上での注意(メッセージ24)

現時点における社会で、人間関係を良好に保つ上での注意点をお話しさせていただきたいと思います。

性別メッセージ19や子育てメッセージ20、法律の意義メッセージ23について以前お話しさせていただきましたので、それらの通信を読まれて熟考された皆様には概ねご理解いただけていることと思います。
そこでひとつ付け加えさせていただきますが、法律についてお話しさせていただいた事柄は、皆様が常識として捉え、暗黙のうちに了解している事柄にも言える部分があるのでございます。
社会のルールやマナーといったものがそれに当たりますね。

これらの事を踏まえた上での注意点がございます。
それは何かと申しますと、肉体の成長と霊体の成長は、必ず比例している訳では無いという事なのです。
お歳を召され、地上において多くの経験を積まれた方でも、霊としての経験が浅く未熟な方と、地上においてはまだ幼く経験は浅くても、霊としての経験が豊富で成熟されている方が存在するのです。
これらの事が要因となり『いい歳をしてなんて恥知らずな!』などと思われることや、『若いのに関心なことだ』などと思われることが生じるのでございます。

あくまでも、霊としてどれだけの経験を積み、成長しているのかが人間性として表れているのであり、必ずしも肉体が大人だから精神状態も大人という訳では無いのでございます。
赤子や幼児などの肉体が完成されていない状態ですと、霊体からの信号を肉体の方で上手く受信出来ない為、霊そのものが成熟していても、一見、未熟な様に思われるのです。
肉体の成長に伴い、霊体の意識を受け取り易くなってまいりますので、言動や行動に反映され、それらの問題は解決されてゆくのでございます。

それらの事柄を考慮した上で、周りの方々とお付き合いしてゆく必要がございます。
例えご自身より若い方の意見であったとしても、見た目に惑わされるのではなく、その内容で判断し謙虚に受け止めてゆく必要がありますし、それとは逆に相手が大人だから『この程度の事は出来て当たり前だ!』などと考え、出来ていない事で蔑み馬鹿にするなどという事があってはならないのです。

これらの事をよく考えてより良い人間関係を築いていってください。

(2007年12月17日)





人間の見た目の成長度と、霊的な成長度は一致しない――この意味が理解できるようになりますと、自然と相手によって態度や言葉遣いを変えたりすることに余り意味がないと感じるようになります。
その相手が、たとえ自分の子供であれ、会社の部下であれ、それは単に人間社会における経験や立場の違いから定められたその場限りの一時的な関係であって、霊的成長度では、教える側の自分の方が、教わる側の相手よりも未熟である――というケースも往々にしてあるでしょう。
ですから、見た目や社会的慣習に囚われることなく、互いに対等の人間であるという視点から相手と接する中で、自分の成長にとって役に立つ経験を積むように心がけたいですね。
そうすれば、自然と相手を尊重する気持ちが芽生えてくる筈ですから。