2011年5月4日水曜日

心から渇望するもの(メッセージ65)

あなたが心から渇望しているものとは何でしょうか?
『地位』ですか? それとも『名誉』ですか? 『お金』でしょうか? 『愛』とお答えになる方もおられるでしょう。
他にも、『知識』や『新たな発見』、『才能』など、人によって様々な事柄を渇望しておられるでしょう。
『現状からの脱却』を望んでいる方も大勢おられるようですね。
この他にも、色々なものを求めている方々がおられるのでしょうね。
このように、一見するとそれぞれに全く異なる事柄を望んでいるように思えるのですが、本当は皆同じものを求めておりながら、その存在を認知できない状況にあるために、心の渇きを癒すための代用としてそれらを求めているのです。
皆様はまだ、その事に気付いていないだけなのです。
ですから、例えお望みの環境や物をその手に掴んだとしても、それらで得られる心の癒しはほんの一時のものであり、またすぐに違うものを求めて活動を始めることになるのです。
これらの活動を繰り返し、『あらゆるものを手に入れたにもかかわらず渇きが癒えない』という経験を通して徐々に霊的なものを求めるようになってゆくのです。
何しろ、皆様が本当に求めておられるものは霊的に成熟した先に存在しておりますので、まずは霊的視野を広げない事には何も始まらないのですから。
私どももまだ、それらの存在を明確に理解出来ているわけではございませんので、ここで詳しいご説明をする事は叶いませんが、霊的に成熟する事で徐々に癒されてゆき、渇きを覚える対象が霊的な事柄に限定されてゆくのは確かなようです。
これらの事から考えますと、皆様も私どもも共に『霊的に餓え乾いている』というのが正しい認識かもしれませんね。
ですが、それを求めた先に何が待ち受けているのかは、まだ私どもにも想像がつかないくらい遥か彼方に存在している事だけは確かなようです。
これらの事柄に決着がつくのはまだまだ先のことのようです。
ですから今は、心が求めるままに渇きを癒してみるのが一番良い方法なのかもしれませんね。
いずれにしても、何事も実体験を通じて、己のものとして確信できる域に達してゆかなければ先に進めないのですから、慌てたところでどうにもならないでしょう?
それならば、ご自身のペースに合わせてのんびりと歩んでゆきましょう。
何しろ、永遠に続いているのではないかと思われるほどの長い道程を旅しているのですから。

(2008年3月3日)





メッセージ65-2


先のメッセージに加えましてお話したい事がございます。

皆様の心の渇きが、例えほんの一時でも癒されたならば、その渇きを癒してくれた物や相手の方に対して自然に感謝の気持ちを抱けるようになった時こそ、霊的真理に対して確信出来る知識が増したと言えるのです。
その癒しは一時的なものであり、またすぐに乾きを覚えてしまうと分かっていても感謝せずにはいられない心の動きは、実はとても大切であり、霊的により成熟するためのステップとも言えるものなのです。
『一時でも乾きを癒してくれた』と感謝するのも、『すぐ乾いてしまって何の役にも立たない』と嘆いてしまうのも、皆様ご自身の心の在り方が反映しているものであり、同じ出来事に対して不幸と感じるのか、それとも幸福と感じるのかは、霊的な成長に大きく関わってくるものなのです。
霊的視野が広がれば広がるほど、ご自身にとってのマイナス面よりもプラスとなる面が見えてくるものであり、それらの現象は皆様の物事に対する考え方の変化により生じていることなのですよ。
身の周りの環境や状況が変化しなくても、皆様の視点が変化する事で、まるで正反対の感情を抱くようになるのです。
決して、楽な環境や状況に変化しているわけではなく、皆様ご自身が変わったために、大した苦しみや悲しみを感じなくなったというだけのことなのですよ。
これらの変化をもたらす事が出来るのは、やはり、実体験に基づき、霊的知識を確信する事であるため、今の状況から逃避してしまっては叶わない事であると覚えておきましょう。
そして、今目の前にある問題は、必ず皆様ご自身で解決できる事柄ですので、時には休憩する事も必要ですが、現実逃避することは苦しみを長引かせてしまうだけである事を知っておきましょう。
皆様が真摯な態度で今抱えている問題に取り組んだ時、必ず皆様の守護霊が援助の手を差し伸べ、前に進むためのヒントを伝えてくれるでしょう。

(2008年3月3日)





このメッセージは、私たち人間が日常生活の中で当たり前に抱くさまざまな願望(または欲望)の正体と、自身の経験を通してそれをコントロールする術を学ぶことが霊的成長につながるのだと言った内容となっております。
以前のメッセージでも取り上げておりますが、私たちがさまざまな願望や欲望を抱くこと自体は、決して否定されるべきではないと考えます。
しかし、その願望や欲望を追求する方法や程度によっては、返って自分自身の霊的成長を阻害する場合があるため、適度にコントロールする必要があるのです。
それと同時に、そういったさまざまな願望や欲望の根本にあるのは一体何なのか――その点について考えを深めることで、きっとご自身の経験を通してメッセージにあるような結論を導き出せることでしょう。
一連のメッセージでも繰り返し、経験を通して確信を得ることの重要性に触れておりますので、ぜひメッセージを参考に実践を通して理解を深めていただければと思います。

スピリチュアリズムについて(メッセージ64)

今日は、皆様に『スピリチュアリズム』について改めてご説明しておく必要があると思いましたのでお話させていただきます。

皆様の世界では『スピリチュアリズム』という言葉だけが独り歩きをして、霊界側の本来の意図とは掛け離れた認識が広まっているようですね。
その影響から『スピリチュアリズム』というものが、何か『特別な素晴らしいもの』であるかのように考えたり、逆に『何の証拠もないインチキで下らないものである』と考える方もおられるようですね。
ですが、そのどちらも的を射た考え方とは言えないものであり、どちらの考えを持っておられる方々も、何か大きな勘違いをされておられるようです。
そもそも、『スピリチュアリズム』とは特別なものではなく、『皆様の生活そのもの』であると言っても過言ではないものなのです。
皆様が、ごく当たり前のように過ごしておられる毎日の暮らしの中で活きている霊的エネルギーであり、いつもすぐ側にあるものなのですよ。
ただ、それらの霊的なエネルギーは、肉体で感知できる五感による認識が出来ないほど精妙な創りであるために、皆様が『確かにそこに存在している』との認識が出来ないだけなのです。
いずれ科学技術の発達により、それらの霊的エネルギーが誰の目にも明らかになる日が来る事でしょう。
ですが、今はまだそれらのエネルギーを皆様に分かるように証明する手段が無いので、皆様に解りやすく説明するのは難しいのですが、皆様も一度くらいは経験していると思われる『虫の知らせ』と呼ばれる現象は、実は霊界からの警告を皆様が無意識のうちに受け止めているものなのですよ。
他にも、『閃き』などの形で受け止める場合もあるのです。
『天才とは1%の霊感と99%の汗である』との言葉を残している方がおられるでしょう?
彼は『閃き』は霊界からもたらされるものと知っていたのかもしれませんね。
これらの事からも分かりますように、『スピリチュアリズム』に代表される霊媒によりもたらされる霊界通信などは、決して特別なものではなく、皆様の生活の中で活きているものなのです。
ただ、霊媒体質の方はそれらの霊的エネルギーを感知しやすいというだけのことなのです。
皆様も霊的存在であることには変わりないので、霊的なものを受け止められるだけの下地は持っているのですが、人それぞれに霊的成長に必要な環境や肉体が異なっているために、『今は霊的な能力を発現しないほうが良い』との判断から発揮されていないだけの事なのです。
霊能力は、決して特別なものでもなければ、得体の知れないものでもないことを良く知っておきましょう。
ただ、皆様がそれと認識できないままに受け止めている場合が殆どですから、理解できないものを意識するのはとても難しい事なのでしょうが。

今、皆様の世界では霊媒の方がまるで『神様』であるかのように持て囃すような風潮が見られますが、霊媒とは、あくまでも霊界からもたらされたメッセージを皆様に分かるように地上界の言葉に置き換えている、いわば通訳をしている方なのです。
外国語を母国語に通訳している方々と何ら変わりは無く、ただ、訳すための知識と技術を備えているだけの事なのです。
ですから、それら霊媒の方を特別視して崇めるというのは、とてもおかしな事であると皆様も思いませんか?
確かに霊媒の方は霊的真理の一部分を受け止めており、それを皆様に分かる言語に置き換えてはおりますが、その内容は霊媒自身の意識の中にある記憶と入り混じり易く、霊媒の方から聞いたままの内容を鵜呑みにしてしまうのはとても危険な事なのですよ。
霊媒の方の霊的成熟度合いにもよりますが、霊媒としての最低限の心得を持ち合わせておられない方の場合は、語られる霊言のうちの1%真理が含まれていれば良い方なのではないのでしょうか。
後の99%は霊媒の方ご自身の経験からくる知識と考えておいた方が良いでしょうね。
それに、そのような方が受けるメッセージを伝えてくる霊は未熟な場合が多く、霊的視野に乏しいという難点もあるので、その中から霊的真理を読み解くにはかなりの霊的知識と広い視野、そして、根気が必要になるでしょう。
心得のある霊媒の方に関しても、語られる霊言の内容はかなり霊界側の意図したものに近いとしても、地上界の言語に訳すには限界というものがありますし、霊媒の方自身の知識を借りてお伝えしているという事情もありますので、なかなか正確には伝わりにくいものなのです。
それでも、霊界側が意図した内容の30~60%は伝わるのですから、皆様により多くの霊的知識をお伝えできるという意味では、皆様の霊的成長度合いも考慮に入れますと上出来なのですが。
このような状況を考えますと、霊言や霊界通信を鵜呑みにするのではなく、ご自身の経験と知識を基によく考え、ご自身なりの答えを導き出す必要があるのです。
この霊界通信についても例外ではなく、地上界の霊媒の方も、霊界側の霊媒の方や技術者もまだ技術的に未熟であるために、やはり、こちら側で意図した内容の20~30%程度お伝えするのが限界でございますので、皆様ご自身で考え、これらの内容について判断していただきたいと思います。
本来その性質上、霊媒には必ず対となる『さにわ』が必要になるのですが、その重要性は余り認識されていないようです。
『さにわ』については以前の通信でご説明させていただいておりますので、そちらも合わせて読んでいただければ理解も深まる事と思います。

話が少々逸れてしまいましたが、『スピリチュアリズム』は決して特別なものではないということをこの通信を通してご理解いただけましたならば幸いでございます。

(2008年3月2日)





霊界通信の困難さやさにわの重要性については、これまでのメッセージにも度々指摘がありましたが、敢えて再度同様のメッセージがもたらされたのは、霊界通信や霊能力を過度に神聖視して、もたらされる通信の内容をよく吟味せず、鵜呑みしてしまう方がそれだけ多くおられるということなのでしょう。
最近のいわゆる『スピリチュアル・ブーム』にも、霊的知識を知るキッカケとしてのポジティブな意味合いよりも、むしろ霊的知識の誤った理解につながってしまいかねないというネガティブな影響が目立つように見受けられますので、そろそろ表面的なブームは終焉を迎える時期に来たと思います。
しかし、その様な時期に霊的知識に対して強い関心を持ち、真摯にこの世の中を統べる法則の謎を深く追求される方にこそ、ぜひ私たちのお届けする一連のメッセージをご覧いただきたいと思います。
もちろん、私たちのお届けするメッセージだけでも霊的知識の概要は網羅しておりますが、シルバーバーチの霊訓や、マイヤースの通信といった霊界通信を合わせてご覧になられることで、より深い理解が得られるでしょう。

2011年5月3日火曜日

霊的知識を本当に理解し確信すること(メッセージ63)

霊的知識を本当に理解し、確信するに到るということについてお話したいと思います。

この世界に存在するあらゆる現象や状況、皆様の置かれる立場などは全て必要だからこそ経験するものであり、それらの苦難や危機的状況などを体験し、乗り越えた時、始めて霊的真理に対して心から確信出来るようになるのです。
伝え聞いている、あるいは本で読んだなどという単なる記憶の中の知識というだけではなくて、ご自身の経験を通して霊的知識を再確認し、ご自身の考えとして確信するようになるのです。
正に霊的知識が皆様の中で胎動を始め、単なる知識ではなくあなた方ご自身の考えや経験に基づいた、あなた方ご自身と融合した知識としてその内に存在するようになるのです。
それはもう単なる知識ではなく、あなた方の内に活きた知識としてあり続けるのです。
この域に達することができれば、周りの干渉や状況の変化に振り回される事なく、冷静にその時々に応じた対処が出来るようになるのです。
色々な経験を積む事で多くの知識を得、ご自身のものとして確信出来るようになると、物事を観察する際の視野が広がり、結果として今まで見えてこなかった事柄も観察できるようになるために選択肢が増え、今まで不可能と思われていたことが可能になるのです。
霊的に成熟するとは、より多くの経験を積み、それらの実体験を通して、霊的知識を単なる知識ではなく、心から確信しご自身の考えとして認識出来るようになるまで昇華する事なのです。
ですから、心から望むところを行う事こそ、霊的真理を確信するための鍵とだと言えるのです。
それが例え皆様にとって不愉快で残酷な事柄であったとしても、それらの経験を通してでなければ学び取れない、確信するまでには到れない霊的心理というものもあるのです。
この地上界を含めました霊界全体を取り巻く法則は、決して皆様にとっての愉快な好ましい事柄だけの存在を許し、守り続けているわけではなく、不快で嫌な事柄も同じ様に存在する事を許し、守り続けているのです。
この二つの事柄は一つの物事の裏と表、光と影を表しており、どちらか一方でも欠けてしまえば直ちにバランスを失い存在する事が出来なくなってしまうのです。
どのような物事にも多様な側面があり、立場の違いや観察する場所によって、受ける印象が変わることをよく覚えておきましょう。
善悪や優劣なども同じことで、皆様がある一側面やある一時の状況だけを見て、そのように判断しているだけの事であり、それらの状況が永遠に続くわけでもなければ、全ての人にとって同じ様に認識されるようなものでもない、とても曖昧であやふやな幻影のようなものなのです。
これらの事柄に対して確信を得るためには、やはり、目の前にある課題を一つ一つ解決し、多くの実体験を通して視野を広げるしかないのです。
とても地道で、時には退屈に思える作業ですが、皆様にとって生活に必要な事を成すのが大変重要であり、霊的知識を確信するために大切であるということを忘れないで下さい。
『急がば回れ』というでしょう?
早く確信したければ、遥か遠くにあるゴールを見ながら、『まだ辿り着けない』とぼやくよりは、ご自身の足元にある問題をかたずけるのが一番の近道なのです。
ご自身の足元のにある問題とは、今、一番気に掛かる事柄に対応してゆくということです。
霊的真理を理解するという事は、決して、記憶の中にある知識を確信も無いままに実行する事ではありません。
確信していない事柄に関しては、どんなに打ち消そうとしたところで恐れが付き纏います。
恐れを抱くということは知らないということであり、今成そうとしている事柄は『あなたにはまだ早いですよ』というサインなのです。
恐れを抱くのは、もう少し他の経験を積む必要があるのに無理をしている証拠なのです。
知らないことは決して恥でも罪でもありません。
皆、最初は知らないのです。
多くの経験を積み、確信することが増える度に、恐れは消えてゆくものなのです。
むしろ、ご自身の力量も考えずに無謀な行動を取られる方が、余程、周りの方に迷惑をかける結果となり、そのような行動こそ慎む必要があると言えるでしょうね。
少しの努力で出来る事というものは、もう確信するまで後一歩といったところで、恐れよりも興味の方が先にたつものなのです。
ですから、努力をするのはよいことですし、成長のためには欠かせないのですが、恐れを抱いて立ち竦んでしまいそうな事をするというのは無謀であり、ご自身を欺いている証拠なのです。
そこまでして何かを成そうとしても、成就する事はまず無いでしょう。
確かに、そのようなショック療法的なことをして、知り得る事や克服できる事もあるのですが、それが成功するためには本人の強い意志と強力なバックアップが必要であり、多くの人たちの尽力あってこその賜物と言えるのです。
基本的には、努力と無理を取り違えないように程々に、ご自身の精神状態がバランスを欠くなどという事がない程度の挑戦に止めた方がよいでしょうね。
無理は必ず皆様ご自身の身体や精神を蝕み、本来の目的を見失う結果となりかねず、霊的成長を遅らせ、同じことを繰り返してしまうでしょう。
遠回りをするだけの事なのですが、出来れば同じ苦難はあまり経験したいとは思わないでしょう?
何事もバランスが大切なのだということを忘れないようにしましょう。

霊的真理をご自身の確信へと導くのは、伝え聞いたり本で読んだ記憶や知識ではなく、実体験に基づいた知識や記憶である事を覚えておきましょう。

(2008年2月26日)





このメッセージは、霊的知識を理解するとはどの様なことなのかについての解説となります。
とはいえ、取り立てて特別のことを言っているのではなく、既に十分理解を深めておられる方にとっては当たり前の認識なのですが、その当たり前の事実になかなか気づけない方が少なからずおられるのも現状です。
説明は既にメッセージの中で尽くされておりますので繰り返しませんが、ぜひ、『知っている』と『確信している』の意味合いの違いについて、この機会に考えていただければ思います。

国民としての心構えについて(メッセージ62)

今日は一国の国民としての心構えについてお話したいと思います。
その為には、まず『誰の為に政府や官僚が存在しているのか?』と、皆様ご自身で注意深く考え、民主主義国家というものの本来の姿と、皆様ご自身の政府や官僚に対して抱いているイメージの違いを見極め、今後考え方を改めるための材料とする必要があります。
私どもの見た限り、皆様の公務員や政治家に対するイメージは『政を司っている以上間違えや失敗は許されない。常に事を完璧にこなせて当たり前なのだ』といった、まるでスーパーマンや魔法使いのような、特別な存在ででもあるかのような思い込みをしているように思える発言が多いように感じます。
魔法を使い、杖を一振りすれば何もかもが思うとおりに劇的に改善するなど、皆様と同じ普通の人間が成せる事なのかどうかは、ほんの少し注意深く考えれば到底無理な事であるのは、幼子でも容易に理解できることであるにもかかわらず、皆様は公務員や政治家に対してそのようなことを求めているように思えるのですが、いかがでしょうか?
皆様はご自身の責任を果たさずに放棄し、上手く事が運ばずに何か問題が発生した時だけ大騒ぎして、思いどおりにならないと政府や官僚を扱下ろし、要求が通るまで横暴に振舞うという、いわば幼子が駄々を捏ねるといった行動をしているように見受けられます。
確かに、場合によりましては政府や官僚の仕事ぶりや対応の仕方がいい加減なために生じることもあるでしょう。
ですが、『なぜそのように堕落しまったのか?』というところを無視して、結果だけを見て大騒ぎしたところで何の解決にも繋がりません。
『何が彼らをそのように駆り立ててしまったのか?』というところを、よく考える必要があるのではありませんか?
人というのは、得てして『周りの人にばれなければいいや』といった考え方で行動しがちで、目先の利益に振り回され易いものです。
これらの現象を引き起こす原因になっているのは、複数の監視の目が存在していないからだと思われ、これらの役目は国の主権者である皆様が負うものなのではないのでしょうか?
その役目を怠っていながら『勝手をしたのだから保証しろ!』などと果たして要求できるものなのでしょうか?
むしろ、ご自身を省みて、怠慢と視野の狭さ、関心の低さを反省し、今後は意識を高く持ち、『この国は私達国民全てが力を合わせて初めて正常に運営されるのだ』ということに気付いてゆく必要がありますね。
そして、あくまでも、政治家や公務員は皆様が国を運営する上で必要な仕事を代行してこなしている存在であり、国民が雇い主で政治家や公務員は雇われている身であることをよく肝に銘じておく必要があるでしょう。
『公僕』とはよく言ったものですね。
彼らの置かれている立場を的確に表しているものだと皆様も思われませんか?
政治家や公務員に皆様が養ってもらっているわけではないのですよ。
主は国民で僕が公務員や政治家なのです。
主である以上、僕の失態の責任は皆様にあるのです。
民主主義である以上、皆様のうちの過半数の方の意見が反映されて運営が成り立っているということですから、今の国の状態は民意を反映したものであると言えるのですよ。
政治家を選挙で選ぶのは皆様なのですからね。
このことを忘れないようにしましょう。

(2008年2月24日)





霊媒Mを通じて一連のメッセージが地上界にもたらされるようになってから、まだ二ヶ月余りしか経過しておりませんが、その間にも政府の責任を問われる種類の事件が立て続いております。
これまでのメッセージでは、特に薬害肝炎問題に焦点を当てたものが何度か送られてきておりますが、問題の根本にある基本的な構造は、政府が関わるその他の問題についても共通して見られます。
そこで、今回は敢えて表面的な個々の問題についてではなく、それらの問題が発生する根本的な構造に焦点を当てて解説されております。
私たち国民は、普段は面倒事の扱いを政府や役所に丸投げしておきながら、いざ問題が発生すると文句だけは一人前――そんな無責任極まりない姿勢をとってはいなかったでしょうか?
国民に主権があることの意義と責任の重さについて、もう一度国民の一人ひとりが考え直してみる必要があるのではないでしょうか。

思うように事が運ばない(メッセージ61)

『思うように事が運ばず、望んだ環境になかなか変化しない』と思っている皆様へお話したいと思います。

皆様は『何故思うとおりにならないのか?』と、冷静に状況を見極め、判断を下していますか?
もしかしたら、『○○のせいで思い通りにならない!』などと、誰か他の方に責任を押し付けてはいませんか?
思う通りにならないと思っておられる方の大半が、ご自身が望んでいる環境や状態に相応しくない考えを持っていたり、望みとは逆行するような考え方や行動をしていたりと、あなた方ご自身の手で遠ざけていることが多いようです。
それなのに、何故か周りの方々の責任にして、ご自身を省みることは余り無いようですね。
それでは、何時まで経ってもあなた方の望みは叶わないでしょう。
よく考えをめぐらせてみれば、一見障害に思えることでも乗り越えるための方法や助けは必ずあるものなのですが、一つ障害があるとそこで挫けてしまい、その障害をもたらしている存在を恨むだけで、『どうすればその障害を乗り越える事が出来るのか?』と考えてみる事も無く、ただ怒りをため続ける毎日を過ごしている方も大勢おられるようですね。
あなたは本当に望みを実現させるために努力を続けているのでしょうか?
他にも出来る事があるのではないですか?
『本当にその状況になることを望んでいるのか?』ということも、あわせて考えてみる必要がありますね。
もしかしたら、今の状況から逃げたいために『○○を手に入れれば幸せになれる!!』などと幻想を抱いているだけかもしれませんよ。
それでは、今の状況から抜け出す事は出来ませんし、何時まで経っても不満を持ちながら暮らす原因となってしまいます。
そのようにならないためにも、まずご自身が本当に望んでいる事を知る必要があるでしょう。
それが望みを叶えるための第一歩です。
目標が定まってしまえば、後はそこへ辿り着くまでに今のご自分に足りないものを考え、それらを得るために努力を繰り返せばよいのです。
何を望んでいるのかで苦労は様々ですが、得た時の喜びは一入でしょう。
どうぞ挫けずに努力をしてみてくださいね。
もしなかなか前に進めないようなら、他の方法を考えてみるとよいかもしれません。
同じゴールを目指していても、人によっては違うルートを通った方が進みやすいという場合もありますから。
必ずしも同じルートを通らなければ得られないというものなど一つも無いのです。
ご自身にあった方法を考えてみましょう。

(2008年2月15日)





今回のメッセージは、すでにこれまでのメッセージで述べられている事柄に関連して、再度念を押すような位置づけの内容となっております。
メッセージ52はその代表といえると思いますので、ぜひ双方のメッセージを読み比べて理解を深め、皆さまご自身の生活に生かしていただければと思います。
また、メッセージ29を参考に、現在のあなたご自身が陥っている苦境や抱えている障害に対して、なぜあなたがその様な状態に置かれているのか――その理由を考えて見る機会を持つことも、現在のあなたにとってよりよい解決策を導き出す助けになるでしょう。
私たちは、既に一連の霊的知識を通じて『全ての物事に因果律が作用している』ことを理解しているのですから、ご自身のこれまでの体験と現在置かれている状態を注意深く観察すれば、自ずとその背後に潜む因果関係が浮かび上がってきます。
今の苦境を結果と見た場合の原因の所在と経緯を理解すれば、その因果を解消してあなたの望む状態を導き出す方法にも、程なく辿り着けるでしょう。
メッセージにもありますが、ぜひ冷静に論理的にご自身の置かれた状態を見極め、挫けることなく目的の実現に向かって邁進して行きましょう。

言葉を使って意思疎通を図るときに(メッセージ60)

今日は、言葉を使い、意思の疎通を図る際の注意点についてお話したいと思います。

皆様が暮らしておられます世界におきましては、大抵の場合、言葉を操ることでご自身の意思を伝えていると思われますが、ご自身の発している言葉には必ず責任が伴っているということを忘れないでいただきたいのです。
皆様にとりましては軽い気持ちから、あるいは極些細なことと思われる言動であったとしても、受け取り手によってその印象は千差万別なのです。
『大したことではない』と気にしない方もおられますが、中にはとても深刻に受け取り、思い悩み、苦しみ続ける方もおられるのです。
同じ言葉を使っていたとしても、必ず自分と同じ意味で相手も理解し使用しているわけではないことを、是非知っておいていただきたいと思います。
同じ言葉を用いながら、解釈の仕方が違うというのはよくある事なのです。
互いの頭の中では違うことを考え、かみ合っていないにもかかわらず、同じ言葉を使い、その場の話が成立しているように思える為に、意思が通じているように勘違いしたままお付き合いを続けた結果、問題が生じ、相手を憎んだり嫌ったりするようになるなど、皆様の世界では日常茶飯事なのですから。
それとは逆に、同じ事を考えていながらも違う言葉を用いているために、思うように意思が伝わらず、上手くゆかないケースも多いようです。
これらの事態を回避し、周りの方々とより良い関係を築く為には、ご自身の解釈を基準にして相手の方の発している言葉を判断してしまうのではなく、どのような意図でその言葉を用いたのかを考え、わからなければ納得出来るまで質問したり、相手の方の言葉から連想されるご自身の考えや解釈を伝え、より正確な捉え方が出来るように努力する必要があります。
それらを繰り返すことで相手の方の考え方の癖を知ることができ、簡単に理解出来るようになってまいります。
その為にもまず、ご自身と周りの方々の考え方や解釈の仕方は基本的に異なっていることを理解し、常に頭の隅に置いておく必要があるでしょう。
そして、ご自身が何かを伝える際に発した言葉には責任が伴っていることをよく理解し、軽々しく言葉を操ることは危険であることを知っておきましょう。
あなたの一言が誰かを絶望の淵に追いやり、命すら奪いかねないことをよく覚えておきましょう。
言葉に対し、どのように受け止めどう行動するのかは確かに受け手の問題なのですが、悪意をもって発せられた言葉は、発した方ご自身に必ず何らかの形で返ってくることになるでしょう。
それらのことをよく考えもせず、無知なまま悪意ある言葉を発し続け、ご自身の手で不幸を招き寄せている方が大勢いらっしゃいます。
それでは、ご自身も周りの方々も苦しいだけなのではありませんか?
同じ事を伝えるのでも、どの言葉を使うのかで印象が大きく変わります。
ご自身の思いが相手の方に上手く伝わるかどうかは、皆様の言葉の操り方にかかっているのです。
上手な会話の仕方を覚えて、幸せを感じながら暮らせるようになると良いですね。
言葉に振り回されるのではなく、是非使いこなせるように努力してみてください。

(2008年2月11日)





現在この様な形で、文章をまとめて多くの方々にご覧いただく為の作業に関わっている管理人ですが、元々文章を記述することに対する関心も強かったせいか、今回のメッセージについては私もすんなりと理解できました。
というよりも、常々私が感じていた「言葉を使用して意思の疎通を図る」ことの難しさに対する思いを、実に的確に解説していただけたのではないでしょうか。
さて、今回この様なメッセージが送られた背景について若干の説明を施しますと、先日某有名歌手の方がラジオ放送で妊娠と出産に関わる不穏当な発言をしたことが問題となり、ついには問題の歌手の方がニュース番組の中で謝罪する――といった出来事がありました。
その出来事について、私自身は報道を通じて大まかな経緯を聞いた程度なのですが、実際に問題の歌手が謝罪したとされる番組をご覧になった方の中には、言い訳がましくて謝罪になっていない――との声もあったようです。
その様な出来事を受けて霊界からもたらされたのが、今回のメッセージです。
言葉と心の働きに対する理解を深めてゆくにつれ、言葉の限界と、言葉を媒介としたコミュニケーションの難しさを実感する日々ですが、メッセージではその様な言葉自体の抱える限界や、人間の心の動きによるコミュニケーションの行き違いをどの様に克服して、お互いの意思の疎通が円滑に図れるのかについて、分かりやすく説明してくれております。
相手が誰であれ、その方との良好な人間関係を築く為には適切なコミュニケーションが欠かせませんし、コミュニケーションを図る最も標準的な手段が会話といえるでしょう。
しかし、そのコミュニケーションがうまく図れない――そういった原因の悩み事を抱えておられる方も少なくないのではないでしょうか。
そんな悩みを抱えておられる方には、特に今回のメッセージをよく読み込んで頂き、普段他の方とのコミュニケーションをどの様に行っているのかを、改めて振り返ってみていただくことをお勧めいたします。
あなたは本当に相手の方の意思を理解しようと努めておられますか?
自分勝手な思い込みや、根拠のない決め付けで相手の方の意思を推し量ろうとしてはおりませんか?
仮にあなたの身のまわりに、人間関係のしっくりといっていない方がおられたとしても、それはただ単にあなたが相手の意思を理解しようと努めていないだけかも知れません。
もし、あなたが今よりもほんの少しだけ相手の言葉に注意深く耳を傾けて、その言葉の背後にある意思を読み取ろうとするだけで、あなたとその相手の方との関係が劇的に変わるかも知れません。
もちろん、全ての原因があなたにある訳ではないでしょう。
しかし、あなたがほんの少しだけ相手の方に対して慎重に、そして注意深く振る舞うだけで、お互いの意思の疎通が円滑に運ぶようになるのだとしたら、あなたにとっても、相手の方にとっても望ましい変化なのではないでしょうか?
例えそれが無駄な努力に終わったとしても、それで以前に比べて何かを失うわけではありません。
一方、そんな些細な自身の心掛けの変化が状況の好転に繋がる可能性があるなら、試して見ない手はないとは思いませんか?

肉体を失った後(メッセージ59)

今日は肉体を失った後の状態についてお話したいと思います。

皆様は勘違いをされておられるようですが、肉体を失ったからと言って劇的に変化するというものではなく、薄皮を一枚剥いだようなものであることをご理解いただきたいと思います。
霊の状態になったと申しましても、階段で1階から2階に上がる途中の踊り場にいるようなもので、皆様が今まで過ごしてきた世界が1階だとすれば、その成長に応じてまた1階に戻るか2階へと上がるのかを選択するために、ほんの一時、その踊り場にあたる場所で過ごす事になります。
その場所は、今皆様が生活しておられる地上よりほんの少しだけ精妙に出来ており、地上にいた時の肉体そのままで存在する事が出来ないために、薄皮のような肉体を脱ぎ捨てるのです。
そして、2階には踊り場よりほんの少し精妙な物質で出来た世界がありますので、2階へと上がる場合はまた薄皮のような肉体を脱ぎ捨て、より精妙な肉体を纏うのです。
1階に戻る場合は、またほんの少し荒い物質で出来た肉体を纏って産まれてまいります。

これらの事からも分かりますように、肉体を失ったからと言って、すぐに神や仏と呼ばれている存在と同じ境涯に行けるわけではなく、皆様がほんの少しの成長を遂げて行ける場所は、今過ごしておられる地上界よりほんの少しだけ成熟した世界に過ぎないことを、皆様は知らなければなりません。
それらの世界におきましては、肉体を失い霊体になったと申しましてもやはり物質を纏った状態であり、皆様が暮らしておられる地上界より精妙なために、五感で感じ取る事ができないというだけのことなのです。
どの境涯におきましても物質を纏っているということに変わりは無く、より精妙になるというだけなのです。
霊的に成熟してゆくということは、永遠に続いているように思える螺旋階段を一段ずつ上がっているようなものなのです。

(2008年2月3日)





メッセージ59-2


皆様が神や仏と呼ばれている存在について補足させていただきたいと思います。
以前、類魂団についてメッセージ47お話させていただいたのですが、類魂団にはそれぞれ統括霊がおりまして、その統括霊が類魂団を管理しているのです。
神や仏と皆様が呼ばれている存在はその統括霊にあたり、皆様が属している類魂団を管理している存在なのです。
ですから、当然のことながら皆様にとっての神や仏にも更に統括している霊が存在しており、神や仏が私どもを含めました霊的存在の創造主と言うわけではないのです。
その偉大な創造主の境涯に辿り着く事は至難の業であり、永遠に続く様に思える長い道程を越えて始めて辿り着ける場所であり、今の皆様や私どもでは到底想像もつかない存在なのです。
どの様な存在であるのかを想像する事さえ叶わないでしょう。
何故なら、皆様や私どもが存在している境涯で知りうる知識や経験などでは到底表現する事が出来ないほど、精妙で成熟した存在だからなのです。
皆様も私どもも創造主と一体でありながらも、その御業や知識を理解するのは到底不可能なことで、経験不足といえます。
皆様や私どもは、霊界全体から見ればほんの赤子や幼子に過ぎない存在なのですから、それも当然のことなのです。
これらの事をよく理解しないで、盲目的に聖書や経典などに書かれている内容を鵜呑みにしてしまうと、霊的成長を阻害する結果になりますので、それらの言葉が何を意味して書かれた物であるのかをよく考えながら読む必要があるのです。
そうしなければ、それらの言葉の背後にある真理を読み解くことは出来ないでしょう。
それでは、せっかくの知識も宝の持ち腐れになってしまうのです。
その様なことにならないためにもご自身で考える癖をお付けになり、疑問に思ったり気になったことに関しては納得ゆくまで考えてみましょう。

(2008年2月3日)





このメッセージは、既に地上界に降ろされている霊的知識の補足として、「死は人間の想像するような特殊で重大な現象ではない」ことを、あえて強調するような内容となっております。
また、メッセージ59-2では、人間が考える神とはどの様な存在か――そして盲目的に宗教の経典の内容を鵜呑みにすることの危険性を指摘しております。
ここで念のために補足をしておきますが、このメッセージの真意は決して特定の宗教やその経典を否定し、そしてそれらの宗教を信仰する方々を貶める所にあるのではありません。
むしろ、さまざまな宗教やその経典によって解釈の偏りや表現方法の違いはあるにせよ、何らかの共通した霊的知識のエッセンスが含まれており、私たちが今この様な形で皆さまにお届けしているメッセージも、同じ一つの霊的知識の体系の一部であります。
メッセージ33で新しい教科書についての説明を加えましたが、地上界に数多ある宗教の携える知識とは、現在よりも霊的知識に対する理解が不十分であった時代の人々にとっては重要な教科書であり、今なおその教科書を必要としている方々が少なくないからこそ、多くの方々の信仰を集めているのです。
しかし、私たち人間の中には、既にそういった宗教のもたらす知識に対する理解を十分深めており、より深い知識を求める方もおられるでしょう。
そういった方々の『魂の渇望』に霊界が反応し、より深い霊的知識がもたらされたのが、例えば『シルバーバーチの霊訓』であり、モーゼスの『霊訓』であり、マイヤースの『永遠の大道』であります。
そして今霊界では、上記の霊的知識を更に掘り下げた新たな教科書を地上界にもたらそうと、着々と準備を進めております。
それと同時に、既存の宗教の経典に対する人間の解釈の過ちと、本来の意味合いを解説する必要もあると考えているようです。
現時点(2008年2月6日)までに管理人が断片的に伺った霊界側の構想によると、今後霊的知識についての教科書的な位置づけになる文書を降ろし、それに続いて聖書の本来の意味合いについての解説書的な文書を降ろす予定なのだそうです。
ここで敢えて聖書が取り上げられる意味は、恐らくメッセージ33メッセージ44にあるように、バチカンの拠点が解放されることと大いに関係があるのではないかと思います。
この様な文書を書いている私自身も、どちらかといえば皆さまと同じ一読者の立場に近い位置におりますので、一体どのような知識が新たに降ろされてくるのか、今からとても楽しみです。