2011年5月7日土曜日

肉体と霊体(霊的知識の教科書:9)

物質と霊が融合したのが今の皆様の姿であり、地上界に存在するあらゆる生命の姿なのですが、霊体が肉体を纏った状態で暮らしてゆくには、それなりの理由があります。
まず、ご理解いただきたいのが、皆様は霊としては赤子のように未熟な状態であるということです。
霊として未熟であるということは、自我の芽生えも中途半端であり、肉体という鎧を纏っていないと己を認識することさえままならないということなのです。
霊的に未熟な状態で霊体のままでおりますと、己と他の存在の境界線が判らず、個としての自分を認識できないのです。
皆様が地上界を去り、霊体の状態に戻る時は、守護霊及び先輩霊が万全の体制を整えて皆様を迎え入れておりますので、己を見失うことなく安心して過ごす事が出来るのです。
そして、皆様がまだ理解していない霊界の仕組みを再現するために、先輩霊が代わりに働いて再現しているのです。
それら、皆様のお世話をしている先輩霊達は、決して義務感などから働いているわけではなく、自発的に活動しているのであり、そうする事が彼らの喜びなのです。
己の欲するところを行った結果、皆様のお役に立っているということなのですよ。
このように、霊的に成熟するにつれて、ご自身が一番好ましいと思える事柄を成す事で、周りの方々も喜びを感じられるといった結果に繋がるようになるのです。
このように、霊的に成熟するということは、ご自身の喜びを成すものが、多くの方々に幸せをもたらす事柄へと自然に変化してゆく事なのです。
『〜せねば』などの義務感から成しているうちは、まだまだ、ご自身の実感として霊的知識を身に付けたとは言えず、確信するまでには至っていないと言えるのです。
義務感から行動されておられる皆様には、是非、なぜそういった事柄を実践するのが『善い事なのだ』と多くの方に認知されるようになったのか、その背後にある意味について、ご自身の実体験に基づいた知識や知恵と照らし合わせて考えてみていただきたいと思います。
思慮深くあることで見えてくることもありますから、ご自身なりの『善いと思う理由』をよく考え、あなただけの答えを導き出す努力をしてみるとよいでしょう。
その様な試行錯誤を繰り返す中で、初めてあなた方が実践しておられる善行が霊的に活きたものとなるのです。

『霊体と肉体』には密接な関係があり、簡単に分けて考える事が出来ないほど深い繋がりを持っております。
肉体は霊体としての皆様を守る鎧であると同時に、効率よく真理を学ぶために必要な媒体でもあるのです。
肉体も霊界の法則によって生み出され、霊力によって守られている大切な存在なのですから、肉体を粗末に考え、霊から見れば取るに足らないと判断してしまうのは性急過ぎるのではないのでしょうか?
確かに、霊体が核であり、肉体はその核を守る鎧ではあるのですが、鎧がなければ守ることも儘ならないのですから、安易に切り離して考えては学ぶ機会を逸してまう危険があります。
『霊体と肉体』は車の両輪のような存在ですから、どちらが欠けても成り立たないといえます。
要は、バランスなのです。
どちらか一方に極端に偏ってしまえば、一歩も前に進めなくなってしまうでしょう。
どちらも共に霊的成長には欠かせない要素なのですが、どうしても皆様は物的な視点に偏りがちになってしまいます。
本来であれば、物的な視点からの経験を通して、徐々に霊的な存在に対する認識が増し、霊的視点からも物事を判断出来るようになる筈なのですが、なかなか気付く事が出来ない方も大勢おられます。
その様な事情から、先輩霊が地上界へ霊的知識の普及を促すために、過去に幾度も霊界通信を通してお伝えしてきたのですが、皆様の経験がそれらの知識に追いつくまでには時間が掛かります。
一方、字面だけを追って理解したつもりになってしまった皆様が表面的な事柄だけを広めてしまったので、本当に確信している方は殆ど見受けられないという事態に陥ってしまったのです。
知識を活かすのではなく、振り回されてしまった結果と言えるでしょう。
もちろん、霊的真理を教えてもらえば誰でも理解できるという性質の問題ではないので、正確に理解した方が判り易く説明したところで、他の方々にその説明を理解できるわけではなく、やはり、表面的な知識が広がってしまいます。
ですが、『霊的知識を身につける』とは、自身の体験に伴って確信を深めることによってしか学び取れないと理解していれば、表面的な事柄だけが広まってしまうという事態は避けられたのではないのかと思います。
そのような事情もございまして、折角の霊的知識も活きたものとなっておらず、未だに眠った状態にあるといえるのです。
地上界での経験を通して充分に学び、霊的真理をご自身のものとして確実に活かしておられる方も当然おられますが、それらの方々は、既存の霊的知識と呼ばれている知識とは離れたところで物的視点に従い、実体験を通して得た霊的知識に基づき、思うがままに暮らしてきた結果といえるでしょう。
なぜ、物質界に生まれてくるのかと申し上げると、霊的成長の為に必要だからであり、この世界でしか経験できない事柄を、その身を持って体験すればこそ得られる霊的知識があるからなのです。
それにもかかわらず、霊的な事柄ばかりに目を奪われてしまっては、折角の学びの機会を自ら手放していると言えるのではないのでしょうか?
霊界に存在するあらゆる世界は、全てが霊的に成長するために必要であり、各々の成長度合いにあわせた世界が構築され、そこに存在している事を知っておきましょう。
皆様にとって、この地上界は正に学びのための材料の宝庫なのです。
果てが見えない程先にある終着点を見つめて、実体の掴めない事柄を追い求めるのではなく、今、ご自身の目の前に存在しているあらゆる問題に対処した方が、余程学び取れる事柄も多く、皆様の成長のためには役立つのです。
ご自身の置かれている状況や環境、そして、有している肉体は、あなたご自身の霊的成長に見合ったものである事をよく覚えておきましょう。
そして、遥か先にあるよくわからない事柄に囚われても時間の無駄であり、まだ皆様には到底理解できる知識ではない事を知っておきましょう。
それらの知識に関しては、『霊界にはそのようなものが存在しているのか』程度に捉えておき、理解できないものを無理に理解しようと執着していても無意味である事を知りましょう。
経験を重ね、真理を確信するごとに徐々に理解が深まるようになります。
慌てなくても、必ず確信できる時はやってきます。
ですから、その為にも、今ご自身の目の前にある諸問題を解決する事に尽力し、その中から多くの学びを得られるように、との意識を持つようにしましょう。
以上のように、肉体を纏うのは未熟な霊にとって最善の方法であり、知恵に基づいた防御策なのです。
肉体は必要に応じてご自身が望んで纏い、霊的成長に見合っているものである事を知っておきましょう。

(2008年2月29日)

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